渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



誰にでも感じられること

モーツァルトのピアノソナタやヴァイオリンのユーモレスクといった、よく子供の発
表会で 幼稚園生か小学1.2年生が演奏する技術的にやさしい曲(ということはこれま
で楽しくとも、素晴らしい演奏を聞いたことが無かったということ)を、著明な演奏
家が演奏するのを改めて聞き比べるのに最近凝っています。そのような技術的に易し
い曲は、特別な意図がなければプロの演奏会では聞けません。でも、技術的に易しい
曲が音楽性が劣るわけではないことが分かります。むしろ、音楽性だけを聞くのであ
れば、最もはっきり分かりますし、何人かの演奏を聞き比べると、その演奏家が何を
目指しているのかが如実に分かって、とても面白いのです。
例えばモーツァルトのピアノソナタを内田光子とグレン=グールドとアンドレアス=シ
ュテイアーで聞き比べるとそれぞれが何に喜びを感じて演奏しているのか、その違い
がはっきりわかります。そのように、簡単で易しいことなのに、魅力的で奥が深いこ
とに面白さを感じています。
その対極にあるものとして、マニアやオタクといわれるタコ壷状に深い世界が様々な
分野があるのだと思います。わかる人には良く分かるけど分からない人にはまったく
関心がないような世界、だんな芸のような世界といったらいいでしょうか。そのよう
なものは世界の中では影響は限られ、社会の中でどれだけ価値があるかは疑問です。
それに対して、クリストが素晴らしいと思うのは、作品を作ろうとする地域の人達に
説明し巻き込み協力を得て作っていくことだと思います。ですからその作品も芸術の
ことなど知らない多くの人も何かを感じるものだと思うのです。それを開放系の表現
と呼びたいと思っています。似たようなものをイブ=クラインやリチャード=ロング、
リチャード=セラなどにも感じます。それをより身近なことに引き寄せたものとして、
赤瀬川原平のトマソンや路上観察写真があります。そこにはとても日常的な事なのに
とても魅力的なことがあるのに気付かされます。とても簡単なことなのに深いもの、
誰もが見た瞬間に心が開放されるようなものに魅力を感じます。


2007/9/12

赤瀬川原平/白線写真

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