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●「賢治の事務所」の事務室から ●お願い (各コーナーの写真をクリックすると目次に戻ることができます) |
●4月1日(月) 晴れ。 いつものように、今月の写真の拡大版を載せておきます。 天文教育普及研究会からは、『天文教育』2024年1月号(天文教育普及研究会)も到着していました。 天文系アプリの運用方法に関する記事が二つもありました。 天文シミュレーションのソフトウエア「Mitaka」のカスタマイズ記事では、コントロール用のソースコードが記載。 通常、Stellaで全部間に合ってしまうため、Mitakaスクリプトファイルの記事は新鮮でした。 ●4月2日(火) 晴れ。 今月9日(8日の深夜)には、生前村山定男先生のお話されていた(生誕100歳記念)皆既日食が見られます。 大勢の仲間たちが遠征しています。 晴れるといいですが。 (「2024年4月9日 皆既日食(北アメリカ)」はこちら(AstroArts)) 次の写真は、中国甘粛省の砂漠で2008年に撮影したものです。 (「宮沢賢治のプラネタリウム」連載16回記事「賢治と日食」より) 機材が、D2Xというのが時代を感じます。 ちなみに、宮沢賢治は皆既日食を見ていません。 生涯で最大食分となったものは、1918(大正7)年6月9日の部分日食で、(賢治のいたであろう盛岡での)最大食分は0.82、その時刻は早朝の5時46分でした。 ●4月3日(水) 曇りのち雨。 次の原稿のテーマなど考える。 ここ数日、取り組んでみるものの、あまりにも時間がかかりすぎるため、体調のことを考えて見直し。 賢治の新刊から。
「賢治の図書館」≫ 『創作者の体感世界 南方熊楠から米津玄師まで』/横道誠著/ひとつの青い照明感 宮沢賢治/(光文社新書)を追加しました。 以下は目次より。
米津玄師の項においても、宮沢賢治への言及がありました。 ●4月4日(木) 晴れ。 疲労の中、なんとか出勤。 夜は、クリストファー・クロスの2枚組ライブ盤を聴きながら作業。 2012年4月2日(今から12年前)にパリのル・トリアノンで行われたライブです。 セットリストは初期のものからが中心ですが、ファンとしては嬉しいものです。 Leave It To Me、Ride Like The Windも良かった。 (今日的印象) ●4月5日(金) 曇りのち晴れ。 今日は高畑勲さんの命日。 2018年に亡くなってから早くも6年。 何度かお会いしたり、メールする機会に恵まれましたが、肝心なところでお話できなかったことが悔やまれます。 最近では、芭蕉の見た風景の写真に関してアドバイスをいただいたことが思い出されます。 映像への大きな拘り、そしてその事実への気づき。 今月発売の天文2誌を購入。 『星ナビ』5月号は、特集が「宵空のポン・ブルックス彗星 見る・撮るテクニック」です。 今月もまた周期彗星、ポン・ブルックス彗星(12P)についての記事。 綴じ込み特別付録は「天体画像処理5」(仕上げ編A)。 『天文ガイド』5月号の特集は「12P/ポン・ブルックス周期彗星が4月に見ごろを迎える」です。 機材紹介でシグマ15mm F1.4の記事がありました。 周辺の像がすばらしいものです。 ●4月6日(土) 曇りのち晴れ。 吾妻小舎のご主人をされていた遠藤守雄さんの命日(2011年4月6日)。 今年で13年が経過しました。 お元気であれば75歳でしょうか…。 恵比寿の東京写真美術館へ。 賢治の『春と修羅』刊行から100年ということで、これをテーマとしたユニークな写真展「TOPコレクション 千二百箇月の過去とかんずる方角から」(開催期間:2024年4月4日〜7月7日)が始まっています。 (「東京写真美術館」はこちら) 以下、展覧会の開催コメントより。
