"TOO MUCH MONKEY BUSINESS" |
"TOO MUCH MONKEY BUSINESS" TRACK LISTING (* Previously released) 「チリリりリン」 (ミュージック・バー『エルビス』の扉を開いたときに鳴る涼やかな鈴の音。これは、『エルビス』のマスターI氏と、そこへ来た客T君との会話、すなわちいわゆるひとつのIT対談をテープ起こししたものである。) 「やあ、いらっしゃい、T君。久しぶりだね。」 「やあ、マスター。色々忙しくってね。暇な先生も走る12月、しかも20世紀最後の12月だからね。なかなか来られなかったんだよ。外は、雪降って、しばれてるわ。」 (カウンター席によっこらしょと座る。) 「今日は、人出てるかい?」 「うん、そうだね。忘年会シーズンだからね。人、凄かったよ。今日は、12時過ぎはタクシーは絶対拾えないなぁ。」 「外はすごく寒そうだけど、でもいつもの、ビールでいいんだよね。」 「うん、ものすごく冷たいのよろしく。っていつもここのは冷たいけど。…あれ、いまかかってるこれ。ついこの前うちにも来た、FTDの『トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス』だね。」 (I氏、サーバーからジョッキにビールをつぎながら) 「うん、そう、そう。そうだよ。うちには3日前くらいに着いたんだよ。」 「うちもその頃についたよ。でも忙しくってさー。時間なくてね、まだ車の中でだけでさ、2、3回しか聴いてないんだ。」 「そっかい。俺はこうやって店で聞けるんで、もうかなり聞いたよ。」 「ふっー、車の中でなくここでこうやってゆっくり聴けるなんて、うれしいよぉ、すごく。これはあれですよね。むかしむかしのふたむかし前に、LPで出たやつですよねぇ。マスター。」 「そうそう。1981年だったかな。『ギターマン』ってやつがね、出たんだよね。そっかー、もう20年くらい前だからふた昔前なのかー。」 (と、T君に、ビールを差し出す。) 「あっ、どうも。……うひょー、つめてー、つめてー。いつもながらこの半分凍ってるようなきりきりに冷えたここのビール最高なんだわさー。この店のサーバーが壊れてんのかもしれないけど、このきりきりに冷たいのがたまらんのよねーー。で、その『ギターマン』なんだけどね、たしか1980年にリ・レコーディング=いわゆるひとつの再録音されたものなんだよね。」 「そうそう。フェルトン・ジャーヴィスがプロデュースし、チップ・ヤングがエンジニアやってるんだよね。そして、エルビスの歌のバックにまったく新しい演奏を付けた。通称 "フェルトン・ジャービスによる「ギターマン」セッション" と、当時は呼ばれていたんだ。」 「ミュージシャンは、エルヴィスゆかりの人物では、ギターがチップ・ヤング、ピアノが、デイヴィッド・ブリッグス、ドラムがジェリー・キャリガンなどいるね。」 「1曲だけなんだけど、(曲の)「ギター・マン」では、ジェリー・リード自身がギター弾いてるよ。」 「ほーほー。そりゃぁすごいっすね。ああ、あと、ベースのマイク・リーチっていう人は、エルヴィスの1973年12月及び1975年 3月セッションにおける、オーヴァーダブ・セッションで、アレンジャーやってるんだよね。後者のオーヴァーダブ・セッションでは、ベースも弾いています。」 「へー、T君ずいぶんくわしいねぇ。恐れ入りました。」 「えっへん!でも、その他の人達は、僕は知らないなぁ。ところで、ばい・ざ・うえい、その後このLPはCDにはなってなかったんだよね。」 「そうだね。LPだけだった。」 「僕は、エルヴィスに・はまったのが6年くらい前だから、その未CD化音源って奴を集めるのに苦労しているんですよ。 金箱、銀箱はその後CDになったのでよかったんだけど、あの例の歴史シリーズとかさ、ピュア・エルヴィスとかさ、『ジス・イズ・エルヴィス』とかさ、そしてこのLP『ギターマン』ですよ。中古レコード屋行っては餌箱あさって。