MashudaBBS 2003.01.30-31 大地に向かった見えない矢印 G効果 


シンプルなゲームが最も飽きない 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)12時07分01秒

野球が欧州に普及しなかった理由は簡単である。パッとみてあの左右非対称の形が欧州美学に合わなかった。こんなことは別に何かを見て書いているのでない。誰が見ても一目瞭然であろう。英国は欧州ではない。日本と同じ島である。だから英国式庭園はバロック庭園と違って左右非対称である。まあ、このように比較して行くときりがない。我々はこうした見た目の作業を延々とやって一冊の本にする者はバカであると思う。道端の花を見ればよい。左右対称である。石を見ればよい。左右非対称である。

ゲームのルールは単純であればあるほど飽きが来ない。将棋連盟が将棋を本当に広く普及したいなら、羽生の宣伝文句は間違っている。彼は毎週テレビのCMで「どこまでやってもわからない魔力の世界」という悪いイメージを与えている。このようなものに子供たちは関心を示さない。将棋がいかに奥が深いかを喧伝する者達は、およそ村の権威主義者である。彼らは自分達がいかに偉いかを誇示するために、将棋の奥深さを滔々と語る。これでは上記のバカ共と変わりない。我々ならこう言う。将棋は楽しい。将棋は簡単です。将棋は飽きません。この三つだけを述べればよい。
我々が将棋を指すときは四人集まった時である。二人では危険なので指さない。床の間に真剣があるからである。畳の上で指す。だから日本の畳は長方形なのである。正方形の畳を使うのは琉球である。我々が最も好きな将棋は矢倉でも角換り腰掛け銀でもない。四人集まるからには最高に興奮できる将棋がある。それが「将棋崩し」。
これは全神経を駆使する。頭を初期化する時には「将棋崩し」が最高である。決して音を立てないように駒に触れ端に移動するときの物理的空間は、我々の精神の底まで洗うのである。丸山はおそらくこの「将棋崩し」によってあの無音流の境地に達したはずである。米長が堕落した理由は「松葉崩し」であろう。


野球の話 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)05時52分44秒



野球はいいものである。諸君等は自前のミットとバットを最初に手にした少年時代の感動をもっているであろうか?ミットは皮の臭い。手になじむまで何度も叩き、汗を滲ませる。バットは素振り。気分もスッキリする。忙しい大人達もバッティングセンターでカーンと打っている様子は気持ちよさそうであった。球場ではどうであろう。王が我々のかわりに場外ホームランである。子供も大人も野球に夢中になって当然であった。
あれは遠い夢なのか。
イチローが大リーグに移籍し、マリナーズ戦を衛星放送で連日中継を始めるようになった。野茂の比ではない。大リーグの濃厚なリズム感に乗りまくって、あのイチローがひときわ輝いている。打っては走り、走っては守るイチローの超人プレーに連日釘付けである。彼の打順が終わったからといって裏番組をみることもできない。塁にでればいつ盗塁するか目が離せないからである。外野に球が飛べばどんなダイビングキャッチをするかわからない。イチローを追い回すカメラと我々の目は一丸となっていた。そしてこのようなものを連日見た後では、日本のプロ野球など見れなくなってしまった。
ところが一年イチローに夢中になって飽きた。そのパターンが数種類の繰り返しであることに気が付いたからである。イチローにはカーンという場外ホームランが一度もなかったのである。かわりにあの振り子打法。パターンがわかると予想できてしまうのであった。意外性がなければそれまでである。ブーンの卑猥な腰つきも見飽きた。
最近新しい野球のミットを買った。いいものである。叩くだけで気分が良い。


押入れの積立金 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)03時25分34秒

押入れの積立金を全部食ってしまったネズミがいる。
しかもこのネズミは壁の向こうで笑う。
我々なら薬を撒いて皆殺しにするところである。
しかしジッチャンは人間だった者ならばまた人間に戻せるはずだと言う。


紙くずとなった株券 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)02時35分44秒

マシュダ一家の分家は満州や樺太で工場を持っていた。戦後の引き上げ作業は蟹工船以上に悲惨であった。板子一枚下は地獄のボロ船に乗って本土へ向かうのである。何隻も海に沈んだ。特に財産など積んだような船はその重さで真っ先に海の藻くずとなった。工場は差し押さえられ、なんとか持ち帰った株券類はただの紙くずとなっていた。その話をあとで分家からジッチャンが聞いた時大笑いしていた。「命だけもってくりゃえーの」と。


