映画館がやってきた! 映画鑑賞記

ゴジラ('54)

■DATA

Story

 ある日、漁船が未知の生物に襲われた。古老によればそれは「ゴジラ」という 不漁の時に船を襲う怪物だという。
 科学者達は、水爆実験によって突然変異した古代生物ではないかと突き止めるが、 そのゴジラが東京に上陸する。
 自衛隊の作戦がことごとく失敗する中で、一つの猛毒兵器が最後の切り札として 登場する。その名は「オキシジェン・デストロイヤー」。果たして人類はゴジラに 勝てるのか?

感想

 米ゴジラを見て評価するには、やはり初代のオリジナル・ゴジラを見ることが必要ではないかと 思い、正面から取り組む。従って、この一文は初代ゴジラの鑑賞記と言うよりは、米ゴジラを考 えるための材料として書きます。

●映画導入部分における、米ゴジラとの一致点
・登場シーンのくつろぐ船員と謎の生物の攻撃、SOS発信のシーケンス
・ただ一人の生き残り
・ゴジラという名前は、日本の漁村に残る言い伝え
・嵐の晩に踏みつぶされる漁村。
・科学者のリーダーは古生物学者
・破壊された村でガイガーカウンターを使う技術者
・足跡を調べる科学者
・ゴジラは水爆実験の犠牲者

 ここにあげたように米ゴジラは、導入部は「かなり細々した項目を押さえながら オリジナルの雰囲気を追いかけている」と言えると思いました。

●骨組みに関する、米ゴジラとの一致点
・ゴジラを殺したくない科学者の気持ち
・ゴジラは攻撃されることで凶暴性を刺激されていくこと
・基本的に怪獣映画ではなく、災害ドラマであること
・命がけで報道するTVマンが出てくること

 日本の続編のゴジラは、怪獣映画に成っていくのですが、初代のゴジラは水爆実験によって 住処を追われた「ジュラ紀の生物」による災害であるという点を強調しています。
 これは、日本の続編より、米ゴジラの方が忠実に初代ゴジラの精神を継いでいると 言って良いのではないでしょうか。

●論理的連続性
 初代ゴジラには、明らかな反戦、反核の意図と、ゴジラもまた核の被害者で あるという見せ方があり、そのゴジラを倒そうとする人たちと、そのことに痛 みを感じる人との葛藤があります。
 特撮は未熟だし、デザインも後年のゴジラと比べるとカエルみたいであまり 怖くも格好良くもないのだけれど、ただの怪獣映画になっていった続編に対し て、主張の強い、意気込みが吹き出すような映画だと思いました。

 初代ゴジラの最後のせりふは、

 「あのゴジラが最後の一匹だと思えない」
 「もし水爆実験が続けられるなら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかで  現れてくるかも知れない」

 となっています。

 愚かなことに、現在まで世界は水爆実験を続けてきました。
 米ゴジラは「水爆実験によって生まれた"同類"」そのものなのでしょう。 そして、もっとも直接的に初代の跡を継いでいる作品であるのだと思いました。


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文:唐澤 清彦 映画館がやってきた!