1st TRACK

 ラッシュのピークが過ぎて、人影がまばらになりつつある師走町の駅前で、一人の少年が佇んでいた。
 身長は160cm代と小柄。
 両手首に白い包帯を巻いているのが特徴である。
 どちらかといえば柔らかく、下手をすれば女の子と間違われる容貌。
 でも、眼差しだけは鋭く、12月の北極海のように凍てついていた。
 それが周囲に誰も近寄れない無音の空間を作り出している。
 荷物は大きいナップザックが一つ。
 彼はふと、駅前の広場に立っている時計を見て呟いた。
 「・・・もう2時間になるのかよ」
 時計の針は9時を差していた。
 約束の時間からとっくに二時間が過ぎていた。
 彼、遠野拓海が高速バスで師走町駅前に降り立ったのは人に会うためだった。
 ここで新しく拓海のかあさんになってくれる人が待っていてくれる。
 そういうことで施設から追い出されて、拓海はここにきた。
 うざったかった。
 何もかも。
 肉親なんて、親戚なんて、施設の人間だってうざったかった。
 だから、拓海はこれ以上待つことを諦め、この場から立ち去る事にした。新しい肉親なんてそんなものは欲しくなったので待つどころか遅れているのは好都合だった。
 財布を見る。
 500円しか入ってなかったが落胆せずに周りを見まわした。ピークは過ぎたといっても人通りはある。歩いている老人や若者、中年の誰もが拓海から見れば食肉と財布が歩いているようなものだった。ただ、流石に駅前でスリやひったくりをするのは問題なので、し易い場所を頭の中で想定してみせる。
 「ごめ〜ん!!」
 と、その時、拓海の元に一人の少女が駆けよってきた。年齢は16から17歳ぐらいの子でとにかく幼い感じの少女だった。1回上げては二つに分けているロングヘアがその印象を強め、白と黄色を主体とした服に背中につけた羽根がとち狂った感じも持たせていて、行く人来る人が彼女の存在を視認するなり振り返る。
 「ごめんね・・・・・」
 そうやって、拓海の元にくるとダッシュした反動で犬のように激しく息をした。よっぽど長い距離を走ってきたのだろう。
 「・・・・うづき、おねぼうしちゃったら待たせちゃってごめんね」
 「あんた、誰?」
 冷淡に拓海は返すが、内心では動揺していた。
 「やっだなぁ〜 うづきだよー。もう、拓海くんってば」
 「誰かと勘違いしてるんじゃないのか」
 冷たい眼差しで威嚇をするが、その少女には通じていないようだ。
 「勘違いなんてしてないよぉ。そのかわいいのに冷たい目をしているのって拓海くんだけだもん」
 「・・・・・・・・・」
 ここまでいわれると拓海としても、もはやごまかすわけにはいかなかった。
 
 施設の人間は高速バスのチケットを渡しながら、こういった。
 「師走町にお前を引きとってくれる人がいるそうだ。よかったな。これでオレもお前の面を見ずにすむんだからな」

 「まさか、オレを引きとってくれる人って」
 「そうだよ、うづきだよ」
 そういって、その少女はにぱっと笑った。
 「これからうづきが拓海くんのママになるの。よろしくね」
 「・・・・・・」
 拓海はその言葉を睨み付けたまま聞いていた。
 差し伸べられた手にも伸ばすことなかった。

 拓海はその少女、四天王うづきが実は20を超えていることを知っている。
 始めて出会ったのは、2年前、
 彼女が拓海の通っていた中学校に教育実習で現れたのがきっかけだった。

