4つの平和と正義 警察に将棋を1-4 名人挑戦者決定戦羽生VS藤井

MashudaBBS2003.03.10-11


警察に将棋を 番外 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)13時38分19秒

羽生はなり振りかまわず千日手で後手となり相振り飛車にしたわけだが、そこまでして名人になりたいのであればキチンとぶっちぎりでA級をなぎ倒すべきである。セコイ勝ち方で名人になる羽生など見たくない。
しかし指してしまったモノは仕方ない。今度は刑務所の将棋大会で講師として羽生竜王に参加を依頼するしかないであろう。「出所後のツッパリ講座」相振り飛車編という講座で囚人たちを慰めてもらいたい。


警察に将棋を4 刑務所戦法 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)13時28分39秒

羽生が相振り飛車を昨日指してしまった。相振り飛車という戦法は振り飛車党が「俺は飛車を振る以外生きて行けない」という後手番のツッパリ戦法である。我々は遠慮がちに障害者の戦法と呼んだが、羽生までこのように開き直るならば、今度は犯罪者の戦法と呼ぶことにしよう。そもそも「相振り革命」を書いた杉本などヤクザの若旦那風情である。昨年の朝日オープンではそのふてぶてしい対局室への入場姿に思わず「親分」と呼んでしまった新参者もいる。肩を怒らし下唇に力を入れていたのが杉本である。藤井は振り飛車党ではあるが、大介相手の竜王戦では相振りにはしなかった。大山も相手が飛車を振ったときは居飛車で対抗した。ところが羽生はなりふり構わないのである。刑務所では相振り飛車が流行っている。俺は俺でお前はお前という勝又のような者が大概刑務所に入るのである。羽生まで刑務所戦法に媚びを振るようになってしまったということは将棋村の無法地帯を暗示する。肩を怒らし下唇に力を入れる羽生など見たくない。後手の四間飛車に対して千日手を打開できなかった羽生の先手番としての責任は重い。


警察に将棋を3  ポスターのイメージ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)12時29分20秒

自衛隊のポスターには制服を着た女の子というのが相場である。警察はどうであろう。将棋の特性が警察の犯罪捜査に寄与することはお分かり戴けるであろう。しかし警察のポスターに羽生の顔はマッチしない。むしろ犯罪を煽ってしまう。羽生の顔をみると「羊たちの沈黙」で扱われたような高度な犯罪者まで将棋を指すようになってしまう。それではイタチごっこである。警察はやはり北野たけしどまりで将棋をアピールする程度がよい。しかし北野たけしはまだ将棋連盟会長ではない。二上達也では葬式の告示になってしまう。谷川浩司がポスターの顔では「この人誰?」と近所のオバサンが言うので恥ずかしい。内藤國雄では公民館の演歌独演会ポスターと勘違いされる。米長邦雄では丸腰警官である。すると警視庁級のポスターの顔は中原誠が一番相応しいということになる。なにせ本人がストーカー呼ばわりされたほどである。近所は話題騒然であろう。このぐらい世論を刺激しないと警察の信頼回復はできないのである。最後は世論がストーカーどまりであったほうが健全であったと気がつくであろう。男女の仲でスッタモンダやっていた方が平和なのである。羽生のポスターでは高度な殺人者が増えてしまう。


警察に将棋を2 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)11時57分41秒

北野たけし監督主演のBROTHERという映画については既に述べた。繰り返すが、あの映画では被抑圧者からみた日本人の絶対意識を確認しようとしている。被抑圧者は自分をコケにするものをことごとく拳銃で殺す。そしてあの映画の頂点の小道具に使用されたものが将棋であった。主人公=北野たけしは自分が日本人であることの楽しみを唯一将棋に見いだしている。あとはすべて暴力による絶対意識の正当化と美化に終始する。米国奴隷になりさがった戦後日本人の鬱屈した精神形態をここまで露骨に追及した映画はない。この映画の真髄はラストシーンの恥ずかしい美談ではなく、犯罪者である北野たけしが将棋を指していたという屈託のない大らかさなのである。あの場面で北野たけしが囲碁を打っていたらこの映画はすべてオジャンである。だから北野たけしこそ将棋連盟の会長にふさわしいのである。
警視庁も教科課程に将棋を入れるべきである。犯罪者には将棋好きが多い。犯人の心理を将棋から読んでもらいたい。派出所は普段は暇なので警官はそこで将棋を指していればよいのである。すると犯人が将棋を指しにくるであろう。派出所を将棋道場にする運動を連盟も行ったらいかがかと思う。まず手始めは西宮警察の一日署長に谷川浩司を我々は推薦したい。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/030227bbs.html