非国民 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)02時17分40秒

ジッチャンはあの大空襲の時、隣家から罵声を浴びせられた。
ジッチャンが緊急時に庭に穴を掘りなにか放り投げているので、それを見た隣家の住民が大声で「非国民」と何度も叫んだのである。隣組みのバケツリレーが先決なのだと。
あの時の教科書は泥まみれであった。火災の熱気から救うためにジッチャンは穴に水を撒いたからである。すべて焼けた。バケツリレーは焼け石に水であった。だがあの教科書の文字は生きていた。ジッチャンは穴に教科書しか入れていなかったことをあとでさんざんバッチャンに怒鳴られた。


切り抜きの話 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)02時06分47秒

新聞から将棋の棋譜を切り抜いてスクラップ帳に張り付ける作業は楽しいものであった。
マシュダ一家には戦前からの棋譜スクラップがあった。大空襲ですべて焼けてしまった。
ジッチャンは大空襲の時に庭に穴を掘り子供たちの教科書を放り込んだが、棋譜スクラップは入れなかった。この教科書はあとで掘り起こして丸暗記するまで読んだ。
その後も棋譜スクラップは沢山できたが今では物置のクズである。しかしあの切り抜き作業の楽しさは忘れられない。
テレビの棋戦は見ながら盤に並べあとで書き写す。東京12チャンネルの早指し選手権戦は、大概録画してあとで並べ直す。そのような平均的な収集法は諸君等とかわりないであろう。やはり盤と駒を手で触れるという感触はいいものである。


男と女の話 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)01時51分00秒

男と女とでは生物学的に女の方に優位性が顕著である。昨年までは、男のザーメンがなければ子供ができないであろうと誰もが思っていた。今では女だけで単性生殖が可能となった。自家製クローン人間である。自分のDNAに細工して自分の子宮で細胞分裂をさせることができる。自家製クッキーが好きな女性には大受けであろう。女が怒れば男はいらないのである。アリストファネスの皮肉は冗談ではなく本当になってしまった。だから男性諸君は女性を敬わなくてはならない。女性が独身のまま精子銀行からザーメンを買って子供を産むことは既にファッションとなった。ファッション好きの島でも女房に頭があがらなくて当然である。女が怒れば凄まじいものである。アンタの子じゃなかったなどと平然と言うであろう。男はその時に「ならば相続権はその子にはない」と反論する。重要な法律とはおよそ男の為にできているものである。


ネズミの話 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)01時32分31秒

諸君らの家にはネズミはいるであろうか?
コンクリートの箱にもネズミは潜んでいるものである。ましてや一軒家には必ずネズミは訪れる。
諸君等はよくトップ棋士のレベルは僅差ということを聞くであろう。実は人間とネズミも生物学的には僅差である。だから人間がネズミに変身することなど日常茶飯事である。ネズミの方でもまた自分達は人間より賢いと思っている。確かにネズミは賢い。壁の向こうで笑うのである。本物の人間がネズミになったときは、本物のネズミより愚かである。このような変身ネズミは自虐的であり、壁の向こうで冷笑する。
人間は他の動物にも変身する。わが国で最も有名なものはキツネ憑きであろう。
諸君等は人間の尊厳を過信してはならない。人間と動物のわずかな差は、他愛もないことで交じりあう。そして人間をネズミに本当に変身させてしまうのである。


福ちゃん研究所 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)01時03分17秒

関西の棋士は個性的である。特に福崎。これほど未知の才能に溢れた棋士は稀である。彼はなぜあのような笑う冷血漢となってしまったのか。東京の悪の組織のおかげである。しかし理由は今さらどうでもよい。何より福崎を来年はB1へ復活させねばなるまい。畠山鎮は谷川研究会のおかげでB2を勝ち越した。おかげでそのとばっちりを福崎は喰らっている。悔しいであろう。島ハブ、モリタク、タニーと波が押し寄せれば、このような冷血漢も冷や飯を食うハメとなり一層寒くなる。ポスト谷川研究会となる福ちゃん研究所のメンバーはどのように組めば理想的か。福崎の才能を引き出せる棋士とは福崎以外有り得ない。それほど強烈な個性である。そこで南。いい棋士だった。福崎と南。たまらない。最強コンビであろう。島森下も霞んで見える。夢であろうか。南研究会の名称では座禅道場かと思われる。しかし福ちゃん研究所に南がさりげなく座っている。まさに夢である。


島研究会は悪の巣窟か? 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月31日(金)00時27分06秒

