シルクロード、絹の道とは、中国の絹織物が地中海の国々まで運ばれた、ユーラシア大陸を横断する古代の交易路をさします。その東の終着駅が中国の西安であり、西の終着駅がローマでした。シルクロードに点在するオアシスのバザールは、東西各国の商人達で満ちあふれ、隊商市場として大いに栄えました。これらのオアシスを中継地とした多くのキャラバンは、東方からは中国の絹織物のほか銅鏡や漆器などを、西方からは銀製品や、毛織物・ガラス製品などを運び、物だけでなく、異国の風俗や宗教・美術や言語などのさまざまな文化をも、もたらしました。
古代東西交流の動脈を、初めて「絹の道」と呼んだのはドイツの地理学者リヒトホーフェンでした。ドイツ語の「ザイデン(絹)・シュトラーセン(道)」が英訳され「シルクロード」となりました。
ひとくちにシルクロードと言っても、大きく分けて中央アジア北部の草原地帯を通るものと、中央アジアの砂漠地帯のオアシス都市を結ぶルートの陸路2本、それに中国南部からインドを経てペルシャ湾・紅海にいたる海路があります。中央アジアのオアシス都市を結ぶルートは西安を出発点とし、途中、中国国内でさらに3つのルートにわかれ、天山北路・天山南路(西域北路)・西域南路と呼ばれます。
東西7,000kmにもおよぶこの古い道は、狭義で西安から始まり、河西回廊を経て新疆ウイグル自治区に入り、広大なタクラマカン砂漠に行き着く西域北道と西域南道の2つの道を指していいます。
西域北道は玉門関を出てタクラマカン砂漠の北を行くルートで、途中には幻の王国といわれた楼蘭(ローラン)、庫車(クチャ)、阿克蘇(アクス)を通り喀什(カシュガル)に至っています。
西域南道は陽関を出てタクラマカン砂漠の南を行くルートで、途中には和田(ホータン)、ヤルカンドを経てやはり喀什(カシュガル)に至ります。
パミール高原で合流する西域北・南道を総称して天山南路といいます。天山南路はパミール高原を越え、中央アジア、西アジアを経て地中海へと続いています。
一方、天山北路と呼ばれるルートはハミ、トルファン、ウルムチに沿って西に進み、イリ川・チュー川を渡りカスピ海を越え黒海からコンスタンチノープルへたどり着きます。