慶悟沙彌の「今月の言いたい法話」

1997年09月〜10月の法話

  暑さ寒さも彼岸までと、昔から言われますが、今年も暦どおりに朝夕肌寒くなってきました。皆さんは、どの様な秋の風情をお楽しみでしょうか?芸術の秋?読書の秋?スポーツの秋?食欲の秋?

 私は何と言っても食欲の秋です。秋の味覚は豊富です。畑からは新鮮な野菜や穀物が、海や川からは旬の魚介類、山からは果物や木ノ実、そして「まつたけ」!

 このシーズンは有り難いことに、毎年スケジュール調整に困るほど演奏や講演に招かれて、日本全国津々浦々、寄せさせて頂いています。その上、各公演の地元で、お世話になった主催者やスポンサーより郷土自慢の旬のご馳走をしていただくものですから、公演の準備や移動の疲れもすっかり忘れ、芸術の秋のシーズンがあっと言う間に過ぎ去っていくのがここ数年の通例となりました。

 ふだんの生活ではなかなか頂けない広島の松茸、瀬戸内の天然の鯛、九州の関サバ、関アジ、宮崎の馬刺、鳴門のヨコア、ふぐの肝。公演地での滞在ホテルへ着くなり、地元の方が郷土自慢の話の肴に一席設けて下さる。実にもったいなくも、誠に有り難いことです。

 しかし、環境破壊が進む現在、魚介類も山菜も激減してきているのが現状です。新鮮な魚介類の漁獲量が減ったのは海洋の汚染、大気汚染に影響される温暖化による海流の変化、様々な原因が上げられますが、その、全ての要因を作ってきたのは我々人間であることは衆知の事実です。

 きれいな海に戻すには、海にそそぐ川をきれいにする、川をきれいにするには自然の水の流れを人工的に堰やダムで止めないこと、川にそそぐ山の木をむやみに伐採しないで、山に降り注いだ雨水を保有する自然の力を破壊しないことです。悠久の時が作り上げてきた自然のサイクルを人間の利権だけの為に寸断してしまってはならないのです。

 本来、国有林を守る営林事業が、借金返済のために無計画に山の木を切り出しています。しかし、人件費のかさばる日本の木は、海外の安い木材の相場に押され、利子の返済にも充たないのが現実です。しかし問題はそれ以上にあるのです。禿げ山に降った雨は、鉄砲水となって一気に山の土砂を含み土石流になって川へ下り落ちるのです。それをくい止めるために何百億円もの税金を使って砂防ダムを建設しますが、すぐに、土砂でつまり、また、麓に第二の砂防ダムを造ると言う悪循環です。

 きれいな水の流れを作るべき川の源流がこの状態で、既に川は泥水。川の支流ではきれいな水を必要とする工場が工業排水を垂れ流し、その川が作り上げた下流の洪積大地では人間の生活から出されるおびただしいゴミと汚染された排水が海に流れ出る。

 大都会の近海で漁業をする漁師は捕れた魚を自分の子供や孫には食べささないそうです。農家でも、農薬できれいに作った野菜や果物は同じように子供に食べさせません。プライベート農園で作った、形が悪くても、虫に食べられた無農薬の野菜や果物だけを自分たちは食べているそうです。と言うことは、スーパーに豊富に並んだ食品はどういう事になるのでしょうか?自然を破壊した都会の人間が食べるのだから自業自得ですむ問題でしょうか?

 いま、我々の出来ることは、便利になった豊かな生活から、少しずつ後退して、50年、100年前の自然と一緒に暮らしていた時代を思い出し、本当に豊かだった自然のサイクルに戻してあげる事が、次の世代への責務では無いでしょうか。漁師達は自分たちの漁をする海域に流れ込む川の上流に、植林をはじめました。山に緑を増やすことが海をきれいにする第一歩と分かったからです。

 それぞれが、どうすれば、全ての生命を育んできた地球の環境を元に戻すことが出来るかは、身近なことから一緒に考えていきましょう。人間はそのために仏様から智慧=(prajna・パーニャ・般若)を授かったのですから。

                        乱文御免 合掌

発信者*教信寺塔頭法泉院法嗣*慶悟沙彌

ご意見・ご感想・その他メッセージは、
以下のE-Mailアドレスに
ご自由にお書き込み下さい。
質問メール

to page 「慶悟沙彌の今月の言いたい法話」

to page「教信寺」

to home page「音楽の館」