かつしか郷土史探訪 (15)


埋められた渡来銭

井戸から出土した貨幣(葛西城)

 中世における経済活動では、一般に中国から輸入された渡来銭といわれる貨幣が使われていました。

 嘉永3年(1850)上千葉村(現在の西亀有付近)に住む青田伝四郎という人が畑を耕していたところ、約1万5千枚の貨幣が詰まったつぼが、土の中から出て来ました。

 また、昭和54年の葛西城発掘調査でも、本丸跡の井戸の底から4,771枚もの貨幣が掘り出されています。いずれも、貨幣の種類などから、中世に埋められた渡来銭であることが分かっており、この時期に多量の貨幣を一括して土中に埋める行為は、全国各地でも見受けられています。

 これら埋められていた貨幣は、これまでは備蓄銭と考えられていました。上千葉の例では財産を、葛西城の例は再興をはかるときのための資金として「貨幣を蓄える」と解釈されていました。

 しかし、最近貨幣の流通などに関する文献や調査事例を解析している橋口定志氏は「銭を媒介として、一定の土地の占有をその土地の神様(地主神)に認めてもらうために行った行為ではないか」と述べ、「埋納銭」という新説を示し、注目されています。

 上千葉の貨幣とつぼは、今でも吉田家で保管されています。経済活動の面だけではなく、貨幣と神、そして人との関係など、これまでと違った角度から見た中世葛西の新たなる一面を探るため、現在もこの貨幣とつぼの調査をしています。

 (郷土と天文の博物館)

 

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(かつしか郷土史探訪は『広報かつしか』毎月25日号に掲載されます〉


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