島と羽生がコインの表裏では、島研のイメージは悪の巣窟である。しかしコインの表裏ならまだよい。泉研究会などは牛ブタの表裏である。裏にはなにもない。では森下研究会はどうか。ここに島の顔があったのでは暗黒組織である。森下の最新研究がいつヨッシー夫人にワインと共に送り届けられるかわからない。そこで松尾を入れたらなんとか中和した。あのさわやかな茶髪がかつての男たちの熱い研究心を煽ってくれる。タニー研の山崎の青臭さは新鮮な畳である。 経堂研究会では、町の施設を利用してA級順位戦の解説会を行っていた。しかし毎日からクレームがつく。せこい新聞社である。社屋が傾いた証拠であろう。

共同研究会を悪の巣窟だなどと言っているタコは、まず新聞社のあのボロ雑巾みたいな編集部を見てみるがよい。麻薬の巣窟である。ラリっている記者を尻目に真面目に地域活動をしている者達に向かって説教垂れる者は、酔っぱらいである。


千日手孝 マシュダ一家があえてふれない問題点 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)23時50分44秒

西條はまともになってきた。週間将棋へ向かってファンに媚びるなと言いたいわけである。その通りであろう。ダメスに悪影響を受けたスカ太郎のコンニャク文がメインでは、バトルは不滅であろう。電車ではライターは使用できない。だから車内ではマッチ売りの少女が好まれるのである。しかし西條は読売の記者らしくない。どちらかと言えば毎日社会部の気質である。ファンに媚びるのが読売新聞である。あとは小田にフォローしてもらうしかないであろう。気質は良いが頭が悪い。毛が抜けるほど勉強してもらいたい。態度はいいが言っている中身が情けない。越智信義の七番勝負に関する先後の決め方について紹介しろと言っている。我々は昨年10月の一連の千日手孝でこのようなおこがましい発言は絶対にすまいと思っていた。七番勝負に関する正しい先後の決め方は、中原と米長に真っ先に聞くべきである。理事となった中原が鶴の一声で決めればそれが最も望ましい。このことは中原がタイトル戦を争っている最中に大問題となった。そして何が最善策かを知っているのは七番勝負の鬼中原である。それをさしおいて越智信義の名前など西條はよくもだせるものである。記者が一同頭をさげて中原と米長に教えを乞う。これが筋である。それが最後の対談が青野森下では屁もでない。ましてやスカ太郎などが出る幕などではない。その点はヨミクマの言うとおりであろう。編集部の人選が悪いだけである。


康光のボヤキ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)19時12分47秒

昨日の王将戦第3局の前夜祭。康光はその挨拶で思わず口を滑らしてしまった。
連敗したことにひっかけて、自分がいかにバカであったかわかったとあの口調で言ってしまったのである。
これはマシュダ一家の実況を読んでそう言ったのであればまだ救いがある。しかしそうではない。彼は島研の中で自分だけ一人独身で取り残されたことを「バカだった」とぼやいている。康光が他の棋士を打ちやぶり、最後は兄貴と胴元が康光を倒して美女をめとった。森内の場合は才媛の美女である。うらやましい。家庭菜園よりもいいに決まっている。康光はもうあの男同士の熱い友情などクソくらえであろう。そこでバカだったとなる。康光は森内の結婚さえ直前まで知らなかった程の大ボケぶりである。家庭菜園不信が最近の不調を招いて当然であろう。それぞれ結婚すればアカの他人である。しかもトルコのハマムでこすっても落ちないアカである。人間の最大の幸福とは何かを思い知らされたことであろう。一方郷田も丸山も同じ境遇であった。彼らもまた一人家に帰りマシュダ一家を密かに夜中に読んで笑っているであろう。郷田はしかしパソコンを所持していないのでネットカフェで彼女と読んでいるのか。このように考えると、あの島研究会とは悪の巣窟であったと気がついたはずである。そこで「バカだった」となる。


島研というコインの裏表の背後 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)18時45分49秒

「島研というコインの裏表」を読んで全てがわかったと思う諸君はかわいい。
あのロマコンにはさらに裏がある。コインを手にしている奥方たちである。
諸君等は覚えているだろう。第一次島研の偽装解散工作のことを。彼らは全員晴れてA級となり、これ以上研究会で作戦を披露しあうのは遠慮した。そこで偽装解散工作となる。彼らはロハで研究会を行なっていたのではない。当然金を賭けて真剣試合を行なっていた。その金は表の兄貴分が一時預かり金としてプールしていた。ところが裏の胴元が余りに勝ちまくり、プール金を独り占めしようという勢いだったのである。そこで迎えた偽装解散工作。彼らはプール金で将棋会館販売の駒を買った。目撃者もいる。これが第一次島研の美談として語り継がれていることは周知である。
しかし第二次島研は暗黒組織である。なにせあのロマコンの持ち主は奥方である。奥方と子供の生活がかかっている。男の美談では済まない。情報交換は即、明日の奥方の化粧代に匹敵する。ローン返済もある。そこでブレイクしたのが森内、そして名人位を奪取。即結婚。ブレイク2連チャン男康光は、王将と棋聖を奪取するという彼の棋士人生初の快挙を昨年成し遂げたことは諸君も見てきた通りである。


