かつしか郷土史探訪 (10)


牛馬と農耕の祭礼

古録天東遺跡出土の馬の頭(歯の部分)

 奈良時代、甲和・仲村・嶋俣の三里で構成されていた大嶋郷は、現在の柴又・奥戸・立石などの地域と推定されています。その遺跡からは、当時を物語る土器などの遺物とともに、牛や馬の顎(あご)の骨や歯などが発見されています。

 古録天東遺跡(柴又一丁目ほか)からは、馬の頭を埋納した穴が発掘されています。骨はすでに朽ちており、出土したものは歯の部分だけでした。上顎(じょうがく)の歯の列が下に、下顎(かがく)の歯の列が上になった状態で出土されていることから、馬の頭を天地を逆さまにして埋めて供えたようです。

 本郷遺跡(奥戸二丁目ほか)では、奈良時代のころに使われていた水路から、故意に割って粉ごなにした須恵器の破片とともに、馬の顎の骨や歯などを出土しています。これらは、人為的に埋める際に納められたもので、馬は古録天東遺跡と同様に、頭だけが供えられていたようです。

 このほか、鬼塚遺跡(奥戸一丁目ほか)では、井戸に牛の頭が供えられていたり、柴又帝釈天遺跡(柴又七丁目)や正福寺遺跡(奥戸四丁目ほか)では、馬の歯のみを穴に埋めた例もあります。

 これらの牛や馬は、農耕を背景に行われた祭礼に供えられたようです。祭礼は、新しく畑をおこすときや豊作祈願、雨乞いなど多様な目的で行われ、土地を耕すなどに使われた大切な牛や馬をささげたのです。

 大嶋郷内で、このような牛や馬を供えた儀礼が多いということは、奈良時代以降におい農耕が重要な生業活動であったとともに、牛馬の飼育も盛んだったことを裏付けています。最近の研究では、大嶋郷付近に公営の牧場が設置されていたという考えも示されています。

 (郷土と天文の博物館)

 

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(かつしか郷土史探訪は『広報かつしか』毎月25日号に掲載されます〉


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