テレビジョン 1999.10.15更新


「99.10.14放映 金八先生」 by 犬 99.1.015
また金八先生が帰って来た。学級崩壊というこれまでなかった新語が日常化している今、かつての熱血教師がどこまで対応出来るのか見物である。初回でまあ大体の今後ドラマを引っ張って行きそうな生徒達の紹介が終わったようだ。一人でいる時は目的もないひ弱な中学生が徒党を組み始めるとモンスターという本性をむき出しにする。今回の初回でもう既に「宣戦布告」をしている金八。直接モンスターと闘う姿を期待したい。ガリ勉出身の頭でっかち教師が常識的に相手の出来るはずのないモンスターたちにはもう「闘う」しかない。

また今回も生徒達の「言葉」が気になる。現実の中学生もああした口調で敬語も使わずに教師に話すのだろうか?それからシリーズを重ねるに従って生徒も小粒になっている。

「99.6.20放映 元禄撩乱」 by 犬 99.6.21
毎回見ている。そろそろ討ち入りに向けてお馴染みの忠臣蔵がはじまるところだ。つまり前半の犬公方周辺のごたごたがようやく終わったところだ。そこでその切り替えのワンクッションなのか、はたまた民放が視聴率アップの為にこれまでの経緯をこらから見る人にも分かりやすいように見せるためなのか、殆どが大石による藩主浅野とのやりとりの回想ばかりであった。出番の終わった東山ファンの希望に答えたのか、理由は何にせよ、これでは今迄見た大河ドラマ史上最低の回だった。  

「早川義夫」by モノ 99.6.21
早川義夫はもう3〜4年ぐらい前になるでしょうか。ソウルフラワーユニオンの年末恒例日清パワーステーションの前座として出てきたのを見ました。その当時復活したばかりの”生”早川義夫は圧倒的なダミ声で観客を黙らせてしまいました。TVでも見られてとは思いますがピアノを弾いてるとどんどんテンションが上がってきて椅子から腰を浮かして・・・。あの声とカラオケで歌うととっても恥ずかしいことを言っているような、でも気持ちがいい歌詞が遠い記憶を呼び覚ましてくれているのだと思います。なんで今まで本屋なんかやっていたのかと思ってしまいました。
そういえば最近BSは歌をテーマにした特番が多いようで先週なんぞはイギリスと日本を衛生で結んで生同士でライブの中継をやっており、大とりでどこかの庭園の音楽堂のような所でポール・ウェラーがオーケストラをバックにギターを弾きながら歌っていたのを偶然見ました。日本の司会は黒柳徹子。イギリス側の司会は西田ひかるでした。

「フォーク大集合99南こうせつとアコースティックフレンズ」by 犬 99.6.4


昨日、偶然BS2でこの番組を観た。かぐや姫、チューリップ、さだまさしとニューミュージックでよく聞いていた人達が出ており、ああまた過去の栄光のヒット曲集かと思っていた。題名からわかるように「南こうせつ」が司会も兼ねているし、会場の観客はどうみても歌謡ステージと同じでおばさん連中と演歌系のおじさん達だった。さだまさしの得意の喋りとあの声でおじさん、おばさんは満足していた。そして次になんと早川義夫が登場した。「南こうせつ」の話では頼み込んでなんとか出演してもらったらしい。彼が唄った曲はピアノソロで「サルビアの花」「父さんへの手紙」の2曲。噂には聞いていた伝説のシンガー早川義夫。23才でジャックスを解散し引退後は本屋を営み、そして数年前に復活。声は少し震え、ピアノを弾く指が振れていたり、ピアノを弾きながら腰は上下に動いたり。そしてもっと深い意味のあるのかも知れない少年のような詩。子供〜青年の頃を回想するとそのナレーションに出てくるようなまだ純粋だった頃の懐かしさ。もっとイメージとしては難解な人なのかと思っていたが、この番組を見ている内にその思いは無くなった。複雑な迷路のような歌詞、或はまったく意味のない単語の羅列、そして単純なビートばかりのリズム、こうした音楽が氾濫しているからこそ、早川義夫のような音楽もまだ生き延びられるんでしょう。更に新たな聞き手を増やしながら。

NHKBS2「フォーク大集合’99 南こうせつとアコースティックフレンズ」
 出演 さだまさし/財津和夫/ダ・カーポ/早川義夫


歌手、タレントの売り出し方
売れてしまえば勝ち!だとは思います。 例えば、ASAYANから登場してくる歌手とは思えない歌唱力のアイドル達に何か条件をつけて売り出す。例えば、電波少年や雷波少年でのサムエル、その他の芸人達。