 「・・・いま、なにやっているんだよ」
 しばらくしてから拓海が尋ねるとうづきは笑ってこたえた。
 「先生をやってるの」
 「先生になれたのか」
 実習時間終了時のうづきのことを見ると、とても先生になれるとは思えなかった。
 「こよみ学園というところで絵を教えてるんだ」
 「おまえはそれぐらいしか脳がないからな」
 「ひどーい」
 そんな言われ方をするとうづきも腹が立った。
 「じゃあ、その他に芸があるとでもいうのか?」
 「えっとねぇ・・・・」
 うづきは考えた。
 考えた。
 「うんとねー・・・・・やっぱり、絵ぐらいしか思い付かない」
 おいおい
 「もう、拓海くんったらひどいよぉ」
 うづきは拓海のことをぽかぽか叩こうとした。けれど、拓海に頭を抑えられて虚しく腕が空振りする。
 「拓海くんのばかぁ」
 「で、これからオレをどこに連行しようとしているんだ?」
 うづきはすねたが、拓海はそれに付き合わなかった。
 「うーんとね、えっとぉ・・・・」
 目的を思い出したうづきは人差し指を口元に当てて周りを見る。その仕草が何処となく可愛い。
 目の前に茶色い壁のマンションがあった。
 「あっ、ここだここだ」
 ずるっ
 「あれ、拓海くん。どしたの?」
 「呆れてるんだよ」
 素晴らしいまでのいいかげんさについていけなかった拓海だった。
 「いいじゃない。終わりよければ全て良しっていうし」
 「まだ、終わったわけじゃないだろ」
 「あははは、そうだねっ♪ ママ、一本取られちゃったな」
 そういってうづきは笑っていたが、拓海はため息をついた。
 ”ママ”という言葉が出たところで、釘を差したくなった。
 「いっとくけど、あんたがオレをママと呼ぶのは勝手だけど、オレはあんたのことをママだなんて認めてないんだからな」
 今更、母親なんて欲しくなかった。
 母親なんていらなかった。
 「そんなぁ・」
 うづきの目から涙がにじみ出る。
 拓海はそんなうづきを無視してマンションの前から立ち去ろうとした。
 が、その矢先に腕をがしっと掴まれる。
 「ママと呼んでくれなきゃやだっ」
 「おい、離せ」
 拓海は振りほどこうとするが裸締めをする陸奥九十九並みの力がかかっていて振りほどくことができない。
 「ママと呼んでくれなきゃやだっ、ママと呼んでくれなきゃやだっ、ママと呼んでくれなきゃやだやだやだやだぁぁぁぁっ!!」
 こうなると子供と変わらない。
 ガキのように泣きじゃくるうづきを連れてはどうすることもできず、かといって承諾することもできず、拓海は成す術もなく立ち尽くすしかなかった。

 それから一時間後、
 
 「ここがうづきの家だよっ♪」
 1時間ぐらいほどうづきの機嫌が回復するの待って、ようやく玄関に辿り付いた。
 うづきが玄関を開けると、そこには空間が広がっている。
 「そして、拓海くんの家だよ」
 「あっ、そう」
 嬉しそうなうづきとは裏腹に拓海はつまらなそうだった。
 「嬉しくないの?」
 「表情を動かすのが下手なだけだよ」
 全然嬉しくないんだけれど正直にいうとまたうづきに泣かれるだけなので嘘をついた。
 「そうなの?」
 「だから、無表情といっても内心では怒ったり笑ったりするんだ」
 「そうなんだぁ。拓海くんってば器用なんだね」
 こんなことで感心されても困ると拓海は思いつつ、そういったことには表には出さず、玄関に上がっていった。
 うづきの家は2LDKですべすべなフローリングの床にちゃぶ台が置かれているリビングが有り、その前に置かれてあるラックとTVを見ると問答無用で蹴り壊したくなるが、辛うじてその欲求を抑えると、ナップザックを適当に置いた。
 リビングの前にはドアが二つある。
 「じゃーん、ここが拓海くんのお部屋だよっ」
 ドアを開けた先には青々とした畳が6畳ほど広がっているだけだった。それ以外にはカーテンと窓があるぐらいで何もない。壁の白さが妙に焼き付いた。
 「拓海くんの好み、わからないから・・・・・」
 その余りのなさにうづきは勝手に弁解してはしゅんとする。
 「いや、別にいいから」
 調度品は何もないけれど、今までいた場所に比べれば天国のような場所だった。
 もっとも、ここが住処だとは決して思ってなんかいない。
 「いいの?」
 それでも上目遣いに、子供が親を見つめるかのようにうづきは言う。
 いったいどっちが親なんだろうか。
 拓海はため息をついた。
 「変わってないな」  
 「変わってないって、何が?」
 「昔から」
 2年前、教育実習に来た時とあんまり変わっていない。
 彼女の時が止まっているように見え、下手したら拓海が老人になっているのに、うづきはそのまんまなよう気がする。
 「そういえば、あんま変わってないね」
 「ガキ」
 拓海が一言で切って捨てると、途端にうづきは怒った。
 「もう、ばかばかばかばかぁぁぁっ!!」
 
