「〔町をこめた浅黄いろのもやのなかに〕」の創作 1927(昭和2)年4月21日
「〔町をこめた浅黄いろのもやのなかに〕」の創作
1927(昭和2)年4月21日
『詩ノート』の中に「〔町をこめた浅黄いろのもやのなかに〕」と題された詩があります。
この詩は『春と修羅』第三集「〔同心町の夜あけがた〕」の下書稿(一)となるものです。
『詩ノート』 一〇四二 『〔町をこめた浅黄いろのもやのなかに〕』
町をこめた浅黄いろのもやのなかに
咲きのこりの電燈の一列
わたくしのヒアシンスを
造花と見る人がたいへん多い
日がそらでぼんやり黄ばらをけぶすとき
この屋台は伯林青で塗りあげてある
この日、賢治が育てた花を持ったリヤカーをひいて出かける時の様子が描かれています。
いったい何時ごろのできごとだったのでしょうか?詩のなかで「日がそらでぼんやり黄ばらをけぶすとき」
という表現が出てきます。また、『春と修羅』第三集「〔同心町の夜あけがた〕」では
「ぼんやりけぶる東のそらの」とあります。
この朝の天文暦を調べると、
薄明開始 3時15分
日の出 4時51分
となります。「ぼんやりけぶる」という時間としては、薄明開始から日の出までの間の時間を想定してみました。
シミュレートした画面は、日の出30分前(4時21分)の空です。市民薄明(太陽高度-6度:照明などがなくても
普通どおりの日常生活が可能になる時間)開始の時間が4時23分ですから、作業を開始するにはちょうど都合の
よい時間でしょう。もしこの頃の時間にもう仕事と始めていたとすると、賢治は相当早い時間から起床して作業
をしていたことがわかります。
この時間、月も出ています。この時間の月齢は18.6ですから、満月を4日
ほど過ぎた月です。但し、「町をこめた浅黄いろのもやのなかに(詩ノート:春めいた浅葱いろしたもやのなかから)」
ともありますから、霧に包まれた朝でぼんやりとしか見えなかったかも知れません。
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