モノ 99.5.14

タレントはなんでこんなんが売れてくるの?と首を傾げたくなるような方々がTVで踊っています。これは深夜番組の多様化とサイクルの早さに原因があると思います。よりマニアックに掘り下げて制作者の好きな番組が作れるからです。それに反応する人たちと遅れちゃいかんとする人たちがこの深夜番組を盛り上げているのです。そうなるとタレントの数が不足してきます。名前が売れてきた人たちはゴールデンタイムに進出していき飽きられるとポイ。何しろ深夜番組は鮮度が大事ですからタレントも生きのいいのがいいわけでちょっと巷のライブハウスや前説で目に付いたのがいると採用するという形が最近定着しているようです。昔以上にタレントになろうという人たちが増えているのも有るのかも知れませんが。
ASAYANもオーディション番組になってからは見ていません。番組が始まった頃の「ブランドクイズ」?だったかな?が懐かしく思い出されます。売り出し方はどうであれ売れないこともあるわけですから。まあ事務所のオーディションを公開番組でやっていると思えば特別変なことをやっているわけではないと思います。その昔「スター誕生」なんて番組もありましたし。
サムエルも番組としてはおもしろく見させていただきました。当の本人達は本当に人生かけてやっていたのでしょうから。でもあの「ラストチャンス」と言う歌はどうでしょう。もうすでに新しい曲の「さよならじゃない」の方が耳慣れしていて「ラストチャンス」てどんな歌だっけと記憶をたどってしまいます。所詮私には縁のない歌、グループだったのでしょう。

犬 99.5.14

魚ではないですがテレビで生き残っていくには相当の鮮度がないとダメな様です。この鮮度のある内に私は自分を売り出した事以外にもまだポケットがありますよと十分にアピールできていないと鮮度が切れると画面から消えてしまうんです。例えば電波、雷波などの売り出しのきっかけになる番組に出させてもらっている内はまだ鮮度があるんです。その後ですね、難しいのは。
また当然ですがトークが出来ないとダメですね今は。よってこのどれも当てはまらないのにまだテレビに出続けている人というのは多分、別の方法で生き残っているんでしょう。
もうひとつ。これもこれらの番組に言えることですが、ナレーションですべて仕切っており、そこに歓声を被せる。つまりすべて番組の企画なんです。だからこの企画に乗っている内はバナナにすべって転ぶような事でも爆笑してもらえるんです。
また売り上げ順位が何位以内に入らないとだめという条件で売り出す企画もあります。多分これは番組を見ている視聴者の一種のボランティアです。よって曲はなんでもいいから買ってあげようと。中には何枚も。それはそれでいいとは思いますが有名ミュージシャンが曲を提供すればそこそこ売れるのはわかっていますので、そのそこそこをドーンと売り出す彼等の作戦でもあると思います。テレビでこれでもかこれでもかとレッスン風景を垂れ流し、涙と汗を見せつけてそこで「同情するならCDを買え」と。また見えないところでそれにかかわったスタッフ達の奮闘もあるはずです。


  • 1998の「TV」を振り返って by 犬 99.1.7
  • 「弱いもの虐め」と「健康」この二つのテーマを流しておけば有る程度の視聴率が稼げる。弱いものは皆で虐めて笑って、でも自分はもっともっと健康になり幸せになりたいという人間本来の欲望そのままです。強いものにもこういう弱点がある、こういう健康を詠っている食品にもこういうマイナスがあるという番組ではスポンサーが付かないか。また「青い鳥」「神様少しだけ」「世紀末の詩」「眠れる森」といったマンガのドラマ化ではない映画級のドラマもあった。

  • 1998の「TV」を振り返って by モノ 99.1.6
  •  今年の「テレビ」はなんと言っても「世界二輪選手権」のほぼすべての完全生中継でしょう(ワールドカップ開催時は延期)NHKでなければできなかった偉業です。民放ならば採算が合わないとか人気がないとかの理由で事前に断念していたでしょう。テレビ大阪が10年ほど前から日曜深夜に放映しているが生ではない。たぶん今年は放映しないと思います。NHKのスポーツの放送内容には頭をひねるような物がありますが、日本で人気のある物はほとんど民放に持って行かれるので、どうしてもこのように2番目3番目の物になってしまうのはいたしかたないことですが、世の中にはこれらのスポーツ(全米バスケット、大リーグ、サッカースペインリーグなど)のファンが日本中にいるということがわかります。 次に日本TV「進ぬ!電波少年」が1年を通じて見ていたバラエティー番組です。今年は「パンヤオ、アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」「なすびの懸賞生活」「ロッコツマニア無人島脱出・スワンの旅1,2」の3本を軸に安定した路線を歩んでいたように見受けられました。それに姉妹番組たる「進め!雷波少年」まで放映され勢いのすごさを見せつけました。これも番組企画と、出演者のキャラクターによる物だと思います。しかし今後はフジTVの「笑う犬の生活」などに代表されるコント番組も息を吹き返していってもらいたいと思います。

