谷川浩司へのオマージュ 光速ノート22へ 升田大山との比較

MashudaBBS2003.02.19-20


谷川王位奪還 第5局千日手指直し局 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)06時37分50秒

谷川先手となり四間相穴熊であった。羽生は大山のようには指せなかった。観念したということである。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020829oui5.html


谷川の執念王位戦第5局千日手局 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)06時34分00秒

後手の谷川の作戦は最初から千日手狙いである。向い飛車急戦。実にみごとなカモフラージュであった。我々は最初からこうなると知っていたので裏番組を見ていた。
第5局千日手局は谷川の執念である。我々は絶賛する。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020828oui5.html


谷川がボロボロにされた王位戦第4局 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)06時25分30秒

角換り腰掛け銀-先後同型である。羽生が元の谷川に戻すための工作は完璧であった。
この日の為にとっておきの秘手を用意していたからである。ご存じ新手24金。
谷川の伝家の宝刀はこの一手でボロボロにされた。目ざとい羽生はマシュダ一家の秘手を知っていたのである。2月18日(火)20時03分07秒にUPされた谷川の光速ノート22は感動的である。あの谷川が康光の角換り腰掛け銀-先後同型の新構想を手放しで絶賛し支援したからである。米長も新展開を期待した。そして羽生だけが谷川を裏切り、今年の王将戦第3局ではマシュダ一家をも裏切ったのである。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020820oui4.html


羽生が脅えた王位戦第3局 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)06時13分06秒

羽生は背水の陣で矢倉をめざした。しかも谷川の変貌に気がつき内心は脅えていた。そこで元の谷川ヴァージョンに戻そうと必死に作戦を練ってきたのである。それが羽生の早囲い。谷川はこれを絶対に咎めにくる。そこで端歩の妙技。この息も詰まるような折衝で谷川は羽生に屈した。作戦負けであった。この将棋は谷川に勝ち目がなかった。千日手は選択できた。しかし羽生は千日手が無様であるような局面にしたために谷川にはそれができなかったのである。ところが羽生の屈折した谷川への戦略が元もと人間の脅えから発したものであったために勝ちきれなかった。羽生にはあの時入玉に対する躊躇があったのである。それは谷川が千日手を拒否し、破壊手を自ら指したことに対する驚きと自責の念から生じている。逆に完全に抑え込んで勝ちという羽生の奢りが次々に悪手を生んだ。
これを図式化するとこうなる。
1=羽生は谷川の自己認識機能を煽り元の谷川に強制的に引き戻す。
2=谷川の自己保存機能は作戦負けをもたらす。
3=破壊手が谷川によって指される。若松師匠にさえ酷評された破門手であった。
4=羽生は抑え込みをはかり逆転される。谷川はついに目覚め入玉を目指したからである。
升田大山戦なら破門手は無論指さないばかりか、あの終盤なら最初から入玉を目指すような意気込みなのである。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/0807oui4.html


谷川が王位戦で羽生に勝てた理由 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)05時41分37秒

それは千勝達成となった第1局でも兆候がある。歩による強靭な自己修復機能である。谷川はこの強靭なという意味を無様なという意味にかつて置き換えていた。その象徴が彼のファンが好んで使う「光速の寄せ」というイメージである。駒音掲示板のリスボン飲んだくれ組は、これに対して羽生のブラックホールは光を曲げるなどと対比するのである。真部といい勝負である。河口はそれに毛が生えたようなオマセな中学生であろう。我々は第1局は羽生の祝儀だと思っている。
谷川が王位を奪取できた真の強さは第2局の封じ手である。85歩であった。この歩は我々なら真っ先に打つ。谷川だから意外なのである。島が囲碁将棋ジャーナルの解説で我々同様にこの手に呆れていたことは諸君等も見たきたとおりである。これは自己修復機能が肥大化した負けない手であり、これを作る大もとは自己認識機能なのである。序盤で見せた華麗なアクロバットから一転してこの自己認識機能を完結するために、大山流の自己修復機能の強靭さをもたらした一手が85歩なのである。そしてそれが升田の自己認識機能から発したものであったことに意外性があったことになる。あの日の谷川は升田+大山+谷川であり、羽生が途中で戦意喪失したのも当然であろう。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020723oui2.html


