町の東約40kmのところに、周囲を約5kmにわたって土の壁で覆われた高昌故城があります。 城内には王城址や数多くの寺院の遺構が残っています。イラン様式のドーム型の講堂、インド式の仏塔、当時の修行僧たちの住居跡は中国式、という具合にシルクロードの要衡として栄えた高昌国の国際性が残るシルクロード最大の遺跡です。 高昌国は、漢の時代に城壁が築かれ、13世紀初頭の元の時代まで、1000年あまりにわたり、政治、経済、文化の中心として栄えました。 628年には玄奘三蔵が、仏教の経典を求めてインドへ行く途中、高昌城に立ち寄り、国王麪文泰(きくぶんたい)の懇願をうけて1ヵ月間にわたり仁王般若経を講義したといわれています。 640年に唐に滅ぼされ、黄色い荒地に、風化に耐えながらその面影を伝える城壁や王宮が、無人のまま崩れかけた姿で残り、交河故城とともに、栄枯盛衰を感じさせています。 Return to SilkRoad Trip Page
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