入口近くには、本展のテーマということで、賢治の『春と修羅』(復刻版)が展示されていました。 ページは「序」の冒頭です。 杉浦非水のポスター(「銀座線」を描いた地下鉄のポスターで有名ですね)や、「ヱビスビール」の工場写真、大束元の天体的写真、時代を感じる写真の数々・・・。 出口近くには、もう一冊の『春と修羅』が置かれていました。 明治大学図書館収蔵本の展示で、ラベルを見ると「宮沢賢治「心象スケッチ春と修羅」(初版本)」とあります。 初版本と並べて初めの見開き写真が置かれ、そこには大きな明治大学図書館印が押印、そして四角のスタンプ枠に「著者 殿寄贈 大正十三年五月十七日」とありました。 (枠と、殿寄贈、大正 年 月 日の文字はスタンプによるもの) 明治大学にこのような蔵書があるとは知りませんでした。 賢治自身が明治大学に寄贈したもののようですが、その日付は「大正十三年五月十七日」(1924(大正13)年5月17日)でした。 発行が同年の4月20日ですから、まだ1か月も経たないうちに贈られたものです。 恐らく郵送によるものと思いますから、その少し前に発送されたものでしょう。 当時の賢治の年譜(新校本全集)の関係事項に、寄贈を加えて見ると、次のようになります。
刊行後、早い時期に、相当数を各方面に贈っていたようです。 個人だけではなく、大学のような教育機関にも贈っていたというのが意外でした。 明治大学は、前身の明治法律学校を「明治大学」と改称(専門学校令)したのが1903年。 これが大学令に基づく「明治大学」となったのは1920年、『春と修羅』が献本される4年前のことでした(明治大学のウェブサイト「明治大学の歴史(年表)」による)。 展示は、賢治がすべてというわけではありませんが、展示図録も購入してきました。 見学後、半蔵門から千鳥ヶ淵方面の桜を見学。 名所だけあって、すごい人出でした。 (明日からはお天気が荒れる予報。次の週末まで持つでしょうか…) イギリス大使館前の桜並木も通過。 ここは賢治にもゆかりの場所。
賢治が盛岡高等農林学校時代(1916年8月)に、ドイツ語の学習をするために下宿先から通った道です。 外交官アーネスト・サトウ(1843〜1929)が植えた桜を紹介するパネルもありました。 通りにあるイギリス大使館は、さすがに上品な建物でした。 正門の正面には古そうな建物が見えますが、賢治はこの前を歩いていたのでしょうか。 気になってちょっと調べてみました。
賢治が訪れた1916年8月となると、1874年(明治7)年12月に竣工の「ヘンリー・ボイス設計による赤レンガ作りのもの」ということになります。 残念なことに、この建物は1923年の関東大震災で倒壊しており、現在あるのは1929年(昭和4)年建てられたものということで、現存しないということになります。 賢治が訪れていた頃の英国大使館の写真です。 次の写真は、北の丸、日本武道館方面への入り口から。 お濠の土手には菜の花も。 遠くには九段会館が写っています。 九段会館は、賢治が作品として掲載され原稿料を得たとされる雑誌「愛国婦人」を刊行していた愛国婦人会があったところですね。 掲載された「あまの川」は、唯一の生前発表童謡です。 (掲載号は「愛国婦人」の大正10年9月号)
●4月7日(日) 晴れ。 自宅の所用など。 一日中机に向かい4つのお仕事同時並行。 寝る前になって山口誓子・野尻抱影『星戀』(中央公論社)を手に取ってぼんやりと眺める。 「四月(一)」の項に、(昭和21年の)今日4月7日〜10日の作品がありました。
「猫の戀」作品集。 上弦近くの月、そして遥かなる天空の星々とのコラボ。 ●4月8日(月) 雨のち曇り。 自宅の所用で病院へ。 詩「春と修羅」の日(102年前)
●4月9日(火) 雨。 北アメリカでは皆既日食の日(現地では8日) NASAのサイトにある皆既日食のCGによるシミュレーションが、いろんな点でとても分かりやすいです。 (「2024 Total Solar Eclipse」はこちら(NASA)) オンラインでの中継を眺めては、歓声を聴きながら眺めた過去の日食を思い出しました。 日本では、11年後の2035年9月2日、新潟から北関東を皆既帯とする皆既日食が見られます。 (晴れれば!) しかも当日は日曜日。 晴れたら交通渋滞で大混乱になるかも知れません。 地図中の3本の上下の赤線の間で見られます。 