「山の晨明に関する童話風の構想」の創作 1925(大正14)年8月11日
「山の晨明に関する童話風の構想」の創作
1925(大正14)年8月11日
『春と修羅』第二集の中に「山の晨明に関する童話風の構想」と題された詩があります。
この詩は、1925年8月10日から11日にかけて北上山地の最高峰の早池峰山に登山した時のことが書かれています。
この山行中の作品は4編あり、10日が「〔朝のうちから〕」「渓にて」、
そして11日が「河原坊(山脚の黎明)」とこの「山の晨明に関する童話風の構想」です。
『春と修羅』第二集 三七五 『山の晨明に関する童話風の構想』
つめたいゼラチンの霧もあるし
桃いろに燃える電気菓子もある
またはひまつの緑茶をつけたカステーラや
なめらかでやにっこい緑や茶いろの蛇紋岩
むかし風の金米糖でも
wavelliteの牛酪でも
またこめつがは青いザラメでできてゐて
さきにはみんな
大きな乾葡萄がついてゐる
みやまういきゃうの香料から
蜜やさまざまのエッセンス
そこには碧眼の蜂も顫へる
さうしてどうだ
風が吹くと 風が吹くと
傾斜になったいちめんの釣鐘草の花に
かゞやかに かがやかに
またうつくしく露がきらめき
わたくしもどこかへ行ってしまひさうになる
蒼く湛へるイーハトーボのこどもたち
みんなでいっしょにこの天上の
飾られた食卓に着かうでないか
たのしく燃えてこの聖餐をとらうでないか
そんならわたくしもたしかに食ってゐるのかといふと
ぼくはさっきからこゝらのつめたく濃い霧のジェリーを
のどをならしてのんだり食ったりしてるのだ
ぼくはじっさい悪魔のやうに
きれいなものなら環でもなんでもたべるのだ
おまけにいまにあすこの岩の格子から
まるで恐ろしくぎらぎら熔けた
黄金の輪宝がのぼってくるか
それともそれが巨きな銀のラムプになって
白い雲の中をころがるか
どっちにしても見ものなのだ
おゝ青く展がるイーハトーボのこどもたち
グリムやアンデルセンを読んでしまったら
じぶんでがまのはむばきを編み
経木の白い帽子を買って
この底なしの蒼い空気の淵に立つ
巨きな菓子の塔を攀ぢよう
この詩の題にも出てくる「晨明(しんめい)」とはあまり聞きなれない言葉ですが、
「晨(しん)」とは夜明けを示しますから、「晨明」の意味としては「夜明け」あるいは「夜明けどきの薄明」をさします。
また、宮澤賢治語彙辞典による説明では「晨」とは「房星」の別名ともあります。
「房星」とは「房宿(ぼうしゅく)」の距星(中心となる星)で、さそり座π星です。
(「宿」とは中国では星座を意味し、そのうちほぼ天の赤道帯に沿った部分を重要なものと位置付け二十八宿として
定めていました。この「房宿」も二十八宿の一つで第4番目にあたります)
下の図でだいだい色の部分が「房宿」です。その左側のアンタレスは「心宿(しんしゅく)」と呼ばれます。
但し、この詩のなかでは、こちらの意味はとくに関係がないと思われます。
房宿(ぼうしゅく)
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赤道座標系
詩のなかに、この詩の時間を想定させるヒントがあります。
「おまけにいまにあすこの岩の格子から/まるで恐ろしくぎらぎら熔けた/黄金の輪宝がのぼってくるか」
の部分です。これは明かに太陽が姿を見せる時間と考え差し支えないでしょう。
この日の明け方の時間の天文暦を調べると、
薄明開始 2時58分
日の出 4時36分
となります。ですから、日の出時間の前後が賢治の見た風景の時間でしょう。
シミュレーションした画面は、日の出20分前の東の空です。
続いて出てくる「それともそれが巨きな銀のラムプになって/白い雲の中をころがるか」
は太陽が雲や霧に隠され、白い円となって見えている様子を描いているのでしょう。
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