渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



建築でしかできないこと

音楽を聞いていて、“これは音楽でしか表現できない素晴らしさだ!”と思うことが
あります。音のメディア(生演奏の時は視覚も伴うこともあるけど)だから、トリオ
であるなら3人の発するちょっとした音の動きや止まり方 出し方のタイミングが、こ
ちらの心を動かすのです。小説では、中上健次やミラン=クンデラの小説で 違う状況
で違う人が同じ言葉を言っただけなのに、様々な状況や意味に奥行が生まれその違い
が対比させられました。それは言葉だけのメディアだから表せることだと思いました。
映画でも“パリ.テキサス”の冒頭で、ライ=クーダーのギターの音と主人公トラヴィ
スが荒野を歩く映像だけのシーン、などなど、それぞれの分野のそのメディアでしか
表せない素晴らしさを感じることがあります。
そのことに思い至った時、建築にしかできないことってなんだろう、と思っています。
ファサードのデザインはグラフィックの分野だし、立体的な造形は彫刻だろう、と考
えました。そうすると、建築が何を表現するメディアなのかと考え、他の分野にでき
ないことを思うと、いろいろなことが分かります。
まず1つは、大きさがあり、中に人が入り動けることです。気象や環境に影響された
明暗や、広い/狭いなどの様々な空間があって、時間とともに中を移動できることと、
言えます。その際の壁の意匠やテクスチャーはグラフィックや工芸の特徴でもありま
すから、そこで表せることとは、薄目で歩いて感じるようなおおよその空間の明るさ
やプロポーションの変化による感覚の関係ということになるのではないかと思ってい
ます。それは、訪れた人が薄目で歩いてその変化に魅力を感じられれば、その建物は
基本的に成功しているということではないかと思います。もちろん予算があれば良い
材料を使い質感にも凝るならば、より質の高いものになっていきます。しかし、その
逆はないと思うのです。
2つめは、機能・用途を持つこと、だろうと思います。機能・用途がもつイメージを
利用した表現が考えられます。チュミが”ディスプログラミング”として、いくつか
の施設のプログラムを重ねて、エアポートにプールやアスレチックジムなどが意外な
ところに顔を出すという、アクシデントによる新鮮な関係を表現していました。用途、
住宅でも例えばバスルームや玄関などには普通こういうものというイメージがありま
すが、その2つを重ね合わせると新鮮な驚きのある空間が生まれます。(もちろん機能
を満たし問題を解決した上でですが)玄関ホールが広いサンルームのようで、植物の
影に夏の間使える浴槽が池のように設けてある・・・というようなことです。

2006/5/4

森野ハウス(杉本博司あるいはトーマス.ルフ風の写真=薄目で感じられる空間)

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