 そうやって拓海の胸を叩こうとする辺りはほんとうに子供だった。
 どのやってみても先生には見えない。
 見た目にはぜんぜん変わっていないように見えた。
 

 「で、拓海くんはこれからどうするの?」
 一通り説明が終わったところでうづきが尋ねてきた。
 ”じゃあ、これから立ち去る”といいたかったが、うづきに泣かれるのが目に見えているのでいえなかった。
 「拓海くんがお休みしたいっていうなら、うづきもなにもしないけれど」
 そうはいうものの、全身から”あそびたい、あそびたい”オーラが放出されている。
 「いや、別にそんなことはないけど」
 拓海には拓海の事情があって、うづきを気遣ったわけじゃないのだが、そういうとうづきの”あそびたい”オーラは一気に爆発した。
 「じゃあ、ママと一緒に遊びにいこっ♪」
 「遊びにってどこへだよ」
 「拓海くんはこの町のこと知らないでしょ。だから、うづきが色々と教えてあげるの。面白いとこいっぱいあるよー、たとえば商店街とかあと海も近くにあるし、まあ、やよいちゃん家は恐いけど。それから後は拓海くんと一緒にお茶するの。とってもいいでしょ」
 「はぁ・・・」
 ひたすらに暴走するうづきを見て疲れを覚えた拓海であったが出かけることについては反対ではなかった。拓海にとって繁華街の位置を確かめること、人が大勢通る場所を確認することは大切なことだった。

 まず最初に辿り付いたのは、マンションと駅の中間地点にある、
 「えっとねぇ、ここが商店街っ!!」
 人がたくさん通るアーケードの中で、元気よくうづきが説明した。
 「んなもん聞かれんでもわかる」
 「ぶうっ」
 拓海の言う事ももっともなんだけど、うづきは気分を害した。しかし、すぐに笑顔になる。
 「ここにはおっきいデパートもあるし、ファーストフードもあるし、あと画材屋さんもあるし、大抵の物は手に入るんだよ」
 「へーそうかい」
 「でも、あっちにいっちゃだめだよ」
 うづきはある方向を指差した。
 「最近、ここも治安が悪くなっちゃって、あっちの居酒屋さんがある辺りは特に悪いの」
 「ふ〜ん」
 拓海の口元が僅かに歪んだ。
 つまり、そこには殺してもいい人間たちがたむろっているということだ。

 歓楽街の風景なんて、何処も同じだ。
 けばけばしいまでに激しいネオン。
 呼びこみをかける店員。
 その横を歩く酔っ払い。
 いつもそこには酒の匂いと、吐瀉物のすえた匂いがした。
 裏通りに放置されるゴミ袋。
 うつろな目で残飯を漁る野良犬。
  
