かつしか郷土史探訪 (6) 土錘(どすい)が語る漁生活 網漁に使った土錘
古墳時代中期(5世紀)は、畿内地方に大型の前方後円墳が築かれ、大王の時代とも呼ばれていますが、葛飾区が位置する東京低地では、なぜか集落は営まれず、人間活動の空白期を迎えます。
しかし、次の古墳時代後期(6世紀)になると再び活気を取り戻し、奥戸や柴又では大きな集落が営まれます。人々は竈(かまど)の備わった竪穴式住居で暮らし、集落の周りでは畑作や稲作、漁労、鍛冶仕事を行っていました。これは奥戸や柴又の遺跡から出土された、土師器(はじき)や須恵器(すえき)などの土器、土錘などから分かります。
土錘とは、漁に使う網に付けるおもりのことで、生業活動を示す重要な資料です。古墳時代前期の土錘は重量80gほどですが、後期の土錘は200gほどの大型のものになります。このような土錘を付けた網漁は、個人単位ではなく、刺網や地引網などのように集団で行うものです。後期は土錘の大型化など漁法的にも改善が加えられ、網漁が盛んだったことがうかがえます。
柴又古録天遺跡で発掘されたこの時期の住居跡からは、サケ・タイ・スズキ・ブリやハゼ・キスの仲間などの骨が検出されており、これらの魚を大型の土錘を付けた網で捕まえて食べていたのでしょう。
遺跡から出土された土錘は、1千年以上も昔の、葛飾で暮らした古墳時代の人たちが、農耕だけではなく、近くの海で船を操って漁業を行っていたことを教えてくれます。
(郷土と天文の博物館)
(かつしか郷土史探訪は『広報かつしか』毎月25日号に掲載されます〉 |