渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



ベタと関係性

”関係性をデザイン”したいと思っていますが、それはどういうことかを分りやすく
説明するのは難しいことです。では、”関係性をデザインする”ことの、反対はなに
かを考えると、それは”ベタなこと”のように思います。例えばある画家の個人記念
館を考える時に、その画家の独特の造形をそのまま建物の形にしてしまうのはベタで
す。そのままではなく画家の目指そうとしたことを空間を作る関係で表そうとしたり、
それを効果的に見せるにはどういう背景にすれば良いかを考えたりする方が、記念館
の形はいろいろな解釈が可能な画家の作品の造形とは違うものになるはずです。でも
その画家の記念館に来たことを実感させてくれる関係性を見つけることが必要です。
建築批評家コーリン=ロウの”透明性”をめぐってリテラル−フェノメナルの違いを
述べていますが、そこでも同様のことがいえます。ベタにガラスを多用して 透明な
状況を創ることをリテラル、対して実際には不透明なもので作られていても、比率な
どの関係性でもって透明性を感じさせるのがフェノメナルということです。
リアル/リアリティーも、辞書ではReality=”現実性、真実、迫真性”とありますが、
現実・真実と現実性・迫真性とは意味するものが違います。前者は、現実あるいは現
実によくありそうなことということですが、後者は現実性・迫真性を感じることとい
う意味です。柄谷行人が夏目漱石やシェイクスピアについて言っていたのも、現実に
ありそうなことではなくとも現実感を感じることを指摘していました。中上健次の小
説でも、身の回りに実際にありそうにないことでもなにか胸に迫るものがあります。
それを柄谷行人は、普通こうなるだろうということが予想外のことが起きて、現実の
ザラザラした肌触りの悪さを感じた時にリアリティーを感じるのではないかと書いて
います。つまりベタな現実と、起こったことの関係性がリアルなことといえるのでは
ないかと考えています。
他にも、前記の“form”の二重の意味とは、ベタな形と、関係性における形式と考え
られます。
“新しさ”も、新奇で具体的に見た目がベタに新しいことと、新奇さはなくとも関係
性において新鮮さを感じることという2つがあるように思います。
そのように様々なことで、ベタではない、関係性において感じられることを考えてい
きたいと思います。

2008/5/2


木漏れ日の空間

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