かつしか郷土史探訪 (2)


葛 西 (かさい)

 葛飾郡の分割状況(12世紀)

  皆さんは、「葛西」というと、おそらく地下鉄東西線の葛西駅がある江戸川区を連想されることでしょう。今回はその「葛西」を紹介します。

 古代、国郡制により誕生した下総国葛飾郡は、平安時代後半になるとその郡域は三分割され、北部は下河辺庄という広大な荘園に、南部は現在の江戸川を境にして、東側が葛東郡に西側(現在の葛飾・江戸川区など)が葛西郡になりました。

 葛西郡は鎌倉時代、この地を治めていた葛西氏により荘園化され、葛西御厨とも呼ばれました。戦国時代になると、葛西郡は後北条氏の支配下となりますが、江戸時代には幕府直轄領の武蔵国葛飾郡葛西領となります。明治になり、葛西領は南葛飾郡と名称が改められ、さらに昭和7年の市郡併合により葛飾・江戸川・墨田・江東区に分けられました。このような経過を経て、江戸川区に葛西の名が残ったのです。

 しかし、中世葛西の政治・交通の中心地は、葛西城があった青戸でした。葛西のかなめだからこそ、青戸にあっても葛西域と呼ばれていたのです。

 (郷土と天文の博物館)

 

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(かつしか郷土史探訪は『広報かつしか』毎月25日号に掲載されます〉


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