 懐かしい。
 けれど、反吐が出る。
 そこからは何ももたらさなかった。

 「・・・拓海くん、こわい顔してる・・・・」
 気がつくと隣でうづきが悲しい顔をしていた。
 今にも泣きそうなので拓海は罪悪感にかられる。
 罪悪感なんてとっくに捨てたと思ったはずなのに。
 「なんでそういう態度に出るんだよ」
 「だって・・・」その時のうづきはどう見ても親に叱られた子供としか見えなかった。「だって、拓海くんってばとっても辛そうだったんだもん」
 つらい?
 その言葉に拓海は立ち尽くした。
 不意に腹部に打撃がきて、拓海はうめいた。
 「拓海くんっ!!」
 実際に来ているわけではない。
 それは遠い昔の記憶。
 「どうしたの!? いったいどうしたの!?」
 その記憶も隣で叫ぶうづきによって、消えていく。
 「拓海くん、だいじょうぶ!?」
 うづきは本気で拓海のことを心配してくれている。
 「大丈夫だよ」
 「・・・よかった」
 それを聞いて、うづきは安心する。
 静けさが戻る。
 しかし、それは嵐の前の静けさでしかなかった。
 「・・・・・いいかげんにしろよ・・・・・・・・」
 押し殺した拓海の呟きが空間を揺らした。
 「えっ・・」
 「いいかげんにしろっていってるんだよっ!!!」
 爆発した拓海の怒りにうづきは尻餅をつき、道行く人の視線がいっせいに二人を見る。
 「どうしてオレのことをそんなに心配するんだよっ、そんなことを言うんだよっ!! 同情か、それとも優越感に浸りたいからか!!」
 ひとしきり怒鳴ったあとで、沈黙が訪れた。
 呼吸する音が一際大きく身体の中から聞こえてくる。
 わからないかった。
 わからないけれど、とにかく腹が立った。
 拓海は身を翻すと、そのまま走り去った。
 後ろは振り向かなかった。

 行く宛なんてどこにもなかった。
 適当に歩いているとやがて海岸に出た。海沿いに道路が走っており、その先に砂浜が広がっている。とりあえず空は晴れ、青空が広がってはいるものの、地表を刺す日の光にいささか力が感じられなかった。
 5月なので、砂浜には誰もいない。
 拓海は波打ち際まで歩くと、砂浜に座りこんだ。
 波がゆっくりと押し寄せてはゆっくりと戻っていく。
 その様子を拓海はぼんやりと眺めていた。

 母親なんてほしくなかった。

 あの時、拓海はとってもお腹が空いていた。
 もう3日も食べてなくて、お腹の皮と背骨がくっつきそうで、とにかく苦しかった。
 何も食べてないということが、
 胃袋の中身が空っぽだということがたまらなかった。
 だから、冷蔵庫の扉を開けた。
 
 その途端、背中をおもいっきり蹴られて幼かった拓海はうめいた。
 「この泥棒がぁっ!!」
 振り向くと母親が顔を真っ赤にして怒っていた。
 「おなかがすいただけだよ」
 「いつ、あたしがご飯を食べていいっていったんだっ!!」
 何もないお腹に蹴りは思いっきり応えた。
 胃の中に入っている食べ物も緩衝材の変わりになるんじゃないだろうか。
 痛みで拓海の身体は震えたが、それを感じる間もなく、母親の蹴りがお腹に目掛けて振り下ろされた。
 1発、2発、3発、4発、5発、6発、7発、8発、9発、
 「この生まれぞこないがっ!!!! おまえなんかしんじゃえっ!!!!!」
 10発、11発、12発、13発、14発・・・・・・・・・