升田の強さ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)05時24分47秒

それは自己認識機能である


大山の強さ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)05時22分04秒

それは自己修復機能である


升田VS大山>>羽生VS谷川 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)02時25分25秒

こんなことは棋譜を並べればわかることであろう。羽生がそれを一番よく知っている。だからこそ谷川は羽生に申し訳ないと思っている。相停滞に継ぐ相停滞が升田VS大山であった。だから長手数となる。その難解さを商業的にカバーしたものが中身のない言葉であった。だからまともな評価や分析など一度もされたことはない。世間は今でもそれを望んでいない。将棋ジャーナリストの力不足であろう。無論、河口などにそれが書けるはずがない。河口には何の理念もない。逆に世間の将棋への認識を低下させた極悪人であろう。


対戦相手が異なる 投稿者:凡夫  投稿日: 2月20日(木)00時43分46秒

 成績を比較することに余り意味がないことを承知しつつ、敢えて以下の数字を並べてみる。(名人在位中を除く 参考: http://www.ne.jp/asahi/yaston/shogi/index.html

棋士名        大山        米長         中原                                              

A級全成績    136勝82敗   140勝86敗    68勝51敗   

 同勝率      .624      .619      .571
          (25期)     (25期)     (11期) 

A級50歳〜     97勝69敗   19勝17敗     9勝17敗

 同勝率      .584      .528      .346                (19期)      (4期)      (3期)

 上記HPの数字を眺めていて驚嘆した。大山の成績。30代40代の全盛期を名人位に就いていて、ほぼ晩年の成績が中心であるにも拘らずA級通算6割2分4厘。49歳で名人位を失いその後19年間A級に在籍して5割8分4厘。やはり指し盛りを名人在位で過ごした中原を5分以上引き離し、全盛期にA級に在籍した米長をも上回る数字である。又、米長・中原の両名が50歳を過ぎてガクッと落ち込んでいるのに較べて大山は漸減で留め、尚且つ19年間も永らえている。そんなことは自明である、大山は巨人だからと片付けられることが多いが、それにしてもこの強さは・・・。河口俊彦が大山論を書くと聞く。いやしくもプロ棋士である河口の技量を云々する積りはないが、いずれにせよ余程しっかりとした大山将棋論が書かれなければいけないのではないか。大山将棋は将棋史におけるかけがえのない財産である。羽生でもどうか、という強さであろう。升田、芹沢、米長といった才気煥発でものがよく見え、尚且つ発言の多い者たちの評価・言動に影響され大山将棋を見る眼が多少なりとも曇らされて来たとすれば残念なことである。
 大山は盤外戦術に長けていたと伝えられているが、それは通常の棋戦ではなく、主にタイトル戦で発揮されたものであろう。タイトル保持に拘泥して繰り出される盤外技には、大山の孤独が投影されているように感じられ、部外者としてはむしろ興味深い。タイトルを独占された悔しさとやっかみから棋士達が盤外戦を弁解に用いていた側面はないか、でなければ何故順位戦でかくも差を付けられているのか、と嫌味の一つも言いたくなるほど上記の数字が示している大山の強さは際立っている。盤外戦は用心深い天才が掛けた保険のようなものに過ぎず、盤上の技術でも誰一人及ばなかった。と推量しているのだが、全然違うかも知れない。そこら辺をきちんとした大山論を読んで理解したい訳である。
 又、近年コンピュータの将棋への進出が喧伝されているが、大山将棋が見直され、その技術の意味を棋士達が理解し自家薬籠中のものとすれば、コンピュータにまた何十年分かの宿題を負わすことになるだろう。こと将棋に限っては、決してコンピュータに負けることがあってはならないと思う。将棋においてはヒトに固有の、棋理を超えようとする意思こそが強さだと思うから。
 最後に参考までに升田の数字を挙げる。A級で指し分けたら引退すると豪語していただけのことはあって抜群の成績だ。最後の期こそ5敗したがそれ以前は4敗すらない。この二人は図抜けている。

棋士名        升田        

A級全成績    139勝54敗      

 同勝率      .720     
          (21期)      

A級50歳〜     41勝21敗    

 同勝率      .661     
           (7期) 

 大山とは入れ替わりみたいなものだから、仮に大山とA級で長く戦っていたとしたら二人共全体の勝率が7割を切ったあたりだったかも知れない。     


鳩山派旗揚げ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)00時41分32秒

19日は鳩山が新事務所を開いた。小沢羽田らも当然来る。管は口先だけなので誰も信用していない。鳩山や小沢はまだ自民党独裁の汚泥を知り抜いているからかなり強力なコンビとなる。世間で言う汚れ役がいないと政党などまともに機能するはずない。政治家は裏切りや嘘などと言った世間で通用しないモノが必要な職業なのである。だから管などではだめである。我々はその汚れた部分を相停滞の範疇に理論化しているので、世間が言う汚れ役などという言葉は使用しない。歴史が動くためには必然的な要素である。相停滞情況で機能する。