捜した、捜した、捜した。LPの『ギターマン』手に入れたのは、ついこの秋の話なんですよ。」 「T君は、普段から、ずいぶん苦労してるんだね。俺は、ま、GIブルースの頃からエルビスに・はまったんで。で、それからは、だいたいずっと出たものは買ってる。この『ギターマン』も、もちろんリアル・タイムでLP買ったよ。1981年だもなー。ほんとに20年近くも前の話なんだな。時のたつのは早いもの。だな。(しみじみする。)でも最初聞いたときは、そのいわゆるひとつのナウい演奏のエルビスにひっくりけーっちまったけどね。」 「ほー、ほー。」 「なかなかなじめなかったねー。こんな演奏で歌うエルビスにさ。実は今でも、そう思うんだけど。なんだか、西村晃の・にせ黄門さまって感じだったね。」 「そーだったんだー。僕は、そんな感じはしないなー。まあ、つい、2、3ヶ月前に生まれて初めて聴いた音源なんだけど。これはこれでおもしろいと思ったけどね。西村晃もその後本物の黄門さまになったしね。」 「そうかい?俺は、これは異物だと思うけどね。おもしろくはないなぁ。西村晃も、小林旭の日活映画でチンピラ役やってた時が一番輝いていたよ。」 「そういえば昨日インターネットのエルヴィス・ファンの掲示板に「『Too Much Monkey Business』に収録されている録音は、エルヴィスの死後、レコード会社の人間が、エルヴィスの歌以外の伴奏の部分を「今風」に焼き直して、ひと商売してやろうという目的で勝手に作り替えたものなのです。」って書いていた方がいたよ。マスターもそう思うんでしょ。」 「おお!俺もその方と、全く同意見だ。ミー、トゥー。へー。俺まだ、パソコン持ってないからそういうの見られないんだけど。うん。なかなかよいこと言うねー、その人。まったくそのとおりだよ。お友達になりたいなー。俺も、パソコン始めよーかなー。」 「その人は、タケルさんというその道においてはとてもフェイマスなお方なんだ。マスター、早くパソはじめたらいいよ。でさあ、僕は、つい、2、3ヶ月前にLP手に入れて、その時初めてこの音源を聴いた訳なんだけど、タケルさんやマスターみたいに、そこまでは思わなかったなー。逆にこの1980年当時の最新の演奏をバックに歌うエルヴィスっていうのも、すごくおもしろいなー、と思いましたよ。ギターは、ぐいんぐいんいってるし、当時流行ったシン・ドラム風っていうかトコトコいうドラムが、時にはステレオで左右に飛びかったりして。そんな演奏で歌うエルヴィスが、意外とおもしろかったりして。うん、いいっすよ。これ。」 「そうかなー。俺はオリジナルに染まってるせいか、ぜっっっんぜん、そうは思わない。違和感だらけに聞こえるぞー。タケルさんに大賛成さ!」 「デミグラス・ソースのハンバーグばかり食べているとさ、ほら、しょうゆ味の和風ハンバーグがとても新鮮に感じられる。そういうおもしろい味がこのCDにはあると僕は思うけどなー。」 「んー。新しいエルビス・ファンの人は、そう感じるのかねえー。」 「または、グレン・グールドのピアノ演奏によるゴールドベルク変奏曲(バッハ作曲)の1955年録音ばかり聴いていると、たまに1981年録音も聴きたくなる感じとでもいいましょうか。」 「俺はまあ途中からだけど、一応リアル・タイマーなエルビス・ファンだからさー。原典主義っちゅうか、オリジナル主義っていうか、もうそれをさ、浸かるくらい・染まるくらい・沁みるくらいに聴き込んだからねぇ。どうも、このCDの演奏には頷けないものがあるなー。モスのライス・バーガーみたいなさー。」 「えー、マスター。モスのライス・バーガー、意外といけますよー。ほら、エルヴィスってよく、50年代のエルヴィス、60年代のエルヴィス、70年代のエルヴィス、って三区分して語られるじゃない。77年に死んじゃったから、それ以降のエルヴィスは当然ないんですけど。だからこのCDはそういう意味では「80年代のエルヴィス」っていう感じがしますよ。」 「ふーむ。ま、おもしろい意見だね。