 「いい加減にしろよ・・・・・」
 忘れたいのに、忘れることができない記憶。
 それは今でも続き、そして死の床につくまで忘れることなんでできないだろう。
 母親はいっていた。
 「おまえなんかしんじゃえ」と、
 では、どうして拓海は生き長らえているのだろうか。
 それは拓海にもわからなかった。
 不意に子供の声が聞こえてきて首を動かすと、いつの間にか砂浜には親子連れが来ていた。若い夫婦と、9歳ぐらいの男の子と4歳の女の子。おそらく潮干狩りにでもきたのだろう。男の子はすねまで泥状になった砂浜に脚をうずめては、熊手でしきりにかいており、女の子は楽しそうに走りまわっている。その様子を子供たちの両親は楽しそうに見つめている。
 走りまわっていた女の子が脚を取られて転んでしまい、泣き出した。
 男の子はその子をあやす。
 女の子はおにいちゃん子なのだろうか、しばらくするうちに泣きやみ、にこにこと笑い出す。
 そこには明るくて暖かい時間が流れていた。
 それを見ていた拓海の口元がにぃ、ってゆがんだ。
 ムカついた。
 親たちに愛されている二人の子供に腹が立ってしょうがなかった。
 自分は飯さえも満足に食わせてはもらえず、虐待ぱかりを受けていたというのに。
 親たちに愛されるあの子供との落差はいったいなんなんか?
 それがとっても腹が立つ。
 好きだった人が結婚すると聞かされる以上に腹が立つ。
 事を起こすと決めたら冷静になる。
 問題は彼らの戦闘力がどれだけあるかということ。
 拓海は潮干狩りにはまっている4人の親子をじっくりと観察し出した。父親のほうはサラリーマンのようで、逞しいというよりは運動不足のように見える。母親のほうは専業ではなくパートに出ているようであるがどうやらスーパーのレジとかの仕事のようで、そんなに肉付きがいいとはいえない。
 つまりは格好のターゲットというわけだ。
 念のためにもう一回確認してみたが、何処をどう見ても外見以上の強さを持っているようには見えなかった。
 よし、いける。
 あの親子連れを惨殺できると判断するとジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。そこに納められているナイフのグリップ感触が心地よい。
 これから起こすことを想像すると拓海の顔に自然と笑みが漏れた。
 ぶっ殺してやる。 
 ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる・・・・・
 拓海にとってはそれが全てだった。
 だが、親子たちにとって幸いなことに、それが実行に移されることはなかった。
 「全身から殺気を放出させちゃって、おだやかじゃないなあ」
 振り向くとそこに女性が立っていた。
 年齢は20前半。ショートカット髪にすらりとしているが無駄なく鍛えられた身体をしており水泳や陸上をやらせたらとっても速そうな、健康的な感じのする美人だった。
 「気のせいだろ」
 人を殺そうとしたことをおくびにも出さなかったが、これであの親子連れを殺すことができなくなったのにはがっかりした。
 がっかりすると、たちどころに疲れがどっときた。
 なんだか、たまらなかった。
 「しけたつらしてんなー、元気だせよ」
 そんな拓海を見て、その女性は心配してんだか無責任なことを言う。
 「元気だせって、なんであんたに言われたからって、元気をださなくちゃいけないんだ」
 すると、その女性はため息をついた。
 「・・・・まあ、そりゃそうだけどよ。落ちこんでるなら、このGTGが相談に乗るぞ」
 「落ちこんでもいないし、仮に落ちこんでいたとしてもあんたに相談に乗ってもらう義理なんてない」
 拓海が冷静に切り返すと、却ってその女性はいきり立った。
 「なんだと。人が心配してるっていうのに、その態度はなんだ?」
 拓海の態度は失礼以外のなにものでもないが、そんな言い方されると拓海としても腹が立つ。
 それが原因で、うづきと喧嘩とした。
 「心配してるって、なんで初めて会った貴様に心配されなくちゃいけねーんだよ」
 再び全身に力がみなぎってくる。
 怒りこそ最高の活性剤のようだった。
 「なにっ・・」
 「心配してあげているから真面目に相談しろってか。貴様はそんな口が叩けるほどの立派な人間なのか・・・・・そう思ってるんだな」
 そういう、”おまえのためにしてあげてるんだから・・・・”という考え方が、拓海にとっては一番ムカついた。
 「お、おまえ・・・」
 女性の顔も怒りで染まる。
 そんな女性を頭の先からつま先まで見て、さっきの家族連れと同じようにどれだけの戦闘力があるのか見極めようとした。さっきの夫婦に比べたら、この女性の方が遥かに戦闘力がある。互角かそれ以上か。でも、家族連れを襲うよりは、この女と戦ったほうが面白そうだと思った。恐怖もあるけれどそれ以上にワクワクする。それにこういう女を倒した時の征服感が自慰するよりも最高だった。
 だが、その矢先、
 「あーーーーっ!! 拓海くんってばこんなところにいたんだーっ!!」
 聞き覚えのありすぎる声が何もかもぶち壊しにした。
 「もーっ、拓海くんのばかぁっ!!!」
 「うわっ」
 次の瞬間、強烈な体当たりを食らって拓海は仰け反った。その上で体当たりしてきたうづきがぽかぽかと殴り出す。
 「うづき、拓海くんのこと心配してたんだからね。うづきのことをおいてきぼりにしてひどいよ」
 「だから首締めるな」
 外そうと思えば外すことは簡単なのに、歯車に異物が挟まったように調子が狂うのは何故なんだろう。
 「あははははは」
 その二人の様子を見て、女性は笑い出した。
 「笑ってるんじゃねぇ」
 「あははははっ、あははは」
 拓海は文句をいったが却って火にガソリンを注ぐばかりで、女性は声を上げて、おもいっきり笑い転げた。