真ん中のは中心線で、皆既時間が最も長くなります。 予約しておいたビリー・ジョエルのCD(なんと17年ぶりの新曲) 「Turn the Lights Back On」が届きました。 MVが公開されていて、以下のリンク先から新曲を聴くことができます。 (「Billy Joel - Turn the Lights Back On (Official Video)」はこちら(Billy Joel Official)) AIを使っていて、先日公開のビートルズの演出を思い出してしまいました。 それはさておき、ビリー・ジョエルの名曲として今後認知されることになるナンバーには違いありません。 ●4月10日(水) 晴れ。 知人からポン・ブルックス彗星(12P)の最近の写真が届きました。 西空の月や木星と共演。 明るさはだいたい4等台でしょうか。 少し前(2013年7月の刊行)の本ですが、縣秀彦『彗星探検』(二見書房)を眺めつつ、秋に接近予定の彗星を想像…。 (本書は、確かアイソン彗星の接近時に出た本でした) 過去に見られた大彗星の数々を紹介した本です。 私が確認できているのは、1974年のコホーテク彗星以降。 印象的だったのは、百武彗星 (C/1996 B2)とヘール・ボップ彗星(C/1995 O1)。 ちょうど宮沢賢治生誕百年で大騒ぎとなっていた頃。 今の若い人たちは見ていないですね。 ●4月11日(木) 晴れ。 帰宅途中、白い大きな雲を見る。 寝る前に原稿対応。 今夜は図版の制作など。 ●4月12日(金) 晴れ。 自宅で所用。 鉄道本を何冊かまとめ読み。 『夜行列車盛衰史』(平凡社新書)ほか。 最後に乗った東北本線の夜行列車は「北斗星」。 目的はもちろん、「やみよののはら」を自分で確かめるため。 運行終了間近に取れた奇跡的チケット。 いろいろの思い出。 ●4月13日(土) 晴れ。 自宅の所用で病院へ。 すっかり暑くなりました。 抱影の『星三百六十五夜 春』の4月13日は、「足跡の星」。 この季節、空高く浮かぶおおぐま座の「足跡」のお話です。 例年これを読むと、夏が近づくことを実感として感じます。 1916(大正5)年の今日、宮沢賢治の在学していた自啓寮第九室において、入室の歓迎会を行い、保阪嘉内から入学の動機を聞いていました。 トルストイを読んで百姓の仕事の崇高さを知ったというお話をしたとのこと…。 春先は出逢いの季節。 斉藤征義さんの21年前に発表の詩集『宇宙船売却』(響文社)を少し読み返して、今晩の作業に突入。 ●4月14日(日) 晴れ。 昨晩は徹夜。 スケジュールを調整して、新宿紀伊国屋ホールへ。 受付でチケット受領時にパンフレットもいただき入場。 (3○○のスタッフの皆さんいつもお世話になります) この会場はしばらくぶりです。 渡辺えりさんと、高畑淳子さん出演の舞台「さるすべり」を観劇。 時代や場所を超越する渡辺えりさんらしい脚本です。 映画「八月の鯨」や、死別、戦争、平和・・・、盛沢山のテーマが出てきます。 台詞に宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」からの一節も出てきました。 賢治好きのえりさんらしいさりげない言葉として…。 パンフレットの反対側は「演劇の未来 Vol.7」(202404)で、歌舞伎の中村勘九郎、中村七之助さんとのインタビュー記事や、ウクライナ問題、パレスチナ問題を取り上げた記事まで。 終演後はご挨拶で面会。 お芝居の感想と、高村光太郎さんのお話をしました。 面会した会場には、音無美紀子さん、浅丘ルリ子さん、橋本マナミさんもいらしていました。 役者さんたちの横の繋がりがすごいですね。 その後、東京駅に出て食事、そして帰宅。 ●4月15日(月) 晴れ。 帰宅後、原稿の作業。 今年の5月で宮沢賢治が苫小牧を訪れてから100年となります。 それを記念して、現地ではいくつかのイベントが開催されるようです。 以下、実施日程順に 「100年前の宮沢賢治と歩く 最後の賢治ウォーク」(5月18日(土)9:45受付)、 「賢治の歩いた苫小牧」(5月18日(土)13:30)、 「宮沢賢治来苫百年記念講演会」(5月19日(日)13:00開場) となります。 