    7.フジテレビ系列「GTO」by 犬 98.9.25

     「こんな先生がいたらなあ」と大人気だった学園もの。もう学生時代から大分経っているからでもあろうがこのドラマ、今迄の学園ものよりも「教師」側に比重を置いた話が多かった。主要な生徒1人1人の問題解決が各話のテーマではあったがそれに附随してGTO以外の教師についてもその人間性をドラマにしていた。問題を抱えているのは生徒だけでなく教師にもあると。主人公の鬼塚(GTO)はそんな生徒や教師の問題点を把握しつつ糾弾していくわけでも無い。「人間必要になれば動く」と。結局、教師も生徒も一丸となって学園存亡の危機を乗り越える。ハッピーエンドだ。それはそれでいい。でも現実には教師にも学校にも友人にも親にも興味のないモンスターが多数存在している。目のスワッたしゃかしゃかリック野郎達だ。人間の心を持っていないモンスター達。早くこうしたモンスター達を退治する学園ドラマとやらの登場を待っています。あまりにも現実に目を向け過ぎると人気タレントのドラマとしては成立もしないだろうし、製作されもしないだろう。所詮この原作は少年向けマンガ雑誌だ。マンガです。マンガ。

    6.9/15 放映NHK特集「 介護Uターン・サラリーマン・それぞれの選択 “故郷で親を看取りたい”団塊の世代のUターン」by 犬 98.9.16

    こちらは介護する立場からの番組。「介護Uターン」。親の介護する為にUターンする事。定年後、親の介護を故郷でする為にマイホームの売却など着々と移住の準備を進める会社員。もう一方は親の介護の為に自分は単身赴任する会社員。どちらの会社員とも登場してくる家族の協力がとてもいい、第3者の眼からはとても親思い、家族思いのいいケースだった。まず、双方とも会社員の子供達、つまり介護される老人達の孫達の姿が出番は多くはないがしっかりしている。父親の単身赴任先に母親が赴く時には祖母の介護を引き受ける孫娘。将来は看護婦になるのが夢だと言う。茶髪にして高下駄を履いて携帯をブラブラさせている暇はない。またマイホームを売却してまで老いた両親と共に故郷で余生を送りたいする会社員の老いた父は暫くの帰郷の際、故郷の家を離れたなくないと駄々を捏ねる。しかし、怒る事もせずに優しく老父をなだめる息子(会社員)の姿。この両会社員の姿、まだまだ先の話と思って見ていられるのも今の内。

    5.9/13放映NHKスペシャル「私たちの新天地・定年後、どこで暮らしますか?」by 犬 98.9.16

    定年後、子供の世話にならずに自分達だけで生活しようと動き始めている夫婦達。仕事仕事で定年を迎えてしまった貿易関係会社の元部長。定年の日迄仕事仕事だった為に挨拶回りは定年後に。趣味と言えば庭いじり位。定年後もきちんと早朝には起きる。隣近所の付き合いも特別仲が言い訳ではない。毎日が長い。パートに出ている妻に最近インターネットを習っている。そんな彼はかつで山梨で親から譲り受けた果樹園をしていたが台風で駄目になってしまい、上京、そのまま今の暮らしになっている。そんな夫婦がある説明会に参加した。田舎での定年後の人達だけの共同住宅。提案者は地元の定年間近の教師。この教師の土地に共同住宅を建て回りの空き地に畑を作り自給自足の生活をする。説明会では同じ様なおもいを持った人達が沢山集まり、説明会後のグループ懇談で話が弾み「こんな人達とならば一緒に住んでみてもいい」と思うようになる。そして息子を伴って現地へ見学に行く。両親のこの計画には終始反対の息子。そんな息子に対し父親はふと予定地の前にある草茫々になった蜜柑畑を見て「こんな草では育たんぞ」と一本一本雑草を抜き始める。見学後、ある一室で夫婦と息子がこの計画について話している。息子はやはり否定的。しかしもう夫婦の意志は決まったようだ。定年後、どこの会社のどんな役職かはもう通用しない。定年後、何が出来るか誰と居れるか。

