芝居 99.1.7更新

[5]:1998年を振り返って by犬 99.1.7

またもや劇団四季の一本勝ちでした。既成の劇団もそれなりには活動をしていますが、もはや有名劇団出身という看板だけでは通用せず、テレビからひょこっと入って来たタレント達に押されっぱなしでした。この現状を打破して再び演劇界に活気を呼び起こす方法はもはや存在しないのかも知れません。有名俳優達もまたもやテレビで稼いで本業の芝居で浪費するという生活は続くでしょう。

[4]:1998年を振り返って byモノ 99.1.6

今年は何も見ていないのでコメントはありませんが、今年最大のニュースといえば

劇団四季の劇場ができたことだと思います。あれだけ本格的な劇場を一つの劇団が所

有するということはすごいことだと思います。あまりミュージカルというジャンルは

見ないので足を運ぶことはないとは思いますが何かの機会に1度は訪れたいと思いま

す。

[3]:「愛は謎の変奏曲」by 犬 98.11.11

新劇界の大御所仲代達矢と最近ねちねちさが薄くなった風間杜夫の二人芝居。孤島で、一人暮らしのノーベル賞作家(仲代達矢)の元へ、地方新聞記者(風間杜夫)がやって来る。ベストセラー最新作の「未完の書簡集」についてのインタビューのためだ。何故、マスコミ嫌いの大作家がこの地方新聞記者の取材に応じたのか?書簡の相手は実在するのか?二転三転するストーリーの妙、大物役者の安心して見れる演技。いい芝居でした。

そしてもう一つ、インターネットによるメール通信時代だからこそ、この芝居の内容が重く感じられました。

[2]:マルセルマルソー by 犬 98.11

パントマイムの神様の待望の公演。待望と言ってもポールモーリアや近年までのブーニンのように日本には既にお馴染みの人です。フランス人らしくちょっと洒落ていて、ユーモアがあって、しかし、演じている現実がとても深刻であるという事が「一言も」喋らずに観客に伝わってきます。例えば日本のイッセイ尾形のようにある職業のある人物の「クセ」を執拗にものまねをして「いるいるああゆう人!」の表現力に驚くというのではなく、「ああゆう所にはこういう人とああゆう人があんな風な会話をしているんです」という事を表現しています。これこそ驚くべき人物です。あと何度、日本に来れるかわかりません。一度、観る事を是非お勧めします。

「1」:「身毒丸」 by 犬 98.9.3

蜷川が寺山をする。これだけで演劇ファンは観に行くんだろうな、と思って観に行きましたが、どうもそれだけではなさそうです。主演の藤原竜也目当ての女性陣で満員でした。地方公演の最後とあってエンディングには多数の花束が客席に投げ渡されました。その花の奪い合いも当然起きていました。こういう現象ですから一体芝居自体はどうだったのか?と疑問になります。マスコミにも取り上げられていた「藤原竜也の尻出」は一体何の意味があったのか?あまり真剣に一つ一つの意味を考える事自体が天国の寺山の罠にはまった事ににもなるでしょう。またオールドファンにはどうも芝居小屋の雰囲気が出ていないと嘆くかも知れません。でもそれは大ホールで商業演劇の雄、蜷川幸雄演出なんですから入る前から分かる事でしょう。芝居は芝居小屋で役者の汗が飛んでくるのが醍醐味だと思う芝居ファンの時代はもうかなりの少数派であって今や大半は路でしゃがんでいるような若者がお湯かけて3分待つ間に書けそうな内容の芝居をこれまた「お目当て」のみ目的であとはどうでもいい女性客の時代です。そうです。今や芝居の客は女性ばかりです。いや劇場という劇場の客も。男達は劇場には来ないんです。寝ているんです。パチンコしているんです。競馬しているんです。ゲームしているんです。フィギュアを眺めているんです。そして遅く迄働いているんです。でも劇場という劇場での演目は寝ずにパチンコせずに競馬せずにゲームせずフィギュア集めずの男達によって生み出されているんです。芝居を観たい「女性」に付いてくる「男性」の姿ではなく自分が観たい芝居を観に来る「男性」の姿が多く見れるそういう芝居に早く出会いたいものです。蜷川が寺山をするだけではもう人は呼べないのかも知れません。女性にとって自分だけの天然素材を手のひらでそっと育てていく対象の存在が成功の秘訣かも知れません。

この現状、何とかしてよ!!!

「1」について by モノ 98.9.7

芝居の件は今に始まったことではないが、女性がブームを作ることが多いのはやむおえないことなのと思っている。などと消極的な後ろ向きな男どもが世の中には多くなってきてしまっているのかもしれない。何か打開策を講じたいが、田島陽子あたりに一吠えさせられそうだ。