 「なるほど、おまえが今度、うづきの子供になった子かぁ」
 それから数分後、三人は海沿いにある喫茶店でお昼を取っていた。カーペットが敷かれた座敷の窓から日の光を受けてきらきらと輝く海が見える。
 拓海はとんかつ定食、女性は塩ラーメンに焼肉定食、うづきはクラブサンドというオーダー。箸をつつきながら穏やかに会話が進んだ。
 「・・・・・まあ、そういうことになる」
 言いたいことはいっぱいあるがこじれるだけなので、今のところは封印しておいた。
 「オレは五箇条さつき」
 女性が自己紹介をする。
 「こよみ学園で体育を教えてるんだ。それで、こいつの友達」さつきはびしっとうづきに向かって指を指した。「まあ、かたっくるしいことは抜きにして、オレのことをグレートティーチャー・五箇条、略してGTGって呼んでくれ」
 「猿真似している辺り、貴様の知能の貧困さを露呈しているな」
 そういって拓海は味噌汁をそそった。
 何故か、その音ははっきりと響いた。
 「て、てめぇっっ」
 「だいたい今時の教師っていう奴は、就職活動に負けた、あるいはそもそも就職活動をする気もない世間知らずがつく職業だろ。大した社会経験もしてない奴に人を導けるとでも思ってるのか?」
 更にもう一発、きついのが入る。
 「てめぇぇ・・・・」
 「そんな青二才のいうことに反論できないようじゃ終わってるね。体育教師って筋肉があれば誰でもなれそうだからな。脳味噌が筋肉でも」
 トンカツ定食を食べながらの冷徹な一言一言に、もともと長くはないさつきの気が切れた。
 「てめぇぇっ、いわせておけばぁっ・・・・」
 だが、その怒りは不発に終わった。
 「ダメじゃないのっ、拓海くん」
 「うづき・・・?」
 さつきの手が伸びるよりも速く、うづきが怒っていた。
 「いちいち細かいところを突っ込まなくてもいいじゃない。なおかつバカにしたような感じでいっちゃって。拓海くんだって同じことをされたらいやでしょ」
 「・・・・・・そうだな」
 指先を1mでも動かしただけで折檻を食らったことを思いだすと同意することにした。
 「わるかったな」
 「感情がこもってねーなー」
 どうみても義理でやっているとしか見えない謝罪だったがうづきが言う前に対処したのだから何も言えなかった。
 「ま、いいか。じゃあオレのことはさつきでいいからよろしくな、拓海」
 「・・・・・よろしく」
 呼び捨てにするなと言いたかったが、また話がわき道にそれるだけなので、何も言わなかった。
 「学校にいったら、びしばしとしごいてやるから覚悟しろよな」
 「誰が通うかよ」
 学校に行く意味が理解できなかった。
 さつきはうづきを見る。
 「言ってなかったのか?」
 「うん。言う前に拓海くんってばうづきを置き去りにしちゃって逃げちゃったの」
 「さては女が出来た」
 「で、何がいいたかったんだ、うづき」
 またしても脱線しそうになったので拓海が口を挟むと、うづきはやや真面目になった。
 「あのね、拓海くんは明日からうづきとさつきちゃんが先生をしている、こよみ学園というところに通うの」
 「なんだって!?」
 それは聞かされていなかった。
 「どうして人生をドブに捨てるようなところに行かなくちゃならないんだよっ!!」
 学校にはロクな思い出がない。
 学校に通っているヤツラなんて人間のクズだという認識を持っている。
 いじめの対象になるくらいだったら仕事先を捜すか、もしくはカツ上げをしまくっていたほうがマシだった。
 するとさつきが笑った。
 「だって、おまえのような奴を野放しにしておくと危なくてしょうがないからさ」
 あまりにも分かり過ぎる回答だった。
 その通りである。幸せそうな家族を見た瞬間に一家惨殺を本気で計画するような奴を野放しにできるはずがない。
 「遠野拓海くん、いや四天王拓海くんだっけ。キミの噂はかねがね聞いているからねぇ〜」
 「なるほど」
 拓海は鼻で笑った。
 「でも、その判断は間違っていると思う」
 「なんでだ?」
 「オレだったら、精神病院にぶちこむかあるいは死刑にしてる」
 非常にきまずい空気が流れていた。
 拓海は平然と薄いとんかつを食べ、ソースのかかったキャベツをご飯もろとも胃にかっこむ。
 「おまえなあ・・・・・」
 疲れ切ったようにさつきがため息をついた。
 「自分でいってて悲しくならないか?」
 「別に」
 自分のことなのに平然としている拓海を見て、さつきは呆れた。だが、
 「けど、さつきを泣かせてどうするんだよ、拓海」
 「えっ?」
 気がつくと、うづきは泣いていた。
 「・・・・・・・」
 「そんな精神病院に入れろだの死刑にしろだの、自分で自分のことをそういうのってとっても悲し過ぎるよ」
 「だからって泣くな!! おまえの事じゃなくて他人の事で泣くな!」
 するとうづきは泣きながらもこういった。
 「他人じゃないよ!! だって拓海くんはうづきの・・・・家族なんだからぁ」

