渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



イタリア的生活

家内がイタリアにオペラの勉強で留学していた時に、中庭を囲んだアパートに住んで
いたことがあります。朝窓を空けていると仕事に行く人が挨拶するし、オペラの練習
をしていると中庭を挟んだ向かいのおじさんがオペラの相方のフレーズを歌ってくれ
てとても楽しかったとのこと。そのような話を聞く度に明るく楽しい生活環境が想像
できて羨ましくなります。
それとは反対に、最近都営住宅では井戸端会議をするような場所が無くてお年寄りが
孤立し寂しい思いをしているという話を近所で聞きました。思えば集合住宅や団地に
は階段も廊下も北側の狭い寒々とした場所しかない。前に書きましたが、戸建て住宅
では玄関は表の意識があるのですが、そのような状況の集合住宅の玄関は”裏”とし
ての意識しか生まれてこないのです。
この都営住宅でも、廊下や階段に日当たりが良くてちょっとベンチでもある場所が作
れればいろいろなことが変わります。集合住宅でも交流の生まれる配置と動線にする
ことは可能なはずなのです。”混在すること”でも書きましたが、計画的に用途が決
まっていて、ここは廊下、ここは専有、と分けてしまうと決められたことしかできな
い場所ばかりで、なんとなく佇む、立ち話をするという曖昧な場所がなくなってしま
います。またヴェネツィアの図面を見ると、密集した所では住戸は三方隣とくっつい
ていることも多く、隣の中庭に外壁が面している場合、その隣の空地に向けて窓を開
けているのを見かけます。そう、所有と使用を分けて考えれば可能性は広がり、様々
に兼用出来る場所が生まれるように思います。
以前、集合住宅の2m巾のアプローチをどう作るかを考えていた時に、新しい建物で
2m巾の路地を魅力的に作っている最近の例を散々探しましたが見つかりませんでし
た。ところがイタリアや京都の例は沢山見つかるのです。日本は狭いからと諦めるこ
とも多いのですが、ロンドンやパリのアパートも同じくらい狭く、イタリアの山岳都
市やヴェネツィアも面積が限られているので路地や廊下も相当狭いのですが魅力的に
思えるのは何故でしょうか。公共の場所がゆったりしていることもありますが、なに
より人々の生活環境への意識が高いことの積み重ねのように思います。
近頃、金融工学などの虚飾によって金を増やすことの仮面が剥がれていますが、その
ような時、イタリアの人々の様に、楽しいばかりではないでしょうが、家族や友人や
他人とも話したり食べたり歌ったり踊ったりといった日々の生活を楽しもうとするこ
とに価値を置いていかないといけない時期なのかもしれないと思ったりします。

2009/3/14


イタリアの路地

 29

copyright WATANABE YASUSHI architect & associates