7つの著作権の話

MashudaBBS2003.02.27


著作権の話 番外 将棋連盟会長は 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)06時41分01秒

将棋の段位認定免状の話で思い出した。社団法人日本将棋連盟の新会長は北野たけしが良い。彼は将棋が大好きである。自分の映画でも将棋を指している。北野たけし監督主演のBROTHERという映画では被抑圧者からみた日本人の絶対意識を確認しようとしているが、その頂点の小道具に使用されたものが将棋である。主人公=北野たけしは自分が日本人であることの楽しみを唯一将棋に見いだしている。あとはすべて暴力による絶対意識の正当化と美化に終始する。米国奴隷になりさがった戦後日本人の鬱屈した精神形態をここまで露骨に追及した映画はない。この映画の真髄はラストシーンの恥ずかしい美談ではなく、犯罪者である北野たけしが将棋を指していたという屈託のない大らかさなのである。ここまで将棋を愛し普及に貢献した映画監督はかつていなかった。だから北野たけしこそ将棋連盟の会長にふさわしいのである。棋士全員が頭を下げてお願いしに行くべきである。免状には名人竜王の横に北野たけしの署名が入ることになる。


著作権の話7 ノレンの場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)05時40分38秒

将棋の本などというものは大半がゴーストライターが書いたものである。棋士は忙しいので売り捨てのような初心者用の本は書いたりしない。ただしゴーストライターの名前では売れないので、有名な棋士の名前をつけて売るのである。週間将棋を発行している毎コミは、将棋本に編集部編と表記しているが、それは出典をいちいち書いていたら商売にならないからである。そこで編集部で改変してネタにするということになる。このような改変本にはプライドが高いプロ棋士の名前は無論使えない。段位認定の免状には名人竜王の名前が自筆で書かれる。会長の名前はオマケであるが権威の出所を現す。名人や竜王が僭称であっては困るので、これは本物であると保証人代表が脇に署名するのである。このような名前による権威には値段がつく。ノレン料というものである。名前を貸すということは保証人になるということである。そのかわりノレン貸しした保証人に印税収入がある。納税するのも保証人の方である。米長日記を読むと、彼の本とのあまりのギャップに驚くはずである。日記は女優のスッピン丸出しである。ご本人はこれほど文章力がないのかとがっかりすることはない。本にする時は必ずメイク係りがいるからである。
名前はこのように名誉だけではなく、金銭価値のある商法上のノレンであることは、諸君等にもわかるであろう。ノレン人間はノレンの権威を保つ為に決して自分より才能のある者を寄せつけない。これは名誉の問題ではなく、ノレン料の問題なのである。


著作権の話6 絵画の場合 複製権 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)05時16分28秒

まず贋作の話となる。これは根が深い。国家がらみの陰謀がある。ピーター・ブリューゲル父の大作に「ベツレヘムの幼児殺害」という有名な絵がある。ウィーン美術史美術館所蔵である。全く同じ絵がルーマニアのブカレストとフランスのリヨンにある。マシュダ一家ならば一目で贋作と判定する。ところがブカレストもリヨンも本物として展示している。このような絵は実は沢山ある。ニューヨークのメトロポリタン美術館など贋作だらけである。出した金に正当性をつける為に本物と言い張っているのである。一方ワシントンのナショナルギャラリーは本物である。これらは一目であるが、美術館というものはその成立の背景によって裏金で仕掛けをするのである。バロック中期以前の絵画であれば大概一目で贋作とわかる。ルネッサンス絵画以前は一目である。それでもシロウトは簡単に騙せる。イタリアは贋作を本物と言うようなマネはできない。本物が国内に多いからである。ナポリ美術館にはラファエッロを始め精巧な贋作だらけであるが、必ず模作と表示している。
バロック後期になると本物か贋作か見ただけでは判別しにくいものがある。それだけ後世の画家は技術力の質感に関心を示さなくなったということである。印象派などは贋作天国である。このような場合はキャンバスや絵の具を徹底的に調べる。しかし初めて発見された絵は見た目で判断してオークションに出されたりする。需要があるということである。
同じ工房で同時に同じ絵画を制作していたということもある。ロンドンのナショナルギャラリー地下に展示している同一作にはそのようなものが多い。そこで画集を作るときに各美術館は、こっちが本家だと言い張るのである。美術館は所蔵品の複製権を主張できるからである。縄張り争いである。世界美術全集にはウチの絵を使ってくれと言うのである。このような場合どうせ印刷すればわからないので複製料の安い方でよい。