苫小牧は本当に何度も現地を訪れました。 ちょうど10年前の2014年5月には、斉藤征義さんからお誘いで、苫小牧市民会館で高畑勲さん、中地文さんと講演もさせていただきました。 2018年5月には、宮沢賢治詩碑建立1周年記念イベントで小説『宮沢賢治の父』で直木賞を受賞された門井慶喜さんの講演があり、こちらも現地の方からお誘いいただきました。 その間、斉藤征義さんは銀河鉄道に乗車されてしまいましたが、後継の方々が尽力されています。 今年のイベントも、ぜひ成功させてほしいと思いました。 (長年続いてきた賢治ウォークも「最後の賢治ウォーク」なのですね!) ●4月16日(火) 晴れ。 賢治の新刊から。
「賢治の図書館」≫ 『星座を探しに行こう』/平井正則著/第4章雨の日の天文学 2賢治とカシオペヤ新星/(書肆侃侃房)を追加しました。 ●4月17日(水) 曇りのち晴れ。 少し前に宮沢賢治学会イーハトーブセンター事務局から会報や展示のチラシが届いていました。 事務局の皆様、いつもご苦労様です。 『宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報』の最新号第六八号は「ごとんごとん」です。 (表紙の「号」の表記が、今回だけなぜか漢数字? レア!)
併せて、宮沢賢治イーハトブ館展示場で開催の松川けんし展「私のイーハトーブ」(2024年4月2日〜6月30日)のチラシも同封されていました。 ●4月18日(木) 曇りのち夜雨。 宮沢賢治の本日日付を持つ作品に、詩「〔地蔵堂の五本の杉が〕」(1925年4月18日)があります。 『春と修羅第二集』の収録作品です。 舞台は花巻市の本山修元宗延命寺です。
ちょうど先日の「緑いろの通信」(2024年4月6日)で書いた、賢治が『春と修羅』を贈った教え子の桜羽場寛(5月13日 桜羽場(安藤)寛に『春と修羅』を与える)は、作中に「悧発で純な三年生の寛」として登場しています。 延命寺(地蔵寺)は、花巻市街地の西側、若葉町から花巻大曲線のへと出るところ(東北自動車道の近く)に位置しています。 Googleストリートビューで、通りから見てみると、最近の様子を確認することができます。 杉の巨木が見えていました。 ●4月19日(金) 晴れ。 仕事を終えて、職場で歓迎会。 週末の作業の準備をしながら、お茶の時間。 例によって抱影の『星三百六十五夜 春』(中公文庫)より、今日のお題「磯の小貝」を読む。 戦時中に訪ねてきた遠戚の娘さんからいただいた貝の標本のお話。 「ウメノハナガイは、乙女座のスピーカの色と可憐な印象とに共通している…。」 そろそろ就寝の時間です。 ●4月20日(土) 晴れのち曇り。 深夜、月を眺める。 100年前の今日、1924(大正13)年4月20日、賢治の年譜では北上山地の外山方面に出て、詩「有明」「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」などをスケッチしたとあります。 (賢治は、ほぼ丸い月(19日深夜が満月)を眺めていました) その日北上山地で眺めた月に思いを馳せて、私も写真撮影。 今朝の月は満月を前にした月齢11.0の月。 薄雲が拡がり、ファインダーからは雲が流れる様子が見えました。 早起きして午前中、自宅の所用。 宮沢賢治の詩集『春と修羅』の発行から、今日で100年となりました。 『春と修羅』は、賢治の親戚にもあたる関登久也(岩田徳弥)、その師となる歌人尾山篤二郎の協力を得て、印刷・製本は花巻の吉田忠太郎により、そして発行は関根喜太郎(発行者)が経営する関根書店からとなりました。 奥付にも吉田忠太郎、関根喜太郎の名前を見つけることができます。 今日は、100周年を記念して、(まず注目されることのないであろう)発行元の関根書店のあった場所、奥付に記されている「東京市京橋區南鞘町一七番地」を訪れてみることにしました。 (2008年6月にも訪れているので、今回で2回目の訪問です) 現在の東京23区には京橋区はありません。 