かつしか郷土史探訪 (5)


土師器(はじき)と古代国家

御殿山遺跡出土の畿内系土器(当館所蔵)

 戦国時代、青戸には葛西城があり、その城跡の小高い土地からは、古墳時代前期四世紀の住居跡や井戸跡、四方に溝をめぐらせた方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)などが発掘されています。この遺跡は御殿山遺跡と呼ばれ、東京低地でも拠点的な集落が営まれていたと考えられています。遺物も、かめ、つぼ、高杯(たかつき)などの土師器(土器)や土錘(どすい/網に付けるおもり)などが発見されています。土師器の形態や粘土を観察すると、東海地方や近畿地方、北陸地方の他地域からもたらされた、あるいは影響を受けた土器が多く認められます。このような土器を外来系土器と呼んでいます。

 御殿山遺跡の代表的な外来系土器は、口縁部がアルファベットのS字のように屈曲する「S字状口縁台付甕(こうえんだいつきがめ)」(以下S字甕)です。このS字甕は、愛知県尾張地方を中心に分布する土器で、東京低地へは、主に太平洋沿岸伝いに船による水上経路によってもたらされたものと考えられます。

 東海系を主体として畿内系や北陸系などの外来系土器が出土するということは、土器だけがこれらの地域からもたらされたという表面的な問題ではなく、土器とともにその地域、特に東海地方の人々が移動してきたことを物語っています。

 東京低地が陸化して人が住み始めるようになる古墳時代前期は、畿内地域にヤマト政権が誕生する時期です。外来系土器の出土は、古代国家形成という大きな政治・社会的変化といううねりが、本地域にまで波及したことをうかがわせてくれます。

 (郷土と天文の博物館)

 

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(かつしか郷土史探訪は『広報かつしか』毎月25日号に掲載されます〉


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