歌稿〔A〕 大正5年7月 小鹿野 350 1916(大正5)年9月4日
   

歌稿〔A〕 大正5年7月 小鹿野 350
1916(大正5)年9月4日


この時期賢治は、秩父方面に 土性・地質調査見学に出かけています。 その日程を堀尾青史著「年譜宮澤賢治伝」や原子朗編著「宮澤賢治語彙辞典」、また詳細に調査された文献として「宮澤賢治『修羅』への旅」萩原昌好著により調べると次のとおりでした。

そんな旅の様子が、歌稿〔A〕大正5年7月の中に、「小鹿野」として詠まれている作品があります。

さはやかに半月かかる薄明の秩父の峡のかへり道かな

という短歌です。 研究成果により、この作品の詠まれた日付は9月4日の「ようばけ」調査後の宿への帰路であることが判明しています。 また、場所も埼玉県小鹿野と判明していますから、この日の宵の星空を再現させてみることが可能です。
まず、この日の小鹿野における日没などの時間を計算すると、

日の入  18時10分    
薄明終了 19時37分    
月の入  21時31分    

となります。 このことから、宵の薄明時間として、18時10分〜19時37分と考えることができます。 但し、賢治が宿への帰路としている時間ですから、まだ歩くには十分な明るさが必要であることを勘案すれば、市民薄明の時間(太陽高度-6.0度)を目安に、だいたい18時半ごろまでに詠まれたものでしょうか。 シミュレーション画面は18時30分の空です。
月についてみてみると、月齢は6.7(18時30分JST)で、ほぼ半月、賢治の表記とよく一致しています。 また、この晩見えた惑星としては、木星が-2.7等でおひつじ座に輝いていました。


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