戦後、日本橋区と京橋区が統合され、現在の中央区となりました。 旧町名の時代には南鞘町(みなみさやちょう)が存在し、その17番地が関根書店の住所です。 大正当時の地図(※1 東京逓信局編纂「東京市京橋區」(大正8年12月15日第2版印刷発行))と、現在の地図(※2 Google地図)を活用してその位置を正確に特定してみました。 「東京市京橋區南鞘町一七番地」は、赤く塗りつぶした部分です。 狭い通り(路地)を挟んで二つの場所に分割されます。 現在の住居表示では中央区京橋1丁目13番地の1(ワークヴィラ京橋 地図中央付近★印)前付近ですが、そこは建物のない道路上となってしまいました。 都内の近代史に詳しい方ならすぐに気づかれることと思いますが、関東大震災(1923年9月1日)以降に、東京市の復興事業の一環として整備された昭和通りの真上なのです。 『春と修羅』発行日は1924年4月20日ですから、震災後半年ちょっと、まだ道路工事による移転は行われていなかったようです。 調べてみたら、昭和通りの完成は1928(昭和3)年とありますので、震災後もしばらくの間は移転せず、猶予期間として居残りが可能だったと思われます。 (ちなみに、宮沢家が度々世話になった小林六太郎の店舗・邸宅も、昭和通りの整備により移転となっています) 場所を調べたあと、都営地下鉄浅草線の宝町駅を下車し、現地を目指します。 最寄りとなる地下鉄A8出口前には、味の素本社ビルがありました。 上から見下ろせる場所として、近くの宝町歩道橋上から関根書店跡地住所を撮影してみました。 次の写真(赤く塗りつぶした部分)が、当時の「東京市京橋區南鞘町一七番地」の範囲です。 すぐ近くにも寄ってみました。 「ただの道路」ですが、この地に『春と修羅』発行元があったわけですね。 盛岡の光原社に碑があるように、ここにも『宮澤賢治 心象スケッチ春と修羅 出版の地」の碑がほしいところです。 道路横の階段(上写真左歩道上からの階段)からは、地下にある都営宝町駐車場(「東京市京橋區南鞘町一七番地」の真下)に入ることができます。 (「都営宝町駐車場」はこちら(東京都道路整備保全公社)) 奥付にある吉田忠太郎の営んでいた印刷所(大正活版所)はこちらとなります。 (先月花巻で撮影したもの) 撮影を終えて、東京駅方面に歩き、途中の丸善書店(日本橋本店)でお茶の時間となりました。 こちらも賢治ゆかりの場所。 土曜日にしては、人通りは少な目でした。 いつものように階上のカフェ(ついでにランチも)です。 こちらはほぼ満席。 忙しいながら、神保町にも出てみました。 帰宅時の月は靄の中…。 ●4月21日(日) 晴れ。 今日も『春と修羅』の話題です。 先日東京写真美術館で見てきた「TOPコレクション 千二百箇月の過去とかんずる方角から」の展示にあった明治大学所蔵の『春と修羅』、その後に調べてみたら、明治大学のウェブサイトに詳しく説明がありました。 (「明治大学が所蔵するお宝 No.120901 宮澤賢治『心象スケッチ 春と修羅』」はこちら(明治大学)) 確かに著者(賢治)が寄贈していたことになります。 サイトの解説文は次のとおり。
自宅所用と作業に追われつつ、多数のメール対応。 ●4月22日(月) 晴れ。 賢治の『春と修羅第二集』収録に「清明どきの駅長」(作品日付:1925年4月21日)があります。 作品日付から今日で99年。
タイトルには二十四節気の「清明」ということばが使われています。 天文学的には、天球における黄道上を太陽が春分(0度)から15度となる時点(1925年は4月5日)を指しますが、その季節の「駅長」ということになります。 でも、どこにも駅長の姿は見えません。 (まるで「青森挽歌」) 「沼気や酸を洗ふのです/……手袋はやぶけ/肺臓はロヂウムから代填される……」というのが駅長なのでしょうか。 下書稿(一)を見るとタイトルは「清明どきの停車場」でした。 「いちどにさあっと青くかはる」の表現がとても春らしく感じられて、(個人的には)好感が持てます。 作品の末尾が、同じく『春と修羅第二集』の「「春」変奏曲」」(作品日付:1924年8月22日、1933年7月5日)とも共通しています。 僅かな時間を利用して石田洵『平泉をめぐる文学 〜芭蕉に至るロマンの世界〜』(本の森)を読みました。 地元の国文学研究者による「平泉」に関係した文学を紹介する案内本でした。 第八章は『おくのほそ道』と平泉」です。 少し前に平泉に出かけ、高館にある義経高館堂などを訪ねたことが思い出されました。 ●4月23日(火) 晴れ。 谷川俊太郎『六十二のソネット』『絵本』から、ところどころを再読。 やはり、谷川俊太郎の初期の作品が好きです。