そうすると、ETC(エルビス・ザ・コンサート)は、「90年代のエルビス」か。……たしかにまあ東京公演で聞いた、「ふられた気持ち」のイントロのシンセなんか、オリジナルにはなかったアレンジで、あれはなんか新鮮に聞こえたもんな。「90年代のエルビス」か… いいね。」 「ほら、そうでしょ。あの「ふられた気持ち」のイントロはよかったですよねー。そう考えたらこのCDもいけてると思いません?ま、しかしそれはそれとして、僕的には、とりあえず、こうして未CD化のものがこうやってCDになったということ。そのことだけでも、非常にうれしいんですよ、マスター。このCDには、そのLPの『ギターマン』が、このCDの3曲目から12曲目までにそのまますっぽり収められているんですからね。」 「初CD化なんだよね。」 「そうなんですよ、マスター。し、しかし厳密に言うと『ELVIS COUNTRY』(RCA 6330-2-R)という1988年3月に発売されたCD(日本未発売。それ以前からあるアルバム『エルヴィス・カントリー』とは同名異アルバム。)で、この内3曲がCD化されたんです(「Loving Arms」「You Asked Me To」「She Thinks I Still Care」)。その後、1999年に日本で発売されたCD10枚組のシングル・コレクションでもまた「Loving Arms」「You Asked Me To」は、CD化されたんですけど…」 「はは、あいかわらず、細かいね、T君は。(細密な切紙細工など作る)中国人もびっくりだよ。」 「ごっくん。まあ、そんな細かいことはともかく、こうやって未CD化音源であるLP『ギターマン』がまとまってCD化されたという事実。このこと自体が、僕のようなファン歴の浅い人間には、すごくうれしいことなんですよ、マスター。素直にその事実に対し喜びの意を表明したいのですよ。FTD万歳!とね。」 「このCD来て聴いてびっくりしたのはさ、1曲目2曲目、そして13曲目以降の曲は、俺も初めて聴く音源だったわけよ。LP『ギターマン』収録以外の、1980年のリ・レコーディングの曲が、ここで初放出されたわけだ。」 「うれしいですね。さすが、ブートに対抗して作られたというだけあって。FTD、がんばってるな、という感じがしますよ。FTDばんざーい!」 「でも欲を言うとさ、この時に録音されたらしい、トニー・ジョー・ホワイトがハーモニカとオーヴァーダブ・ヴォーカルで参加の「For Ol'Time Sake」も、ぜひぜひ収録して欲しかったな。FTDばんざーーーい。なしよ。((c)スタ誕の欽チャン)」 「そうですね。僕も、それは思いましたよ。トニー・ジョー・ホワイトが自ら歌う「For Ol'Time Sake」も、渋くてだるくていいんですよね。このCD届いて、僕のいつもの恒例行事である『ELVIS SESSIONS II』(JAT)への書き込み整理をすぐやったんですけどね。たしか、えーっと、306頁から 310頁あたりに載っていましたよねぇ、この1980年のリ・レコ・セッション。」 「はは。T君のマニアックぶりは、いつもながらすごいね。健太さんもびっくりだよ。」 「それを見て、その存在に僕も気付いたんですけれど。この曲の作者であるトニー・ジョー・ホワイト御大自らが参加した「For Ol'Time Sake」。うーん、とても聴きたかったですよねぇ。今回なんでこのCDに入れてくれなかったんすかねぇー。ほかにもですねー「Help Me」「The Fool」「Susan When She Tried」そして「Shake a Hand」の(unreleased)の文字が、消えなかったのも、くやしいなぁ。FTDばんざーーーい。なしよ。((c)スタ誕の欽チャン・アゲイン)」 「なんすか、T君、その(unreleased)の文字って?」 「いや、マスター。実は僕は、エルヴィスの新譜が出て未発表音源が発掘されたとき、『ELVIS SESSIONS II』(JAT)のその曲の「(unreleased)」の文字を消すことが、人生最大の生き甲斐なんですよ。」 