かつしか郷土史探訪 (7)


立 石 様

立石様(立石8ー37ー17 立石児童遊園内)

 立石八丁目には、立石という地名の起こりとなつためずらしい石があります。この石は古くから信仰を集め、地元の人たちからは「立石様」と呼ばれ親しまれています。江戸時代の『江戸名所図会』を見ると、立石様は地上に出ている状態であったようですが、現在はその頭の部分が少し地表面に見えているだけです。

 この石の性格については、鳥居龍蔵博士の「立石を信仰の対象としてあがめたとする古代のメンヒル説」、永峰光一氏の「古墳石室説」、木下良氏の「官道の標識的なもの」などの説があります。

 立石様の石の特徴は、柴又八幡神社古墳(柴又三丁目)の石室の材料と同様の、貝の住みかだった穴を持つ軽石を含んだ凝灰岩です。この石と同じ質の石は、千葉県鋸山周辺の海岸部から産出されています。

 関東地方ではこの石を古墳時代後期に、古墳の石室の材料に使っており、立石様のそばにも南蔵院裏古墳などの古墳群が形成されていました。石は、古墳の石室を造るために遠く千葉県からこの地まで、人の力により運ばれてきたものと考えられています。しかし、立石様自体が、古墳の石室であったかどうかは今後の調査を待つしかありません。

 立石様は、古くから数々の言い伝えを生んできましたが、古代の葛飾の歴史をひも解く、重要な鍵をにぎっているようです。

 (郷土と天文の博物館)

 

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(かつしか郷土史探訪は『広報かつしか』毎月25日号に掲載されます〉


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