    定年後ゴロゴロしていた彼が雑草に被われた蜜柑畑を見てまた動き出す。この「動き出させる」何かがある人はそれだけで幸せだ。世の中「動き出させない」何かで一杯だから。

    4.「学園ドラマに登場する教師に対する言葉使い」by 犬 98.7.21

    今や、生徒が教師に対して「敬語」を使うという事は学生生活では常識ではないのだろうか?先日見た「女教師」というドラマ。教師に叱られた男子生徒(高校生)は「うるせえな!」と言って教室を出て行った。特別、問題生徒でも暴力生徒でも不良生徒でもなさそうだった。ちょっとでも自分が気に入らなかったら直ぐに「非敬語」を目上の人に公の場で返答するというのはどういうものだろうか?これはドラマの話だとは済まされないようにも思える。年齢というものを余りにも「基準」に置き過ぎるのも問題では有るが、「最低のマナー」というもの

    3.民放に蔓延する「人の不幸を売り物にする番組」by 犬 98.7.6

    人の不幸、ハプニングを流してそれをスタジオでタレント達が意見したり大笑いする番組が多く有る。NG特集なんかもそうだ。まあNG特集は役者達が自分のミスまでも人に見られてしまうという点では可哀相だがそれが職業である以上しょうがない。不景気な世の中では娯楽が大きく求められそれで人々は元気を取り戻す。自然の脅威や災害の怖さなど「生きて行く上で参考になる」ような教養的な番組意図ならば大いに結構だがこういう老人にはなりたくない、こんな馬鹿なことを俺はしないといいネタにしている番組がある。本職のお笑い達の笑いよりも素人の方がよっぽど面白く見えるんでしょう。人の不幸というものには大抵誰でも少しは興味があるものです。あまりにもこういう番組が蔓延るようになれば「人は人の不幸、弱点を公で曝されてもいい」という「人の迷惑お構いなし」の無神経人間がどんどん増殖していくことになるでしょう。笑いたくてもだまって堪える。言いたくてもだまっている。その堪えきれないつい一言が「夜道での逆襲」に遭うのです。

    2.NHK衛星第一「世界二輪選手権」by モノ 98.7.6

     さて今年になって楽しみにしているのがなんと言ってもNHK衛星第一で大体隔週 に放送している「世界二輪選手権」です、しかも生放送です!これには驚きました。 初戦の日本GPを放送することはあっても他の国のGPをしかも生放送するとはまさに青天の霹靂であります。ここ10年ほどTV大阪(東京ではテレビ東京で放送)が 日曜の深夜に放送しているのが唯一の情報だったのが(しかもGPは125CC,250CC,500CCの3クラスがあるがTV大阪は初日に500CCのみを放送し て残りの125CCと250CCは翌週の放送となっている。)生で全クラスを放送 するのである。やるなーNHK見直したぜ。これなら受信料を払ってもいいと初めて 思った。これは二輪レースファンならば諸手をあげて喜んでいるに違いない。果たし てこの番組を見ている人が日本中にどれくらいいるのか不明だができればこのまま続 けていってもらいたいものだ。日本はモータースポーツが今ひとつ盛り上がらない。 それというのも小さい子供がモータースポーツに接しにくい環境であることが1番の問題と思います。モータースポーツ先進国は小さい頃からモータースポーツに接する機会が多いし又親もとても熱心であると思う。日本で言えば野球やサッカーをやるの と同じであろう。ここ数年日本人ライダーの活躍がめざましいのでとても見ていて楽 しい。やっぱり同国人が世界を舞台に戦っているのが何とも頼もしい。

    1.NHKスペシャル「学校・ 荒れる心にどう向き合うか」by 犬 98.6.22

    先日2週にわたってNHKは「学校・ 荒れる心にどう向き合うか」と題して98/06/14「@広がる学級崩壊」と98/06/21「A教師たちの模索」を放映した。どちらも現場教師達の現実と苦悩を追ったドキュメンタリーである。新聞等で知ってるつもりであったがこの番組を見て少々ショックを受けた。今の小中学校教師達のなんと生徒寄りの指導になったことか。