「おお!!」 「ここ数年で、いろいろな音源が出ましたんで。だいぶ消えたっすよ。(unreleased)の文字。これが、ひとつまたひとつと消えるたびに、うれしくて・うれしくて(涙)。」 「おお!!そんなT君の姿を見て、ジョセフAタンジ君も、泣いて喜んでいるんじゃないかいっ。あ・ビールないねおかわりだね。」 「よろしく。でも、そんな愚痴ばっかり言ってもしょうがないっすよね。人生マイナスなことばかりを考えちゃあいかんすよ。何事もプラス・イメージでいかなくちゃぁ。今回も、こうやって、9曲もの、未発表テイクが出たんだから、それで「よし」としなくっちゃねぇ。髪の長い吉幾三さんも。きっとそう言っていますよ。「吉(よし)」ってね。」 「あははは。モンタナさんも名古屋方面で、きっと笑っておられますよ。」 「ところで、ぎっちょん・ちょん、この1980年のリ・レコ・セッションなんだけど、1980年の1月と2月、そして間を置いて、同年の10月と11月に行なっているんですよね。」 「そうだね。はいT君、ビール、どうぞ。」 「どうも。ところが、このCD、ジャケの曲目の処に、録音年月日の記載がないんだよね。」 「ここに、ジャケあるんだけど、見てみよう。どれどれ。(がさごそ)……あ、ほんとだ。ないね。」 「だから『 ELVIS SESSIONS II』の書き込み整理していても、このリ・レコ・セッション。いまいちはっきりしない点があるんですよ。同じ曲を違う月や違う日にも録音してるので、どうも、ブルーに・こんがらかっちゃって。」 「それは困ったね。こういう文化遺産はやはり、録音年月日や演奏者等のクレジットは記載してくれないと困るよね。」 「FTDばんざーーーい。なしよ。ちょっと、しつこかったかな。ま、コント55号の欽チャンのしつこいコントよりは、淡泊だったと思うけど。」 「T君、今日は、ギャグが冴えわったてるね。ほい、ビール。たしかに、全盛期のコント55号、そして全盛期の萩本欽一はすごかったよね。一時期は、毎日エブリデイテレビに欽チャン出てたこともあったなぁ。お、はやくも最後の『ブルー・スエード・シューズ』が流れてきたよ。この名曲で終わるっていうのが、渋いよな。このCD。」 「『 ELVIS SESSIONS II』(JAT)によると、この曲で、カール・パーキンスがギターと、オーヴァーダブ・ヴォーカルで参加してるらしいんですけど。ここ2、3日まだ車でちょこっとしかこのCD僕は聴いてないんだけど、どうも、それらしいカール・パーキンスの声が聞こえないんですよ。聞き取れて、いないのかな。」 「へー、そうなんだ。それは知らなかったなぁ。そういえば、俺はむかしからデビット・ボーイの「フェイム」のジョン・レノンの声が聞き取れないんだよな。関係ねーか。」 「マスター、デイヴィッド・ボウイって書かないと、バラカンさんに怒られますよ。」 「ええじゃないか、T君。エルビスの事をプレスリー、プレスリーっていうのよりは。」 「ま。そうですけど。でも、マスター。エルビスじゃなくて、エルヴィスですよ。」 「うんにゃ。エルビスは、むかしっから、エルビスに決まってるの!ジェリー・ホプキンズ著、片岡義男訳の本も『エルビス』だったじゃないか。うちの店も『エルビス』だしさ、だいたいテレビをテレヴィっていうかー……あ、CD終わっちゃったね。もう1回最初から聴いてみるとするべか。(と、奥へ行ってまたCDを再生しに行く。)」 「1曲目の「バーニング・ラヴ」。これ、これ!いいのりだと思いませんか。なんかすごく明るくていいなあ。ちゃきちゃきとしたハイハット。ピアノもベースものってますぜ、って感じのこのイントロ。まさにオープニングにふさわしいロケンローですよ。エフェクトされたギターがキュイーンなんていって。おにいさん、きてますきてます、っていう感じー。とことことことこちゅっータム回しも1980年のあの時代の香りがしますよ、ねぇマスター。」 