渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



スーパーフラット

チベットに最初に行った時には、日本とは懸け離れた別の世界だと思っていました。
ところがある静かな夜に月夜に照らされた集落を眺めていて、ふと日本の住宅地に居
るような気になったのです。思えばそこに生活しているのは家族で集まり、食べて寝
て会話をしている同じ人間です。それから、環境に対するレスポンスが多少違ってい
るだけで、いろいろなものが日本と繋がっているように見えてきました。
普段、あれとこれは根本的に違うものだと思っていることがたくさんあります。でも
それは、色々な視点に立つと根本的に質が違うと思えていたことが、単に程度の差で
しかないのでないかと思えることもあります。量的な差違で見ると50歩100歩では
ないかと思えてくるのです。極端な例ですが、物理学でいうとドーナツとマグカップ
は位相空間的には(穴が空いているカタマリということから)同じだという話があり
ますが、ある視点に立てば質が違うと思えていたことが、単に量的な差でしかないこ
とはよくあります。
今美術の世界で、ハイカルチャー/サブカルチャー、芸術/芸能/娯楽の境界があいま
いになりどちらともとれるような作品が増えています。それを村上隆がスーパーフラ
ットという概念で説明しようとしています。村上隆自身が現代美術とマンガ・アニメ
の両方を備えた作品を作り、現代美術の世界で支持されていますが、奥行のないモニ
ターの映像のような平面で様々なレベルのことを併置しようとしているように思えま
す。僕はそれを、根本的に違うものと思えたことを同じ地平に並べて、さらにそうす
ると改めて特徴も見え、そこから新たな価値を生み出しているように思えます。その
ように先入観や固定概念で質的に違うと思われるものを同じ地平に並べて見ることで、
改めて見えてくることを考えようという姿勢がスーパーフラットなのではないかと思
うのです。
建築では例えば、東南アジアやイタリアの山岳やアフリカの集落を、現代日本の集合
住宅や街と同じ地平に並べてみると、どちらも専有スペースと共用スペースと公共の
スペースがパズルのように混在しているというような共通点も見えてきます。すると
それらの有様の違いも改めて見えてきます。すると現代日本の集合住宅がどうしてこ
のような形になっているのかが不思議に思えてくるではありませんか。そして、今と
の繋がりを見ようとすれば、現在に活かせるヒントも同時に見えてくるということだ
と思います。

2008/4/8

山中湖の家

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