「宮沢賢治熊谷・秩父地方セミナー」
   

「宮沢賢治熊谷・秩父地方セミナー」


Kenji & Event

1997年9月6日〜7日 埼玉県熊谷・秩父にて


「宮沢賢治熊谷・秩父地方セミナー」

平成9年9月6日(土)〜7日(日)
於 埼玉県熊谷・秩父方面

主催
宮沢賢治学会イーハトーブセンター
宮沢賢治イーハトーブ館
くまがや賢治の会   

「ようばけ」の歌碑

宮沢賢治熊谷・秩父地方セミナー 日程(計画表)
9月6日(土)
  8:30 集合(熊谷駅南口)
  9:00 出発
  9:30 さいたま川の博物館見学
 10:30 宮沢賢治歌碑見学
 11:00 国神「梅乃屋」車中より
 12:00 昼食
 13:30 小鹿野ようばけ宮沢賢治 保阪嘉内歌碑おがの化石館見学
 14:30 小鹿野市内宮沢賢治歌碑見学
 15:00 小鹿野「本陣寿旅館」見学
 17:00 三峯神社着、宿坊へ
 19:00 宮城一男先生幻灯会(2本上映)
 20:30 終了
9月7日(日)
  7:00 朝のお勤め
  9:00 出発
 10:00 秩父「門屋」車中より
 10:30 河原で岩石のお勉強
 11:00 埼玉県立自然史博物館見学
 12:00 昼食(長瀞有隣倶楽部)
 13:00 長瀞ライン下り、長瀞観光
 15:12 SL列車乗車(長瀞駅)
 16:18 SL列車下車(熊谷駅解散)


熊谷・秩父地方セミナーに参加してきました。 地元くまがや賢治の会をはじめ大勢の方々のご尽力で、楽しいひとときを過ごすことができました。 スタッフの方々への感謝を込め、行事の概要(バスツアー)の一部をご紹介したいと思います。

本来は9月5日から、熊谷市内八木橋百貨店などで講演をはじめとするいくつかの行事が行われていましたが、仕事の都合で、参加できませんでした。 そんなわけで2日目からのレポートですが、ご容赦下さい。

☆バスツアーレポート☆
   

川の博物館にて
 最初は、寄居町にある「さいたま川の博物館」を訪ねました。 写真は本館の前にある「大水車」で国内最大のものだそうです。 荒川を中心とした、川と人間にかかわりをさまざまな角度から展示しています。 実際、荒川の河川敷を利用して作られています。 1000分の1の荒川の模型も驚きでした。

寄居町宮沢賢治歌碑
 埼玉県寄居町の寄居町賢治の会の尽力により建てられた賢治歌碑です。 賢治がかつて訪れたであろう荒川を臨む地(寄居町大字寄居652番…樋の下)にあります。 碑には「毛虫焼く まひるの火立つ これやこの 秩父寄居の ましろきそらに」「つくづくと 粋なもやうの 博多帯 荒川ぎしの 片岩のいろ」と刻まれています。 これは、賢治が付近の荒川で滑石片岩、絹雲母片岩、緑泥片岩などを採集したときに詠まれたとされ、この地にはゆかりの深いものです。 素材も付近の緑簾片岩や赤花こう岩などが利用されています。 また、寄居町賢治の会の方々からは、付近の地質を中心とした説明がありました。

ようばけの歌碑
 地質研究者にとっては名高い小鹿野町の「ようばけ」の地層の露頭を見晴らす場所にある賢治の歌碑を訪ねました。 本年8月28日に建立したばかりの新しいものです。 歌碑は二つあり、右手が賢治の「さはやかに 半月かゝる薄明の 秩父の峡の かへり道かな」と刻まれたもの、そして左手は、賢治の親友であった保阪嘉内の「この山は 小鹿野の町も見へずして 太古の層に 白百合の咲く」という歌が刻まれています。 賢治の歌は1916年9月4日に、小鹿野を訪問した時に、宿への帰路詠まれたとされています。 ようばけは、高さ100m、幅400mにも及ぶ崖で、1500万年前の地層が露出した貴重な場所です。

おがの化石館
 「ようばけ」には、付近から発掘された化石を展示している「おがの化石館」があります。 ここには、ようばけや地質学を研究するための資料が展示されていました。 また展示コーナーには、賢治がこの地で書いた葉書の写真なども展示されていました。

小鹿野町役場前の歌碑
 小鹿野町役場の前にも賢治の歌碑があります。 この碑には、「山峡の 町の土蔵のうすすと 夕もやに暮れ われらもだせり」とあります。 この碑の歌も、1916年9月4日に、小鹿野を訪問した時に、宿への帰路詠まれたとされているものです。 すぐ裏手にはバスの待合室を兼ねた、観光案内所もあります。

本陣寿旅館
 賢治が小鹿野を訪れたさいに宿泊したとされる本陣寿旅館です。 小鹿野町役場から徒歩数分の場所にあります。 江戸時代のなごりも残された創業300年という由緒ある旅館で、宿の方のご好意で室内も見学することができました。 内には、「代官の間」など、当時の様子を色濃く残した部屋もあり、興味深く説明を聞くことができました。 街並みもどことなく落ち着いた雰囲気があり、賢治の訪れた時代を感じさせるものがあります。

三峯山神社
 三峯山神社の本殿です。 標高(海抜1,100m)があるため、この辺りは涼しく、さわやかな空気でいっぱいです。 今夜の宿は、賢治が宿泊したとされる宿坊、三峯山神社興雲閣です。

三峯山神社付近
 あいにくの天気で、ご覧のとおり深い霧に閉ざされていました。 賢治がこの地を訪れた際には、好天で星もよく見えたといいます。 書簡23 大正5(1916)年9月6日『保阪嘉内あて』の葉書では、「大神にぬかづきまつる山上の星のひかりのたゞならぬくに。」「星月夜なほいなづまはひらめきぬ三みねやまになけるこほろぎ。」など、星に関する歌を残しています。

虎岩付近で岩石の勉強
 埼玉県立自然史博物館の方の解説で、虎岩付近の岩石を見学しました。 長い年月にわたり圧縮を繰り返し海底で作られ、やがて隆起により、荒川の河川敷に姿を現わしたという岩石です。 縞の模様があり、手で剥がすことができます。 その後、博物館の化石などを見学しました。

長瀞ライン下り
 長瀞は、長瀞ライン下りとしても有名です。 翌日は天気もよく、さわやかな川下りを楽しみました。 さきほど岩石見学をした河原付近も通過し、川の上からも眺めることもできました。 その後、長瀞駅まで散歩して、SL C58363に乗車して熊谷まで最後の移動となりました。 長瀞では列車待ちのあいだ、くまがや賢治の会の方のお世話になり宝登山神社を見ることもできました。

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