ドラマ『白線流し』の世界を訪ねて

小川天文台の歴史(1)


岐阜金華山天文台・坂井義雄の思い出

坂井 義人
 

1.はじめに

  父親、坂井義雄が、平成14年4月26日に亡くなった。享年満79歳。平均寿命をわずかばかり上回った死出の旅路となったものの、ほぼ10年近くの術後経過の末の他界となってしまった。身内親族、とりわけ影響力の大きかった父親の死というものは、かくのごとき走馬灯のような記憶を蘇らせてくれるものとはたぶん想像だにしなかったものの、宇宙会会員皆様には、お知らせとご挨拶という意味合いから、しばらくお付き合いいただけましたら、望外の幸と存じ上げます。なお、本文の投稿に際し、宇宙会の冨田良雄様のご配慮と、また貴重な紙面をお借りしての駄文の掲載をお許しいただきました会員皆様の暖かいお気持ちに対しまして、長男の立場より親族を代表いたし、深く御礼を申し上げたく存じます。


  父、坂井義雄が、現在花盛りとも言うべき隆盛を謳歌する、初期の公開型の天文台施設建設に着手いたしましたのは、いまだに戦後の暗澹たる風景を残す昭和25年前後の、満20歳代半ばのことでした。
 多分、 宇宙会の会員皆様には、坂井義雄という名前は、坂井誉志男と表記をいたしました場合、かえって得心をいただけます方々もおいでになるかと思われます。「誉志男」というペンネームは、実の所、音読みの「ほしお」を連想させるところから意識し、またこれは恩師の山本一清先生の、言うところの一つ星・・・イッセイ・・・を真似て名乗ったものとも聞いております。誉れ高く、また、星に通じる人生を歩みたいとの意思であったものと解釈して差し支え無いと思っております。

 
  
 

ドラマ『白線流し』の世界を訪ねて小川天文台TOP>小川天文台の歴史(1)

Copyright © 2003-2005 Masaki Nishizawa All Rights Reserved