鳩山派にひとつだけポイントを助言するとすれば、中国との協調路線をつくること。結論から言えば、アジアの安全保障条約は中国と日本が基本構造となるのが理想である。どちらが国益になるかは経済市場をみれば子供でもわかる。日本の車産業を始め、すべて日本の主要産業は中国と提携している。日米路線の自民党に対して、日中路線ならば政権を奪取できるであろう。その中間にロシアが有るという布陣である。


読売のオマヌケ論説 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月20日(木)00時20分57秒

読売がいかにオマヌケかはすでにネタレベルとなってしまった。
今日の社説は自称「冷徹に現状を分析すれば、米国支持」である。どこが冷徹なのであろう?中身は「安保条約を結んでいる米国の存在が最大の抑止力」である。冗談もここまで過ぎると読売の論説委員は社内で洗脳教育を受けたという証しとなる。文化部の小田記者の方がよほどまともである。ここの本社社会部は全滅かもしれない。
当たり前のことだが、安保条約などは北朝鮮にとって屁のカッパである。日米安保条約が健全な抑止力になったことなど戦後一度も無い。経済制裁が最大の抑止力なのである。試しにロシアと話してみればよい。すぐにでも日露安保条約を結んでくれる。そのロシアは米英のイラク空爆をさかんに非難している。民間をまきぞえにしているからである。どちらに世論がつくか読売には全く読めていないということである。


カバンをさげた山崎隆之 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月19日(水)22時28分28秒

朝日オープンで野月に勝ってベスト4進出の山崎が関西に凱旋である。なんと東京からカバンを下げたまま関西将棋会館に行き奨励会員と10秒将棋を指している。神崎リポートである。頼もしい。カバンをさげた山崎。写真をのせたらバカ受けであろう。靴はかかとがつぶれていたであろうか?
しかし神崎などと将棋を指しては悪いクセがつく。やはり谷川研究会でみっちりシミュレーション将棋を行なってきていただきたい。


千日手をテーマにする場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月19日(水)22時17分43秒

谷川浩司が千日手をテーマだと言えないのは周囲に理解できるファンが居ないためである。音楽の世界では千日手を最初からテーマとしている分野がある。ミニマム音楽である。クラシックの分野では理論化されている。もともとはワーグナーをも貫いたエンハーモニック理論から派生したものである。日本の馬鹿音楽学研究家や文学畑出身のワーグナー好きが今までさんざんゆがめてきた見解がある。その典型がトリスタンが無調音楽だという相当にオマヌケなご意見である。以前は大抵新聞にでてくるような評論はこのような音痴族が書いていた。谷川がようやく一年がかりで取り組んでもまだ発言は遠慮しているくらいだから、将棋村などがまともに千日手を議論できるのは何年先かわからない。我々はすでに観賞法を確立しているので後手で千日手をやりたい棋士は大歓迎である。
久石譲は芸大時代にミニマム音楽に凝りCDまで出していた。「天空の城ラピュタ」ではその手法が生かされている。同じ音型が何度も繰り返されるようでいて徐々に変わって行くのがその手法である。以前は観客からブーイングがでていたマイナー音楽だが、アニメのBGMとしては密かに社会的成功を収めたということである。将棋の千日手もそのように鑑賞できる日がくることであろう。表では評価されないが裏で欠かせぬBGM、それが将棋の千日手である。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/0217TV12.html


谷川浩司の光速ノート22 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月19日(水)21時40分14秒

ひさしぶりに谷川がまともなことを書いている。王将戦の総括である。マシュダ一家が触れなかった部分のみを抽出している。1=65/68銀、3=61/23歩の康光の展開法である。巧みな挿入となっているがそれは棋士のサービスであろう。谷川が言うべきことはひとつ。タイトル戦はテーマをもって指すのが義務ということである。この一言を彼自身の言葉で聞けば我々は大満足である。
テーマをもって指すのは当然だが、棋士はそれを「義務」と感じるかどうかが問題となる。谷川は義務だと宣言している。実に気持ちよい。テーマをもって指すのは手間がかかる。その手間を厭うなと自らを叱咤しているのである。
谷川は王将戦第4局の康光のテーマがわからない振りをしているが、それは後手番からの千日手がテーマだからである。谷川には千日手がテーマとは宣言できないということである。