「暁弯への嫉妬」の創作 1925(大正14)年1月6日
   

「暁弯への嫉妬」の創作
1925(大正14)年1月6日




『春と修羅』第二集の中に「暁弯への嫉妬」と題された詩があります。 1925年初頭「異途への出発」の詩とともにはじまった三陸への小旅行で詠まれた作品です。 夜明け情景を描いていますが、日の出前の冷たい、しかし限りなく澄んだ空気が伝わってきます。
作品の日付は1925(大正14)年1月6日となっています。場所を三陸側の地点に 移して日の出1時間前(5時52分)の空をシミュレートしました。 この旅行については、実際の行程があまりはっきりと特定されていないようなので、便宜的に訪問地とされるの海辺の町の一つ を選んでみました。東側に大きく太平洋が広がり、そこから夜明けの星たちを見ていたことでしょう。

『春と修羅』第二集 三四三 『暁弯への嫉妬』
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、    
ひかりけだかくかゞやきながら       
その清麗なサファイア風の惑星を      
溶かさうとするあけがたのそら       
さっきはみちは渚をつたひ         
波もねむたくゆれてゐたとき        
星はあやしく澄みわたり          
過冷な天の水そこで            
青い合図(wink)をいくたびも投げてゐた   
それなのにい〔ま〕            
(ところがあいつはまん円なもんで     
リングもあれば月を七っつもってゐる    
第一あんなもの生きてもゐないし      
まあ行って見ろごそごそだぞ)と      
草刈〔が〕云ったとしても         
ぼくがあいつを恋するために        
このうつくしいあけぞらを         
変な顔して 見てゐることは変らない    
変らないどこかそんなことなど云われると  
いよいよぼくはどうしていゝかわからなくなる
……雪をかぶったひびゃくしんと      
  百の岬がいま明ける          
  万葉風の青海原よ……         
滅びる鳥の種族のやうに          
星もいちどひるがへる           

夜が明けようとしている南東の空には、賢治の敬愛してやまない「さそり座」が水平線の向こう から頭を出しています。 そして、-3.9等星の「明けの明星(金星)」が力強く輝いていました。隣には太陽系で最も内側を回る惑星「水星」も見えています。
さて、まず惑星の実名こそ挙げてはいませんが、最初に気付くのは、 「リングもあれば月を七っつもってゐる」(実際には当時9個あるとされていた)という土星のユニークな姿を記述している部分 でしょう。
詩の最初に語られている「清麗なサファイア風の惑星」とはいったいどの惑星を取り上げている のでしょうか? もしこの日、賢治が5時に目をさまして海岸で星を見上げたとしましょう。 すると水平線上に、大気の減光によりやや赤みを帯びた金星が見えていたはずです。 それはまさに「薔薇輝石」のイメージではないでしょうか?  時間の経過と共に輝きを増してきてやがて「清麗なサファイア風の惑星」になってゆく姿が描かれているような気がします。 しかし、宮澤賢治全集(校異編)によると「清麗なサファイア風の惑星」とは、明らかに「土星」を指していることがわかります。 ....もし かすると、肉眼でみえる「金星の光」と想像の「土星の姿」とを賢治の心象のなかで重ねあわせて詠んだのかも知れません。
また、この『暁弯への嫉妬』は、後日手入れが行われ文語詩未定稿に「敗れし少年の歌へる」として加えられています。
この日の薄明開始は5時17分、日の出は6時52分でした。およそこの1時間半、賢治はどんな思いで見上げていたでしょうか...。


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