著作権の話5 楽譜の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)04時47分17秒

楽譜の場合2小節の旋律が同一ならば盗作である。4小節同一ならば損害賠償で間違いなく勝訴できる。
和声の盗作は自由である。音楽で著作権が保護されているのは旋律なのである。ただし和声をあまりマネすると創作者はバカにされる。芸術史はこのような盗作を決して見逃さないので、道を志す作曲家は決してバレるようなマネはしない。開き直って商業音楽を作曲し始めたりすることを「売音行為」と呼ぶ。売文行為と同じである。著作権法には触れないが、聞いたような音楽というものである。金にはなるが評価は決してされないというものである。


著作権の話4 将棋の棋譜の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)04時35分05秒

初手には著作権がない。
二手目にも著作権がない。
これは諸君にもわかるであろう。では何手めから著作権が発生するかというと、実はこれは四相で腑分けしないと決められない。棋譜の何パーセント以上の同一は盗作とするなどとは決められないのである。だからマシュダ一家が世界で最初に提示したTISC法による四相という腑分けは著作権の有無を判断する場合にも必ず必要になる。


著作権の話3 フェイスマーク3 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)04時24分14秒

どうも我々の改変は盗作というより駄作であった。半角の恐ろしさは奇形児を生んでしまった。気を取り直してもう一度バリエーションを作ってみよう。
神崎版ε=ε=ε=ε=ε=┏( ・_・)┛ダダダ!!=相転移
改作版ε=ε=ε=ε=ε=┏( :_:)┛タタタ!!=相転化
変身版ε=ε=ε=ε=ε=┏( ;_;)┛ぴぴぴ!!=相停滞
新作版ε=ε=ε=ε=ε=┏( ・0・)┛トトト!!=相転換
これをFMにおける四相と我々は呼ぶ。


著作権の話2 フェイスマーク2 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)04時12分09秒

ε=ε=ε=ε=ε=┏( ・_・)┛ダダダ!!というFMは我々が知る限り神崎の創作である。
ε=ε=ε=ε=ε=┏( ^ _^ )┛ダダダ!!というFMは我々が今つくってみたものである。
これを盗作という。この程度の変更は改作とは言わない。
そこでFMに関する法律も厳密に規定する必要がある。総文字数の6割以上が同一であれば盗作と見做す。ところが将棋の棋譜は6割以上が同一という場合がある。これは盗作であろうか?


著作権の話1 フェイスマーク 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月27日(木)04時02分21秒

最近一年で我々が最も気に入ったフェイスマークはコレである。
ε=ε=ε=ε=ε=┏( ・_・)┛ダダダ!!
関西の棋士である神崎健二七段が昨日自身の掲示板で使用していた。彼の気迫とユーモアが彼の文章以上にこのFMに表現されている。FMは絵文字である。創意工夫もできる。著作権も主張できる。しかしFMの著作権は保護されていない。そこで我々は神崎がこのFMに著作権を主張しないはずであると確信してここに無断紹介をするわけである。FMは表現芸術の一分野となるべきである。その為にはFMの完全データを作成し、新しく作られたFMを公表された日付で照合するということが必要になる。これは別に民間でもできる。新作FMを認定するサイトでもよい。全世界で使用されるような新作FMを作成した者はその使用料だけで一生遊んで暮らせるはずである。