「香りね。俺、プリプリの奥居香は好きだったけど。いやいや、この「バーニング・ラブ」はさ、オリジナルが持っていたカラ元気。それが命なんだよ。心の中は、悲しみに満ち溢れているんだけれど、あえてロックンロールを歌う1972年3月28日のエルビス。その全身傷だらけの悲壮感や、そんな彼を励ますかのような当時のTCBバンドの演奏が持つ愛。それがさ、オリジナル・ヴァージョンには満ち溢れていたんだよ。俺にはこのCDの再録ヴァージョンには、オリジナルにあったそんな愛が全く感じられないんだよな。」 「まー、そういわれるとそーだけどさ。でも、傷だらけのローラとは対極に位置するこのCDの屈託のない「バーニング・ラヴ」も、これはこれでおもしろいと思いますがねぇ。明るくてさ。あ、曲、終わっちゃいましたね。次2曲目。あ、このエルヴィスの冒頭の、あ、あ、あ、あっていう、どもりがいいですね。」 「エルビスの有名な癖だよね。はい、ビール、どうぞ。」 「この「I'll Be There」は、いいっすよ、マスター。今回このCDの中で一番好きっすよ。この曲。ちゃら・ちゃら/ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ。というギターがいい味だしてますよ。エルヴィスの魂の歌メロにぴたり合ってると思います。」 「うん。このテイクは俺も初めて聴いたんだが、このアレンジは、まあ好きだな。」 「僕なんか、オリジナルよりこっちの方が好きかもしれません。」 「三曲目「ギター男」。LP・A面では、この曲から始まったんだよね。だから、このCDの頭2曲、まだ俺には違和感多いな。」 「僕は、LP聞き込んでないんで、この曲順OKっす。でこのスワンピーなギターがいいですよ、この曲。お、ここのタム回しもいいっすよー、マスター。」 「え?猿回し?」 「爆。マスター、おもしろすぎますよ。」 「タム回しはさー、やっぱさー、ロニー・タットにかぎるぜ。」 「のってきましたね。さー、そして、呆阿津怒哀声音頭に突入だー。」 「大瀧詠一じゃないっちゅーの。それにしても1981年にLPで発売されて初めて聴いたとき、「ギター・マン」が、この「ホワット・アイ・セイ」に雪崩れ込んでいくのを聴いたときはえらいびっくりしたもんだなー。60年代ボックスで、そのオリジナルが聴けて、あの時も驚いたけど。はい、ビール。」 「へーーーー、そーなんだー。僕は、エルヴィス聴くようになったのは6年前からですから。だから60年代のエルヴィスは、その5枚組のボックスで初めて聴いた人なんです。だから「ギターマン」には最初っから「ホワット・アイ・セイ」が付いていたんですよ。だからマスターのそういう話を聞くと、僕も、リアルタイマーになって、驚いてみたかったなー、って、ちょっと切実に思ったりしますね。」 「えへん。次、4曲目「After Loving You」。このギリシャ彫像のようなエルビスの歌声がたまんないよなー。まあ、あたりまえのことを今更言うのもなんだけどさ、エルビスって、歌、めちゃくちゃうまいよねーーー、ハイ、T君、ビール、どうぞ。」 「そのエルヴィスの歌に拍車をかけるように絡みつくベースと低音ピアノがいいよね。そして、その対極に位置する女性コーラスが多摩欄坂もとい・たまらんすよ。」 「だいぶ酔ってきましたね。T君、全然おもしろくないですよ、そのしゃれ。それと、再度「対極に位置する」っていうフレーズ出てきたし。健太さんの「席巻する」や「向かうところ敵なし」じゃないんだから。あー、さて次、(5)。このCDのタイトル曲ですね。おおっ、なんかかっこいい出だしだぞ。ビートルズもBBCライヴでやってた、ブルーベリーもといホワイト・ベリーもといチャック・ベリーの名曲ですね。」 「マスターも、全然おもしろくないっすよ、そのしゃれ。この曲、針金のようなリズムを刻んでいる鉄線ギターが、そして、この1分5秒から始まるギター・ソロがいいな。ギュインギュインいっちゃって、いかすじゃん。」 