警察に将棋を 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)11時35分41秒

本日の「朝日新聞襲撃事件時効」報道では読売がやけに詳しい。当の朝日は淡白である。遺族の怒りを実名報道したのも読売と毎日であり、朝日はあえて名前を伏せている。中国新聞もそうであった。
この事件の犯行声明の一部がhttp://www.asahi.com/special/116/images/history.jpgに出ている。
犯人は読売新聞愛読者のようである。それで読売は仁義を通して詳しく報道するのである。事件発生の87-88年というのはまだバブリーな頃であり、バーテンのお兄さんまで右翼っぽい時代であった。外国では右と左と言う言葉は使わない。右とは天使ミカエルが正義の天秤を持つ右手を指すからである。したがって日本の右翼っぽい一族をショービニストと言う。それが高じるとテロリストとなる。犯行声明文は読めば解るとおり筋金入りの右翼とは違う。ただひたすら怒っている。ブッシュは正真正銘のキチガイであると当BBSに殴り込みにくる市民的感情と同じである。警察はオマヌケなのでそこから心理分析ができないのである。学校よりもまず警察に将棋を導入すべきであろう。拳銃や武術などを鍛錬するよりよほど犯人絞り込みに将棋は役立つはずである。右翼っぽい怒りというのは将棋ファンに似ているのである。


一つ 投稿者:凡夫  投稿日: 3月11日(火)11時16分44秒

 忘れていた。読売の悪業が不問に付されてきたのは、悪法も又法なりという提灯持ちがいたからである。先ず、解任された長嶋。あれだけの仕打ちを受けて、打倒読売の姿勢が微塵もない。巨人軍は永遠に不滅と信じているオメデタイ人物だから多くを期待する方に無理があったが、結局尾っぽを振って再び監督のポストに収まった。実に情けない男である。かつて読売を追われた三原は西鉄という弱小チームで読売に報復した。広岡、森とてその辺の矜持は捨てなかった。忠臣蔵になじんだこの国の感性には全く抵触するあり方であったが、スター待望感の方が勝ってしまった。読売でなく、長嶋の方をを許してしまう国民感情に馴れ合い漬けの戦後の精神構造が顕著である。次に、清原。読売相手の選手権で涙を流した姿には一瞬共感した者が多かったろう。しかるに、FAで入団である。やれ番長だ、極道だと直ぐに取れそうなレッテルを貼られていたが、その程度の資格もなかった。番長、やくざはコケにされたら決して黙っていない。他のことは耐えても、コケにされることだけは許さないものである。面子だけは大事にするということである。この男は見掛け倒しということである。
 こうして、人の心意気を買収しながら読売は生き永らえてきた。この心意気をそっくり売り渡しているのが自民党議員と官僚である。こんな連中が世間をいつまでも牛耳っていたらどういうことになるかは考えるまでもないだろう。昨今の庶民の心情はろくでなしに弄ばれる花魁のそれである。しょっちゅう無心に現れる。こんなヤツの相手をしたくないのだが、いずれ身受けすると言われているのである。ホントかウソか分らないがそれを恃むしかない、と自分に言い聞かせているのである。まるで時代劇であるが、この不信感と閉塞感こそ景気低迷の根である。プロの詐欺師は全てを吸い尽くさない。頃合を見計らっていなくなり別の仕事をするのである。全部貢がせると騒ぎになる。自民党はバブルでそれをやってしまた。禁じ手である。アマチュアのやり口である。庶民は追い込まれて疲弊しているのである。もうどんな手を打ってもダメである。詐欺師を一網打尽にしても立ち直りには時間が掛かるだろう。一網打尽にしないのであれば被害が拡がるだけである。
 


朝日新聞襲撃事件の時効 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)11時08分55秒

「朝日新聞阪神支局内における猟銃使用記者殺傷事件」が本日午前零時で時効を迎えた。藤井が投了した頃であろう。我々は昨年2月3日の中国新聞の記事を思い出す。ヒロシマの美鈴が丘高校演劇部の創作劇である。銃で新聞記者の父親を失った女子高校生が携帯電話のメールで天国の父と再会するという劇であった。中国新聞主宰の棋王戦第1局が同地で行なわれていた日でもあった。女子高校生の父親とは亡くなった小尻知博記者。遺族に時効はない。
1987年から始まったこの一連の事件が全て時効となった理由は明解である。警察がビビって本腰を入れなかったためである。延べ62万人の捜査員を投入したというが、棋王戦中継に延べ62万アクセスあったといっているのと大差ない。今後は兵庫県西宮市の西宮警察署に収集の窓口となる数人の担当者を置く方針であるという。