 家族。
 父親は母親の都合によってころころと変わった。
 母親のことはよくわからない。
 覚えているのは夜遅くに家を出て、明け方には酒臭い匂いを漂わせながら家に帰ったことと、
 ちょっと気にいらないことがあっただけで血を見るような折檻を加えるようなこと。
 その母親・・・拓海に言わせると遺伝子が自分とそっくりなゴキブリも今はいない。
 
 長い時の果てに太陽は水平線の彼方に身を隠そうとしていた。
 その際にまばゆいばかりの光を放って、全ての物を太陽の色に染め上げる。
 風が強く、冷たく吹き始めていた。
 「帰ろっか」
 海をじっと見つめていると、ふと、うづきが話し掛けてきた。
 拓海は空からうづきに視線を移す。
 その視線はとっても冷たかった。
 「な、なに・・・」
 うづきのその派手な衣装はどろで汚れていた。
 拓海の服も同様だった。
 「あははははは、ごめんね、許して」
 笑ってごまかそうとしながらも、声がだんだんかすれていってしまう。
 喫茶店で昼飯を食べたあと、三人は海辺で遊んだ。
 気がつくと、こんな時間になっていた。
 そして、さつきがいなくなっていた。
 「別にいいよ」
 「よかったぁ」
 子供のように安堵するうづきを余所に拓海は空を見つめた。