「ベースも最初から最後まで、いい走りを見せてくれるねぇ。」 「太宰治もびっくりの、とかとんとんドラムもなかなかおいしいっすよ。」 「誰だー。1分28秒のところで、○め○に聞こえると言っている奴はー。」 「また、それかい。鶴光のオぉ〜ールナぁ〜イト・ニッポーンじゃないっちゅーの。ヴィヴァ〜ぁ〜やぁ〜んぐ〜ぱや〜ぱや〜。6曲目「Just Call Me Lonesome」。いいなー。さわやかだなー。カントリーなギターが五月の青空の下でさわやかに泳ぐ鯉のぼりのようです。エルヴィスの声もとても明るいね。」 「一服の清涼剤のような曲だね。このはじけるような透明感が、大瀧詠一の三ツ矢サイダーのCMソングのようにさわやかだなー。エルビスの声もとても明るいね。ベースとドラムのコンビネイション、そのリズムに心も解放されますぞよ。」 「このCDの裏ジャケのカウボーイ・エルヴィスのバックのアメリカ西部の青空の色のブルーっていう感じー。でも僕実はこの曲のオリジナルって、いつ、どこに入ってたか、あんまりよく知らなかったぐらいにしてー。」 「ほー、マニアックなT君にしては、めずらしい発言だね。」 「まだ、エルヴィス歴6年ですから。底が浅いんですよ。つい最近まで、『オン・ツアー』に出てくる小型飛行機をリサ・マリー号だと思ってたくらいですから。」 「あはは。それは、それは。それはそうと、ネクスト(7)。なんじゃーーー。この「ラヴィング・アームズ」はー。なんか、これは俺、絶対にだめです。反対。」 「まあ、まあ、マスター。落ち着いて。なんか、気持ちわかりますけど。でも曲自体が持つ、ずっしりとゆったりした感じや、エルヴィスが1分58秒のところでヘルミータアイーーーと歌い上げるところなんか、なかなかいいじゃないですか。」 「オーノー。この間延ーびしたギターがミーには耳障りデース。」 「マスター、急に外人にならないでください。」 「きみ、異人さんといいたまえ。のぞみ、かなえ、たまえ。(しら〜〜〜)次の(8)は、まあ、いいね。前の曲のノリとは異なる前進するリズムが心地よいかも。ハイ、T君ビール。」 「 0分55秒からの復弦使用のギター・ソロの音がいいですよー。このはじけ方が、気持ちいいです。」 「(9)だが、おお!渋いはじまり方が、おとなっぽいぞ。そして、このエルビスの「黒い」歌が素晴らしいですな。太鼓がどんどこどんどこ鳴った後の、だーん、だーん、だーん、だーん、だーん、と下がっていくところ、かっこいいなー。」 「そうですな。その後に「クリンナップユアオゥンバクヤード」て歌う前の所ね。」 「そうそう。」 「1968年エルヴィス30作目の映画『トラブル・ウィズ・ガールズ』サントラからのこの曲。その一見目立たないアルバムから、けれども実は黒いこの曲を取り上げたことからも、このフェルトン・ジャーヴィスの『ギターマン』セッションが、ただ者ではないことが、少しは分かっていただけたかな、マスターにも。おっほん。」 「いや、わからん。 と、軽くいなして次、(10)。うわっ。ひでー。なんじゃこりゃ。FTDのCD『ジャングル・ルーム・セッション』にあった、この歌の持つそこはかとない孤独感が、すっかり消えてしまってるじゃないかよー、T君!」 「マスター、この曲は2タイプあるんですよ。ほら、70年代ボックスにも入ってたじゃないですか。」 「あーそういえばあったね。テイク2Bだったかな。シャッフル・ブルース・ヴァージョンとかいうやつね。」 「僕も、それじゃない、もともとの方が、好きですけどね。『ジャングル・ルーム・セッション』の、あのイントロがアカペラで始まるのが一番好きだなー。今聞こえているこのヴァージョンのは、なんだか明るいですもんね。まあ、茶碗蒸しに入っている銀杏の実とでも申しましょうか。好きな人もいれば、嫌いな人もいる、ということでぇ。」 「この80年のリ・レコ・セッションでは、そのジャングルの曲か「Bitter They Are, Harder They Fall」「Blue Eyes Crying In The Rain」もやったようなんだが、このCDには入らなかったみたいだね。