羽生藤井戦 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)06時18分59秒

カップラーメンが80手で藤井に勝ってしまった。よく見ればこのカップ麺には「行列のできるお店」という名前が印刷されている。本家「行列のできるお店」は名前だけ売って実利を取られたということである。


アメリカは 投稿者:凡夫  投稿日: 3月10日(月)21時57分41秒

 執拗にイラクに武装解除させている。こうしてほぼ丸腰の状態にしておいて、結局難癖をつけて空爆しようという腹ならこれはもう立派な犯罪である。実際そんな形で戦争が行われたとしたらブッシュは正真正銘のキチガイである。バカとはさみは、と言うが、キチガイは使いにくい。あの顔はおだてに乗る顔だから、あなたにしかできません、ということにして、特殊機関を上手に使わせてフセインを放逐し、返す刀で金正日を駆逐させる。換言すると、その仕事はあの男にしか出来ないかも知れない。一般市民を極力巻き添えにせず、政権を打倒すれば世界中であなたは英雄として迎え入れられ、歴史に永遠にその名を刻むことになるでしょう、と付け加えることも忘れない方がよい。そうでないと無茶苦茶に空爆するタイプである。我々には、まだ笑顔の消えないイラクの市民と、ひもじさに耐えている北朝鮮国民を守ることは出来ないが、その命が一つでも失われることがないように祈ることは出来る。アフガンの空爆以来、アジアで生じた火薬の臭いはこの国にまで届き始めている。


平和と正義 番外 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)19時50分16秒


さて羽生応援HPによると羽生藤井戦は千日手となったそうだ。指し直しは今度は藤井が先手で羽生が相振り飛車にしたそうである。羽生には困ったものである。相振りはパラリンピックと言っていた矢先にこのようなことをするのである。松尾の悪い影響であろう。この将棋はどっちのラーメンが美味しいかという戦いである。藤井が行列のできるお店で羽生が日清のカップラーメンである。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/0802fujii.html


平和と正義4 ネギこそ正義 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)19時26分26秒

本日の三者バトル名人挑戦者決定戦第1局における羽生と藤井は相性があう。羽生がラーメンなら藤井はギョーザであろう。待ち受ける森内名人はソバである。ラーメンとソバよりも、ソバとギョーザの組み合わせの方が美味しそうである。しかしそのような店はないのでハシゴするしかないであろう。ラーメンとソバとギョーザに共通するものはネギである。日本人はこのネギこそ正義と言うに違いない。


平和と正義3 悪の力 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)19時21分55秒

羽生の絶対的な力が平和をもたらせなかったとすれば、そこにあるのは正義ではなく、悪である。羽生の力は悪であったということならば納得が行く。羽生公認の羽生応援HPは「へびくん掲示板」がメインである。蛇とは悪魔の化身である。日本ではサタンも悪魔くんとしてアイドルになってしまうということであり悪力が讚美される。それでは日本人は悪と正義のどちらが好きかと言うと実はどっちも好きだったということになる。日本人にとって悪と正義とはギョーザとシューマイのどっちが好きかというようなものである。


平和と正義2 正義は力 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)19時17分10秒

月光仮面やウルトラマンに共通するものは絶対的な力である。すぐに死んでしまってはシリーズにならない。ウルトラマンに至ってはまだ続いている。米国もこのようなシリーズなのである。
羽生が絶対的な力を誇示しているがあれは正義と呼べるであろうか?羽生シリーズが続いているうちはそれでよかった。最近はマンネリである。10年前と同じストーリーでは飽きてしまう。怪獣も同じ顔ぶれである。そこで検証してみると、この絶対的な力には正義など最初からないのである。正義とは力である。その力で平和をもたらすものが正義である。しかし将棋村では相かわらず醜い戦争ごっこをやっている。米長は中原を連盟会長にしたらPTAのご婦人に嫌な顔をされると年中チクチク言っている。米長は堂々と意見を述べられないのでチクチク世論を煽るのである。このような所が将棋村であった。羽生という正義は平和をもたらせなかったのである。


平和と正義1 正義という言葉 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)19時08分44秒

カーター元米大統領が昨日付けのニューヨーク・タイムズに自国のイラク攻撃を4つの理由と共に否定した。愚行はやめろと言っているわけである。しかしイラク周辺に駐屯する30万人の米兵と言う名の軍事避難民の顔を立てることも忘れていない。これらの圧力は「平和と正義」だと言うのである。
平和は日本人もよく理解する。しかし正義という言葉は日本人には月光仮面やウルトラマンを連想させるのである。