かつしか郷土史探訪 (3)


葛と葛 ―「かつしか」表記の歴史

藤原(奥津)家定寄進状部分(浄光寺所蔵)

 

 「かつ」が文字としてどのように表されていたのか、歴史的にたどってみると、最も古い史料で、下総国府が朝廷へ提出した養老5年(721年)下総国飾郡大嶋郷戸籍には、「飾」となっています。

 万葉集の中では、「勝」「可都」などと、音に漢字を当てています。また、応永33年(1426年)の藤原(奥津)家定寄進状には「葛西庄」として「葛」の字が記されています。

 こうしてみると、「かつ」という漢字の表記は、「葛」とする事例が多いようです。

 鎌倉・室町・戦国時代の文章は全体が略字調であったため、正字の「」よりも略字の「葛」が、通常値われていたようです。

 また、江戸時代に「笠井」などという当て字が使われていたことを見ても、音の方が重要視され、文字はそれほど重要ではなかったのでしょう。

 現代になっても「かつしか」の「かつ」の字は、「」または「葛」と書かれています。新大辞典や大字源によると、「」が正字で、「葛」は略字または俗字とされており、文化庁国語課でも同様の見解がなされています。

 飾区では、「かつ」の表記を、正字の「」の字に統一し使用しています。

 (郷土と天文の博物館)

     (葛飾区郷土と天文の博物館)

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(かつしか郷土史探訪は『広報かつしか』毎月25日号に掲載されます〉


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