先日『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)のページをめくって、詩集『二十億光年の孤独』からの収録、表題作ではなく「かなしみ」がはじめに選ばれていたことにいたく感動しました。 ●4月24日(水) 小雨のち曇り。 今夜も本の話。 自宅に古い詩誌「アルビレオ」が何冊かありますが、その1冊に「アルビレオ40号記念特集」(アルビレオ会1964・10)があります。 編集人の串田孫一ほか27名のメンバーが名前を連ねています。 野尻抱影、草下英明の名前も見つけることができます。 それぞれ短いエッセイを投稿していたようで、野尻抱影「老妻の話」(札幌でのアイヌの方々との交流)、草下英明「追分ぎつね」(信濃追分にあった別荘でのお話)が収録。 このような地味な同人誌は魅力的です。 ●4月25日(木) 晴れ。 ポール・マッカートニー『THE LYRICS』の続き、今夜はShe's Given Up Talking(Driving Rain)〜Single Pigeon(Red Rose Speedway)まで。 She's Given Up Talkingは「選択性緘黙(かんもく)」という言葉に魅了されたといいます。 ある日、友人の子供のひとりが話さなくなってしまったことを知って、そのことを書いた。 Silly Love Songsは、「馬鹿げたラブ・ソング」。 1970年代半ば「馬鹿げたラブ・ソングばかり書いていると非難された。 でも愛についての歌を放棄するのではなく、堂々とそれを歌い上げる曲を作ろうと考えた。 ジョンの虚勢は激しいもので別の誰か(によるもの)で、それは彼の盾だった。 Simple as Thatは、ヘロイン撲滅チャリティの依頼で、それは絶対ダメと感じてもらえるような曲が必要。 そこで思いついたのがこの「それは簡単なことさ」というフレーズ。 Single Pigeon 熱烈な鳥好きだった。 Single Pigeon「一羽の鳩」という言葉の組み合わせが気に入った。 鳩から劇中のひとり(前の晩に恋人と口論して、家から追い出された男)となった。 2番の歌詞での展開では、「一羽のカモメ」を登場させた。 「僕らは似たもの同士」と言うことで境遇が伝わる。 『THE LYRICS』の読み残しもだいぶ少なくなってきました。 ●4月26日(金) 晴れ。 今日は、スクエアのキーボード、和泉宏隆の命日です。 亡くなって早くも3年。
この週末は忙しくなりそうですが、無理をしない程度に過ごす予定。 とは言え、今夜は徹夜。 和泉宏隆「コンプリート・ソロ・ピアノ・ワークス V」を聴きながら。 ●4月27日(土) 晴れ。 一関の石と賢治のミュージアムから、この夏の第23回「グスコーブドリの大学校」開催の連絡や、「デクノボーの道通信」第26号(デクノボー通信社2024年4月10日)が届いていました。 「グスコーブドリの大学校」のプログラムは、今年から一部リニューアルされるようです。 (詳細は6月に参加者募集のチラシによる案内あり)
●4月28日(日) 晴れ。 大宮の鉄道博物館で用事を済ませて、東京駅近くでランチ。 三菱一号館美術館前にて休憩。 改修工事中の建物にはロートレックの覆いがかけられていました。 「この絵どこかで見たような」「そうだ!」これでした! (花巻ではおなじみの巨大壁画) 今夜も連休中の準備など。 |
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