 空はまばゆいばかりの金色に染まっているが、やがて闇色に染まっていくだろう。
 何故、拓海は砂浜にいて、泥にまみれてしまっているのか何故か分からなかった。
 何故なんだろ?
 ふと、振り向くとうづきはにこにこと笑っていた。
 まるで幼稚園児のようだった。
 「あのね、拓海くん」
 「なんだ」
 「楽しかった?」
 誉められることを期待する子供のようにうづきは聞いた。
 「つまらなくはなかったな」
 確かにつまらなくはなかった。
 むしろ、その時だけ心が温かくなっていくのを感じていた。
 「・・・ほんとかなぁ」
 つまらなそうな顔でいっているのだから、嘘ついているようにしか思えなかった。
 「いっただろ、表情と感情が食い違うって。それにつまらなかったらつまんないっていう」
 そういって拓海は立ち上がった。
 「じゃあ、帰るか」
 「そうだね・・・・」
 うづきが同意したところで、ふと、うつむいた。
 「あのね、拓海くん」
 「今度はなんだ?」
 うづきは顔を上げた。
 笑顔を浮かべながらも真面目さを漂わせた表情を見せる。この時ばかりは20を過ぎた大人の顔をしており、突っ込みを入れようにも入られない雰囲気を発散させていた。
 うづきはきらきらと輝いていた。
 背後で太陽が最後の余光を放っていたから。
 そして、背中に背負われたしなびた翼。
 「拓海くんはうづきのことを認めていないかもしんない。でも、うづきは拓海くんのことを大切な子供だと思ってるから。でね、うづきの「ママ」って呼んでくれるよう、がんばるから」
 「そんなことを言うのはよせよ」
 拓海はそっぽを向いた。
 今のうづきを見ていられなかった。

 母親なんて、そんなものは欲しくなかった。

 「ねえ、拓海くん。一緒に寝よっ」
 夜、居間でのんびりしているとうづきがそういってきた。髪を下ろしてヘビードール風のピンクのパジャマを着た姿はどう見ても子供だった。
 「わかった」
 「わーい、わーい、やったぁやったぁっ!」
 拓海がうなずくと宝くじが当たったかのようにうづきは喜んだ。
 その程度のことで、何故、喜べるのだろう。
 「じゃあ、いこいこ」
 「待った」
 拓海がそういうとうづきの顔は曇る。しかし、
 「トイレに行きたいから、先に」
 その言葉に再びうづきは笑顔になった。
 「それじゃそれじゃ、うづき、待ってるから」
 そういってうづきは自分の部屋へ消えていく。
 「絶対だよっ!」
 最後にそういいのこして。
 拓海は笑っていた。
 笑いながら約束を破った。

 12時を回って、外は一段と冷え込んでいた。
 家々には灯りが灯っていて、それが暖炉の火のような暖かさを与えている。
 それが決して、手に届かないものだとしても。
 夜、
 色々といって拓海はうづきのマンションから抜け出して、近くの公園のベンチに座っていた。
 公園には拓海以外の人間はいない。
 白い街灯の光が拓海のことを照らしている。
 空はただ暗闇が広がっているだけで何も見えない。

 やっぱりあそこは拓海の居場所じゃない。
 だから、拓海はマンションにいることができなかった。
 うづきは拓海に笑いかけてくれる。
 
 でも、うづきのことを認めることができなかった。

 たすけてよ、かあさんっ!! 

 拓海はうとうととしかけていたが、思い出したように目が覚めると、吐くようにうつむいた。
 とっても苦しかった。
 首に強烈な圧力がかかり、息ができない。
 「かあさん、たすけてよ、かあさん、たすけてよ」
 拓海は狂ったように叫びつづける。
 川の流れに消えた救いを求める叫びを
 届くことのなかった想いを
 「たすけてよ、ねえ、たすけてよ!!!!!!」

 眠りたくない。
 眠るのが恐い。
 寝ると夢を見るから、
 川の水に頭をつけては首を締められて、殺される夢。
 眠るたびに続き、意識が消える。
 それが嫌だった。
 こんど眠りについた時、
 二度と意識が覚めることはないと思うと。
 それが恐かった。

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