この際だから、そいつも聴いてみたかったなぁ。」 「まったく。まったくです。出し惜しみしないで〜」 「(11)。これは、さわやかでいいね。ペプシ・コーラのようなスライド・ギターが気持ち・い稲。」 「特に、間奏のギターがコカ・コーラのようにスカッとさわやか・で臑。すーっとします。サビの所なんか、つい一緒に歌いたくなっちゃいますよ。僕は日本の伝説的ロック・バンド、はっぴいえんどの「空色のくれよん」を思い出してしまいマスター。」 「60年代ボックスの大瀧さんの解説は、やっぱ、すごいっすよ、マスター。あれを読んで、僕はエルヴィスを一段とさらに好きになったんですよね。大瀧さん自身の凄さも再確認できたし。ところで、率爾ながら自分は、今までに日本で書かれたエルヴィスの文章で二番目だと思っているのが、この60年代ボックスの大瀧さんの解説なんですよ。で、一番!は何かと聞かれると、それは湯川れい子さんの書かれた『エルヴィスへの挽歌』と答えるんです。これは凄いです。なんだかんだ言っても、この湯川さんの文章に勝てるエルヴィスものは今のところないし、これから出てくることも絶対ないと思うんですよ。エルヴィスと撮ったあのフェイマスなツー・ショット写真の人ですからね。全然次元が違うんです湯川さんの場合。それと「伊代はまだ16だから〜」とか「男らしさを立てておくれ〜」など作詞された方ですから、凄いです。とにかく僕の中では湯川さんの『エルヴィスへの挽歌』と、大瀧さんの『'60sポップスとエルヴィス』これが双璧をなしていますね。」 「前田絢子さんの『エルヴィス雑学ノート』。これもいい本でした。」 「ビリー諸川さんの『50年代のエルヴィス全曲』。これも凄いっすね。いずれもエルヴィス・ファンのマスト・アイテムでしょう。」 「よいしょっと。それとさ、忘れちゃならないのが、マイク越谷さんの『ワークス・オブ・エルヴィス』だね。これもやっぱ超凄いよ。うーむ、もうよいしょの書き漏れはないかな。レココレの岩崎邦明さんの『プラチナム』の解説も、密度が濃くておいら好きだな。おおっと話がそれたね。で、もどしてっと、次。(12)。有名な曲だ。ストーンズもやってるし、エミルー・ハリスもやってる曲だね。」 「エルヴィスのは、まあ、当然ですが、キまってますね。LP『ギターマン』では、この曲で、さよなら、さよなら、さよなら(淀川長治さんのまねで)だったんですよね。」 「そう、そう。むかしはこのLP、この曲でもう終わりなんだと思うとラストのこの曲でよく泣いちまったもんだよ。」 「えっ、うっそーーー。コンサートの、好きにならずにでもあるまいし。」 「うそだっぴょーーーん。ミニモニじゃんけんぴょーん。(しら〜〜〜)ほれ、ここの間奏のややディストーションのかかったギター・ソロがいいよ。エルビスにディストーション・ギターは似合わないと思ってたけど、結構いけますな。はいT君、ビール。」 「オリジナルにこだわるマスターにしては、意外な発言ですな。で、(13)。」 「ここから、初出ものが、どどどどっと続きますです。」 「ゆっくりとしたダッダッダッダッ、ダッダッダッダッという腹に来るリズムがよいね、この曲。」 「オリジナルにあった最初の繰り返し、アイセッドアホオー、パチパチ、アイセッドアホオー、つったた、アイセッドアホオー、 がさー、いきなりなくてさー、俺はさー、はなからしらけちまった感じがしたよ。次(14)。どす黒さ→美しさへと変身した、イン・ザ・ゲットーだな。オリジナルにあった思想が綺麗さっぱりと取り払われ音楽だけが残ってしまった。これも俺的にはしらけた。このCDの中で、これ一番嫌い。」 「そうかなー。僕は雨だれのようなキーボードの美しさが印象的だったけど。うん、でもマスターのいうとおりかもね。ネクスト(15)。のどが渇いて乾いてどうしようもない状態をずっと我慢するが如くためにためる、 0分00秒から 1分00秒まで。