渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



なにも無い空間

演出家のピタ−−ブルックに“なにも無い空間”(The empty space)という著書が
あります。そこに、目に見えないものが見えるようにするために、(演出家は)条件を
提示しなければならないとありました。昔、銀座のセゾン劇場のこけら落としでピー
ターブルックのカルメンを見ました。それは、劇場の工事を途中で止めて、土を持ち
込んだ平土間を観客が半分を囲み、奥は板を張った高い壁がそびえているだけのとて
もシンプルな演劇空間でした。舞台装置はほとんど無く、あるシーンではたき火の跡
があるだけといった演出なのですが、とても美しい空間だったのを覚えています。そ
のようなもので最近ではジンガロの空間が似ているでしょうか。なにも無さ感の強い
場所は、何かが起こりそうな予感をも感じさせてくれます。また、国連の議会などで、
円卓を囲んだ会議を見ます。そこでは議長が正面や中心にいるのではなく中央は空い
ています。あたかも、そこで話し合われるべき考えられるべき議題が、中央の空間に
浮かび上がっているように思えます。
先日、関西の造園家の荻野さんに案内してもらい圓徳院のねねの庭を見て来ました。
とても変わった庭で、座敷から見ると庭がいったん窪んだ先で盛り上がり、諸大名か
ら献上された様々な石が散らばり、こちらを距離をおいて取り囲んでいるようにも見
えます。その上には樹木が茂り空は見えません。そこにはポカンと空いた空間が感じ
られました。庭の造作によってなにもない空間が浮かび上がっているというか、充実
した濃密な空間が感じられるのです。先の高桐院や蓮華寺にも同様のことが言えます。
思い出してみると回廊のある中庭も、”なにもなさ感”が強いもののほうが引き付け
られるように思います。
禅問答の“器とは空の用”の話のようですが、空いた場所はどこにでもあるものです
が、ことさらそこに空間を感じる場所はほとんどありません。何かに囲われて中央が
空いているような、欠落しているような、なにかを待っているような場所、そのよう
な”なにも無さ感”の強い空間、濃密な空気感を持つ場所は、間、ブランク、虚、空、
空白の魅力とでも言えるのではないかと思います。

2008/9/28


圓徳院 ねねの庭

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