千日手=後手のハンデに与えられた特権の考察 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)18時26分45秒

棋士の解説を聞いて諸君等は何度もうんざりすることであろう。
彼らは決まってこう言う。「先手は打開するでしょ。でないと先後が入れ替わり後手が先手で指し直し」
つまり先手が有利であると最初から自認しているわけである。だから竜王戦で羽生が先手で千日手をしたことに非難が集中する。先手に打開する義務があるということである。これは実は我々が主張する持将棋による点数ルール改正案(24点を23点とする)よりも、かなり割り増しした先手のハンデとなっているのである。これに不満を持つ最先端のプロ棋士が先手でも千日手を行なう場合があると考えてあげるべきである。
一方悪しき例もある。自分の勉強不足による作戦負けを千日手で帳消しにしようというセコイ棋士の場合である。コイツラは自分のバカさ加減を棚にあげて千日手ルールを悪用するクソったれどもである。
先々週のNHK杯戦で内藤國雄は後手丸山からの千日手を打開しようとして悲惨な最後を全国に晒した。このショックは恐らく竜王戦の二回に渡る千日手よりはるかに大きかったであろう。あの内藤がなぶり殺しにされたのである。しかしもし内藤があそこで後手の丸山に同意して千日手を選択したならばどうであったろう?それは内藤が完全な作戦負けを自認したことをやはり全国に晒すことになる。勉強不足を千日手で帳消しにするというのは、教育番組上よろしくない。そこで内藤は己の力不足を潔く認め、サンドバッグにされたということである。だから彼のファンは減らない。


千日手 投稿者:凡夫  投稿日: 1月30日(木)18時02分10秒

という概念そのものをなくしたらどうなるんでしょうか?
つまり、死ぬまでやってろ、と。猿のせんずりみたく。
差し直しなどという規定があるから、棋士は打算を働かすわけですよね。
秒読みになっても千日手繰り返しててもいいんじゃないですか。
こらえきれずに手を変えるか、投了するか、倒れるかのいずれかでしょう。
メジャーには引き分けはありません。客が帰っても勝負の決着をつけるのです。


島研というコインの裏表 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)16時49分17秒

さて諸君らは前回のクイズに解答が見つけられたであろうか?
質問は「島研メンバーの強さの秘密」である。4日前放映のNHK杯戦での島-森内-羽生の感想戦の録画を見てわかったことであろう。そう。彼らは日常でも敬語を使う。間違っても関西弁で馴れ合ったりしない。言葉をニュートラルに使うことで、将棋の研究に集中できるのである。これが関西だったらどうであろう?先崎はゴマかす時だけに漫才師の関西弁を使う。性根が腐った証拠である。関西弁は非常に優秀な言語である。使用法さえ間違わなければ平たい日本語に創造的なリズムを与えるのである。子音の使い方が素晴らしい。関西弁が標準語となっていれば、日本のロックシーンも変わっていたであろう。標準語には子音+母音構造に欠陥があるので、今では英語を半分も交えて歌詞が作られるようになってしまった。関西弁のマイナス面もある。それが同一化現象である。人間同士を理ではなく、情の癒着で同一化しようとするのが関西弁の欠陥となってしまった。谷川はそれを知っているから関西弁を使わないのである。関西弁で研究会をやったら「そんなん、えーんちゃう?」でお開きであろう。島研は標準語どころか、敬語を徹底させることで、このような情の癒着を断ち切った。
さて以上の「言葉のニュートラル路線」は島研というコインの表である。
島研というコインには裏がある。表は島の顔だが、裏には羽生の顔が刻印されている。この裏の顔が胴元締めなのである。そこまでは諸君も読めなかったであろう。NHK杯戦感想戦では羽生は終始胴元絞めとして横で何も言わなかったのである。この胴元は銭をメンバーに分配する。昨年は我々はこのような輩をギルドと呼んでいたが、最近ではコインの表がスタンドプレーをするようになったので、「ローマのコイン」=ロマコンと呼ぶことにした。谷川研究会は甘い。こいつらの分配が許し難いと思えば、目に目を、歯には歯を、クソにはクソで対抗しなくてはならない。畠山。よくやった。今度からは仮病を使ってかわりに阿部をタニー研に送り込んでいただきたい。