そして、その後、徐々にだんだんと盛り上げていく此の構成が素晴らしいです。」 「(16)オウンリー・ザ・ストロング・サヴァイブ。これのちゃちゃ/らーらーの、ギターは、やはりオリジナルのレギー・ヤングのギターの方が断然良いなー。」 「僕も同感です。このCDのそのギターのところ、なんか濁った感じがします。でもマスター、レギーでなくて、レジーですよ。レジー・ヤングですよ。この前、山下達郎氏もラジオで間違ってレギーと言っていて後から訂正してましたよ。」 「ああ、そうなんだ。俺、前からどっちが正しいかよくわからなかったんだ。今もよく混乱するんだけど、レジーが正しいということなんだね。勉強になったよ。」 「(17)。えー、飛ばします。(笑)」 「(18)のイントロの玉が転がるようなキーボード。」 「それと、ちりりりりりりりりりんが、美しいそぼ降るケンタッキーの雨を描く。」 「いいです。」 「サビ突入前の、だっだっだっだっ・だっだっだ・が、く〜ったまらん。」 「時折顔を出す・ちゃかぽこも、ユニークですね。」 「(19)。エキゾチックなイントロだ。」 「尺八のような笛の音がオリエンタルな歌麻呂的魅力を醸し出しています。」 「ミステリアスなアトモスフィアが曲全体を貫いているな。」 「これはこれで、おもしろい「俺を忘れろ!」だと思います。」 「でも、これ、尺八か〜?」 「あ、なんだかんだいいつつ最後の曲(20)。」 「この名曲で終わるっていうのが渋いよな。このCD。」 「ノリノリロケンロー。歓声のような音もはいっていて楽しい。」 「エルビ(ヴィ)スってば、ロンパールームのバンバン・ボールみたいに、はずんでるな。」 「ロンパールームといえば、あの最後にみんなが飲んでいたミルクが、やたらおいしそうに見えたね。」 「あはは。今振り返ると、単なる牛乳なんだろうけど、確かに、すっごくうまそうに見えたね。♪さ、みんなでギャロップ、ギャロップ、ギャロップ、(と歌いつつ狭い店内を一周する。)」 「フェルトン・ジャーヴィスがプロデュースしたこのCDでの演奏は、演奏自体としてはケチのつけようもなく優れたものなのだけれど、そこにある音楽の中に、なにかしらもうひとつぐっと胸に迫ってくるところがないんだな。なんか、こー、ぼっと炎が燃え上がらないんだ。…と、村上春樹の文章からちょっとぱくっちゃいましたわ。」 「なんかオリジナルを冒涜しているっ、と最初の内は思ったけど、何回も聴くうちに良くなってきたって感じは少しあるね。いやよ、いやよ、といいつつも、良くなってきてしまったとでもいうか。」 「丸谷才一氏が『思考のレッスン』「書き方のコツ」の中で、文章は「対話的な気持ちで書く」のがいい、って言っている。といっても対話体で書けといっているのではないんだ。二人の人物の議論を対話体で書くのは、うまく行くとおもしろいんだが、とてもむずかしいと言っている。なぜなら、冗長になりがちだし、頻繁に改行しなくちゃならないのでスペースがなくなるからだと丸谷氏は言っているんだ。ゆえに考えるときには対話的に考えて、でも、それを書くときには、普通の文章の書き方で書く。それがいいと思う、と丸谷氏は言っている。」 「それを踏まえつつも、あえて今回その対話体に果敢にもチャレンジしたのですよね。でも、なんか、丸谷氏のいうとおり、ほんと思いっきり冗長になっちまいましたね。ははははは。」 「でも、このようなCDの原稿にも、たのきん全力投球してしまう俺が僕がかわいいよ。」 「パードゥン?」 「ノウ。バードン!ジェームズ・バートン!!!。」 「伸ばす印はフェルマーターーーーーーーーーーー。」 「失礼さんでござんした」 「いえ いえ どういたしまして」 「るるり」 「りりり」 「るるり」 「りりり」 「るるり」 「りりり」 「るるり るるり」 「りりり」 「るるり るるり るるり」 「りりり」 ――― |
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