慶悟沙彌の「今月の言いたい法話」

1997年7月〜8月の法話

 97”7/13から7/30まで旧東ドイツのBautzen市及びZittau市に招かれ、シューベルト生誕200年記念コンサートで、シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」を演奏してきました。共演者はP.シュラィヤーやF.ディースカウのドイツリートのピアノ伴奏では、現在世界最高峰のアメリカ人ピアニスト、「ノーマン・シェトラー」、元、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の首席奏者でミュンヘン国立音大の教授や、欧州各地の大学教授達で構成するヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの「ドイツ弦楽三重奏団」そして、日本からコントラバスで私が参加し、実に楽しい初顔合わせのアンサンブルでした。二都市での公演は、我々5人の個性と音楽性が3日間のリハーサルで一つにとけ合い、結果的に本番では水々しいシューベルトの演奏になった為、超満員の会場のお客様は感動して下さり、いつまでも拍手を送って下さいました。

 今年3月に台湾やフィリピンに同じシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」の公演で、日本の音大教授メンバーで行ったときもそうでしたが、ドイツの、どちらの公演も教会の大聖堂の祭壇前に特設ステージをつくってもらい、十字架や聖母マリア像の前で演奏しました。特にBautzenでの演奏会場になった中世からの教会は、老朽化が進み再建計画中であることを、この度の演奏会の主催者である市民文化団体の方より耳にしました。そこで、アンコールの後で演奏者自ら募金を呼びかけたのです。すると、演奏会に感動したお客様から、なんと約300万円の寄付金が一夜にして集まったのです。これには、我々も、主催者も驚きました。本当に欧州の人達の精神的意識の高さと、芸術の力を目の当たりにし、教会の復興にも一役果たすことが出来たこと、また、民族や宗旨・宗派を超えて心が一つになれる音楽の力に出会えたことにも感動し、本当に嬉しい限りでした。思えば、この感動は、震災直後でも味わったことなのですが、震災被害者である阪神在住のメンバーを中心にオーケストラを召集し、加古川の市民団体と、私どもが共催したチャリティー公演で、やはり一夜にして470万円の募金を集めさせてもらったことを思い出しました。日本の一般市民も捨てたものじゃありません。

 さて、本番翌日からは、最もドイツらしい面影を色濃く残す美しい中世の街Bautzen市で、コントラバス・マスター・クラスの教授として一週間、各国から参加した受講生に授業をしました。参加者はドレスデン・ハンブルク・チェコ・ウィーン・日本など各地で熱心に勉強を続けている23歳から56歳の男女で、私のつたないドイツ語でのレッスンに付き合ってくれました。

 いつも欧州に行くと、大平野に広大な麦畑、ひまわり畑、じゃがいも畑が延々と続き、草原には、牛や羊、鶏やアヒルがのどかに飼われている光景を見て、この地方の人々は、食糧難とはほど遠い豊かな生活を送っているんだなと、安心感を覚えます。そして、森や川をいつも自然な状態に管理し、長い歴史が育んだ自然のサイクルを決して壊したりしない精神の豊かさに感動するのです。欧州に来ると本当に文明国家が300年前となんら変わらぬ時間の使い方をしているように思えます。中世の欧州では街や畑を作るために森を切り開いたでしょうが、最小限の自然破壊にとどめている様です。何故なら、街の至る所に樹齢何百年もするような大木が育っているのですから・・・・・。その、自然を大事にする心は現在人に受け継がれ、本当に地球に遠慮しながら人間が住まわせてもらっていると言う表現がぴったしなのです。戦前までの日本もそうであったように思えますが、現在の日本ではどうでしょう?

 例えば、お隣の家の庭にある大木の枯れ葉が自分の敷地内に風のいたずらで舞い込んでくると、迷惑だと言って木を切らせてしまう様な世の中です。そんな寂しい心の人間が、当然の如く気が付く間もなく自然環境を悪化し、近年の天候不順に一役かっているかも知れません。

 欧州で生まれ世界に広がったいわゆる現在人言う「クラッシック音楽」は、人間が作り出した文明の中で、恐らく最高傑作の一つではないでしょうか。 例えば、言葉は世界の民族の数以上に歴史的にも膨大な原語が存在し意思の伝達の役目を果たしてきました。しかし、美しい言葉の芸術と反対に人を傷つけ、罵り合い、野蛮な暴言、差別用語が世界にいくらでも存在するのです。その結果、個人同士では喧嘩になり、国同士では戦争にまで発展します。例えば、物理学・科学・工業にしても、ついには殺人兵器を作ってしまうのです。また、宗教は、民族の結集に利用され、世界の歴史上の殆どの戦争は、宗教戦争と言っても過言ではありません。

 利権や金に群がる亡者。金融業界が成り立つのは人の欲が渦巻くから。保険業者が成り立つのは人の不安につけ込むから。人の悲しみに群がる葬儀業界と葬式坊主、実にむなしい図式ではないでしょうか。

 大宇宙に存在する生命は全て使命を持ち、そのDNAは子孫を残して何世代もかけて使命を全うし滅びていきます。では、人間は、いったい何の使命を帯びてこの地球に存在しているのでしょうか?この答えのヒントになるのが有るとすれば、それは、恐らく二つに分かれると思います。今の世の中での、一つは、大自然の中に暮らせる幸せな人が、もう一度自然を見つめ直し、感謝することの中にあります。つまり地球上で植物を栽培したり、植林出来るのは唯一人間だけです。地球に緑が必要だから、人間に食物として一部を与え、住まいとして樹を使わす事により植物のDNAは存続し続けるのです。しかし、もう一方では、人間が植物の品種を絶滅させています。愚かな人間が、自ら首を絞めるように、環境破壊を急速に進めているのです。ですから、自然が無くなった所に暮らす人には、まず、大自然の恵みあるところへ旅をし、悠久の時間が造形した自然の美しさを肌身で感じてもらい、その美しさに敬虔な気持ちで接することです。しかしほとんどの人は仕事や諸々の事情でいつもそんな所に出かけられません。ですから、大都会になればなるほど出会えるチャンスが多い偉大なる本物の芸術、例えば、音楽・絵画・彫刻、文学、そして文化遺跡を鑑賞することです。その積極的な行為によって、我々の祖先が崇高なる芸術に託して未来に伝えるテレパシーから、隠されたメッセージを読み取ることにあるのです。

 まやかしの宗教や宗派。極彩色の衣を身にまとい、その坊主の地位や特権に安住する、偽善者と言わざるをえない極希な一部の若い僧や、その母。諸々の宗教に感化され勧誘に来る宣教師や、子連れの若い主婦。個人の利益を貪る政財界。欲望を挑発するマスコミ業界。全ての世俗界の色欲に惑わされては、貴方が今、何のためにここに存在し、生きているのか分からないで、一生を送ることになりかねません。大事なことは謙虚に自分を見つめ、正しい智識を持って、どんな世界に遭遇しても、美に感動する慶びの心と、自己判断が出来る悟の世界を失わない。そんな事を一度は考えてみるのも、悪いことではないと言うのが欧州公演から持ち帰った慶悟沙彌の今月の言いたい法話でした。

                           乱文御免 合掌

発信者*教信寺塔頭法泉院法嗣*慶悟沙彌

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