    @広がる学級崩壊

    ある小学校の1年生学級においてそれまで行って来た教育方針が今の子供達に通用しない現実とのギャップに苦悩する女性教師の姿。そしてそれを自分の担任と同様に対処しようと努力する同僚教師達。この学級、授業中だろうとなんだろうと「人の机の上を歩いたり」「ふらふら歩き回ったり」「廊下に出たり」する男子生徒がいる。またこの子、何が不満なのかクラスメートに暴力を振るう。よって授業は泣く子、話を聞かない子等で授業どころでは無い。年輩のベテラン女性教師もお手上げ状態である。そこで同僚教師達は順番でこの学級を巡回したり、時には問題の子を抱いてあげたり、授業内容を教えてあげたりと色々と協力していく。中には保健室のベットでこの問題の子からやさしく話を聞き、本当はいい子だと言ってあげるベテラン女性教師。そして親子の交流目的で体育会を催しそこでは皆、楽しそうにしている子供達の姿が映し出される。しかし、この学級に対する特別な計らいがかえって他のクラスからの嫉妬や問題児以外の子に広まる不満など、また問題が山積していく。よってこの学級に対する特別な計らいは中断する。

     皆、自分を構って貰いたいという願いがあるのは分るが、それも赤ん坊のような感覚だ。だっこされて甘えてる。なんじゃこりゃ。それと飽きるとすぐフラフラするなんて家で何とかしてから学校に送り出せって。それでついでに他人の机の上を歩くとは!!お前は犬か??ツマラナイ授業をじっと聞く事が出来ないのはしょうがないし、その気持ちもわかるがだったら1人で消えろ!!他人を巻き込むなって。大器晩成ってものあるし、これで人生終わりではないしかえって将来大物になるのかも知れません。この生徒1人でクラスが掻き回されて授業に集中できない教師にも一言。一応、標準的な注意はして、それでもダメなら、もう教室に入れるな。家に帰せ!!

    A教師たちの模索

    いくつかの中学校のケース

    1.朝、校門前で威圧的に迎えるのではなく、下駄箱周辺を掃除している風に粧って生徒に声を掛ける男性生徒主任。

     出迎えられた経験はないが朝の挨拶を半強制的にでも習慣付けるとなるならば効果があると思うが。

    2.担任生徒全員と交換ノートをしている男性教師。中にはぜんぜん書いてこない生徒もあり、それでも「白紙というメッセージ」に対し返事を書いている。

    本音をもっと書いて欲しいだろうが、誰が教師に本音なんて吐きますか。差し障りの無い様な事ばかり書くのが関の山です。

    返事には「〜〜〜がんばれ」はもう使わなくなってきたようです。

    3.修学旅行シーズンになり理由も無く欠席を届けてくる数人の生徒達に対して「何度も何度も電話して時には自宅に行って生徒に出席するように呼び掛けている」先生達。

    修学旅行に参加すると言う事がそんなに教師にとっては重大なんでしょうけど生徒側にとってはそんなでも無いのかも知れない。頑張って生徒の家々を訪問していた先生には申し訳ないが、どうもそうして努力している姿を見ていて「誰も聞いていない選挙演説」を繰り返している候補者のように思えました。或いは「もういい!!」って言いたくなる街頭アンケート調査と称した宗教活動員。

    4.教師が髪を染めて学校に来る生徒の自宅迄行って、後日その染髪を止めた生徒の報に拍手の沸く教員室。

    中学生頃の指導方針での茶髪はそれこそ重大問題として教師達は取り組むのだろうけど、その茶髪に染めて来た生徒の「なんかしそうなサイン」にそこまで大きく注目する必要性もあまり無いように思いますね。その茶髪が原因で何か問題があったとしてもそれは自分の責任。こういう番組でよく登場する文字記号のような単語「生徒の見えないサイン」って何ですかね。生徒の発しているサインに気付かなかった教師の責任。そんなサインに一々気づかっていられるか。言いたい事があれば口なり文書にして表現する。今なら電子メールでもいい。言わなくても「仕種や態度」で分かってくれるなんて思っている事自体が甘えている。それをキャッチしなければならないは親です。親がキャッチ出来ない様な微弱な信号を何十人も抱えている教師に検出させる能力を求める事が無理です。

    5.特に問題を起こす子ではないが茶髪にしては校内で黒で染められまた翌日茶髪にして来る男子生徒とその担任。

    「非行の始まりは身だしなみから始まる」と言われています。一理あると思います。しかし問題はそういう見えるサインを発する子ではなくて、自宅の部屋で隠って悪戯電話したする変質者を発見することですね。隣にいる変質者をどうやって捕まえるか。これは、大人社会でも大きなテーマです。

    6.生徒にアダナ呼びされる程に生徒側に寄り添った指導をするベテラン男性教師。

    プライドもあるでしょう。そういう取り組み方もあると思いますが、いつか、はち切れない事を望みます。

    7.「家では言う事聞かないから学校で指導して欲しい」と言う問題生徒の親。

    そんなに自分の子をモンスター化することはないと思う。もし本当のモンスターなら退治するしかない。せいぜい、髪の色がちょっと黄色いくらいの小動物でしょう。