渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



関係性

以前、蓮実 重彦の“小説から遠く離れて”という本を読んで、ものごとの関係性を
考えるということはこういうことなのか、と目から鱗が落ちました。その内容は当時
(20年程前)話題になっていた小説“コインロッカーベイビーズ”“世界の終りと
ハードボイルド・ワンダーランド”“君が代を裏声で歌え”“吉里吉里人”などの全
然違うように見えた小説が、大局的に見れば、主人公が兄弟などの道連れをともなっ
て宝探しをする冒険潭ということでは同じなのは何故だというのです。しかし中上健
次の“枯木灘”だけは違う、その先に到達しているという批評なのですが、それは置
いておくとして、それぞれの具体的な人物なり背景をカッコに入れて、その関係性を
見ると別のものが見えてくるということに驚きました。
美術では、関係性を表わしているものだと、関根伸夫の位相-大地を思い出します。
穴と掘り出した土の円柱が少し離れて対峙しているものです。それぞれは穴と土の塊
ですからどうと言うことはないのですが、並べることで2つの間に生まれる関係が衝撃
的でした。その対極にあるものが表現主義ではないかと思います。ルドルフ=シュタ
イナーや建築のメンデルスゾーンのように造形そのもので何かを表現しようとしてい
るものです。すると、作る形だけで表現しようとしますからおのずと普通にはない
独特な形をしようとします。建築では何年も存在しますから、形で表現しようとしてっ
いるものはうとうしい存在になります。 それはなにより、ものを作るのではなく、
その中で生まれることを作るのが目的であれば、造形で表現しようとすることには
違和感があるのです。
対して関係性において建築を考えると、いくつもの視点が考えられます。ルイス=カー
ンのサーブドスペース/サーバントスペース(生活空間/生活空間を支える空間)では、
それぞれの部屋名はカッコに入れて使い方の主従関係だけをみるとそのような図式が
浮かび上がってきます。他にも、水を扱う/扱わないという関係を考えると、玄関・
サンルーム・土間(水で洗う)、洗面・浴室、キッチン、ユーティリティー、トイレ、
庭などと、そうでない乾いた部屋の図式が浮かび上がります。用途のあるスペース/
何となく過ごすスペース、空調する/しない、見える/見えない、明るい/暗いやなど
など、それぞれの空間で表現するよりも移動した時の変化や、全体を振り返った時の
関係の面で面白いものは奥が深く魅力的です。要するに、視点を変えるといろいろな
関係性が見えてきますが、そこから見えてくるものが大切なのだと思っています。


2007/7/15

石塀小路/京都

 15 

copyright WATANABE YASUSHI architect & associates