慶悟沙彌の「今月の言いたい法話」

1997年11月の法話

 

 「郷土に還元!」

 11/1日、母校である加古川市立中部中学校創立50周年記念行事の一貫に招かれ、第1部 江夏投手の講演に続き、第2部で演奏を依頼され、ピアノ五重奏の編成で公演しました。

 日頃、日本各地から遠くは海外まで出向いての公演ばかりで、なかなか地元で演奏する機会が少なかったのですが、今秋は演奏旅行の合間に地元の公立幼稚園、中学校、老人大学、勤続15年を迎える県下の教職員の為のセミナーなど、多くの機会に恵まれ地域の方々と心から音楽を通して触れ合うことが出来たとに感謝しています。

 しかし、私にとっては郷土での公演は照れくさいものでもあります。幼なじみや、多くの知人の前で公演しなくてはならないからです。市長、市議会議員、町内会長、新旧PTA会長、PTA役員、学校の先生、皆、友人や、親の代からのこころやすい知人でした。

 演奏会で手を抜くことは決して無いのですが、特に地元と言うこともあって、全力で演奏しましたところ、満席のお客様に拍手喝采を頂きました。この時、日頃仕事の関係でなかなか町内の行事に参加できず勝手ばかりしているのに、とても暖かく我々を受け入れて下さり、そして、純粋に芸術を楽しんで理解して下さる皆さんに感謝感激雨霰でした。

思えば17年前ウィーンより志すことあって郷土に帰り始めた、芸術・文化的な香り高い心の安らぎの一時の場を寺に作る努力が、今、郷土に根付こうとしてる確信を得ました。

己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。と伝教大師最澄お言葉を少しならず実践させて頂きながら歓びを分かち合えることが出来た事は、両親と阿弥陀様のお導き以外無いと感謝に絶えない思いになったのです。

かたよった宗教や、権力に左右されない、そして、無くてはならない純粋な人間の営み、それは、やさしさを求める行為。許す行為。与える行為。では無いだろうか!

世の中には他人を批判したり、陰口をしたり、陥れたりする事が平気で出来る人がいます。そんなことをしていると、良識ある世間で認められる人から益々距離が出来、孤独になり、また、人を怨んだり、妬んだり、危害を加えたりして悪循環となるのです。そのような人のために佛教が本来存在する価値があるはずです。しかし、現実は僧侶の資格ある者が陰で一般市民や純粋な子供にに罵声を浴びせ、いやな思いをさせたりするのです。また、警察官が泥棒したり、銀行員や保険会社が横領し、政治家が私欲の為だけに働いたり、医者が治療費をごまかしたり、まったく現在の日本人社会はひどい病にかかっているとしか言い様のない有り様です。特にこれまでの日本人は制服(僧侶や神官、牧師・神父も含む)を信用しすぎていたのではないでしょうか?確かに先人達の中に本当に偉大な尊敬する人物が多数いましので、彼らの遺徳を学んできました。だけど、彼ら以外、その他多数の現在の聖職者達は、その偉大な人物達のレッテルに身を隠し現在人に誤解を認識させないで安住している、或る意味では偽善者なのかもしれません。

本質を見極める目と心を持つことが我々現在人の修行です。まやかしを見抜く力が必要な時代になったのです。制服や、政治家や、宗教者などの偽善者に騙されない為に、まやかしのない芸術や音楽、スポーツや文学にトライして精通してみましょう。また、日本古来の何々「道」と付くモノも、きわめれば、これに勝る修行はありません。例えば茶道、華道、書道、剣道、柔道などです。しかし、その本質を見極めるには、素晴らしい師匠との出会いがあればこそです。

 悲観的な文章に後半なりましたが、決して日本も捨てたモノではありません、私自身、音楽や佛教、キリスト教、教育関係、政財界など様々なジャンルの人と出会いましたが、99%の人々は素敵な魅力に包まれ、純粋で謙虚な人ばかりでした。素敵な出会いを与えて下さった全ての神仏、この文を読んで下さっている貴方様との運命の出会いに心から感謝します。

乱文御免 合掌

発信者*教信寺塔頭法泉院法嗣*慶悟沙彌

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