昨年10月のマシュダ一家の千日手孝 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)15時40分15秒

週間将棋は三ヶ月遅れている。それを批判するヨミクマ西條は時代錯誤のバカである。その読売記者をバカにする駒音掲示板は相変わらず公衆便所である。千日手論議の中身は下記を超えるものではなかった。
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/021023ryu1.html#1257
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/1262-1351.html#1297
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/1262-1351.html#1294
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/1262-1351.html#1272
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/1262-1351.html#1262

知らなかった者はまず下記から読み始めるように。
「速水優日銀総裁VSハブドラゴンキング」

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/1262-1351.html#1273


康光の長考の中身と97角と逃げた意味 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)14時39分15秒

諸君等は康光が昨日273分も何を考えていたかまだ聞きたいのであろうか?
彼らがなぜ長考するのか。加藤一二三、郷田、康光、羽生。みーんな長考する。特に一昨日の羽生が封じ手で80分ではなく101分考えたことにも意味がある。最後の20分で彼は裏切者となったのである。すべて実況に記したことである。よく読めばわかる。それでも分からないものはこちらを参照 http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020801kisei5.html
康光が97角と逃げた意味についても既に書いた。ヨッシーのパンチラ路線に同化しようとしたのである。我々はこれを総じて同一化現象と呼ぶ。この意味は高校生コースなので下記を参照。
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/0209.MasM2.html


大地に向かった見えない矢印 G効果 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月30日(木)14時14分58秒

ここで諸君が読むことは毎度のことではあるが、すべてマシュダ一家オリジナルの将棋情報の最先端である。断っておくがマシュダ一家は決して盗作はしない。すべて己の頭脳で思考した結晶のみを記す。その結晶体が影響を受けたものならば成分の出典を記す。これが人間としての最低限の礼儀である。青野や島も影響を受けたのならば素直に認める気概をもちなさい。貴君等だけは盗人ではないはずだ。この気概さえもないアラブヒゲのような奴は公衆便所でいじけているだけとなる。コイツラは仲間にそれを盗聴させるだけの玉なし集団である。週間将棋の記者は学会並の泥棒野郎である。ヨミクマはもっと怒るべきであろう。スカ太郎のような癒着記者も追放すべきであろう。週間将棋から引用してロハでサイトに載せてるバカは泥棒にたかるウジ虫である。それにしても青野の自虐的な言葉はもう聞き飽きた。A級棋士は立場上なにも言えないに等しい。若い諸君等はマシュダ一家の後追いではなく少しは先端を歩んで欲しい。このようなクソマミレの状態であるから、公衆便所もオムツの中身もクソだらけだったと思いなさい。

さて本日は今年の王将戦に見る駒の新機能について総括して述べよう。
王将戦第1局と第2局に出現した28歩は、単に27地点を守るだけではなく、28地点の空間を埋めて飛車打を限定するという双頭手であることは既に実況で述べた。王将戦第3局実況では、後手の44銀が実は44地点を埋める為に打たれたものであることも克明に記した。これが諸君等の盲点となっているのである。康光王将でさえこの駒の基本的な機能を見過ごしてしまった。彼は実は昨年の王将戦第4局佐藤康光VS羽生善治戦でマシュダ一家以外誰もが意外であった28歩を49手めに打っている。あの時のプロ陣営の解説は実にお粗末であった。マシュダ一家のみ、その意味を記していた。康光自身がこのG効果を駆使して羽生を撃退しているのである。(参照 http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020221ohsho04.html
初心者用の解説では当然のごとく駒の動かし方が矢印で説明してある。それが駒の全ての機能であるかのように錯覚してしまうものである。だが、玉以外の全ての駒は平等にその居場所に性能を発揮している。これが第三の機能なのである。玉以外の全ての駒はその地点から垂直に矢印を付けるべきだった。ところがこの性能を現す言葉が今日まで皆無であった。諸君等がいかに駒の機能を知らなかったかという証しである。そこで本日我々は、将棋史上始めてこの機能に名称を与えることにする。名付けてG効果。GはグランドのGである。ジャイアンツのGではない。
昨日の44銀のG効果は実に顕著であった。バカのひとつ覚えのごとく「桂先の銀、定跡なり」などと言ってはいけない。それでは宮田丸だしである。あれは44地点に桂馬を打たれたら負けと羽生が知っているから迷わず打てる双頭手の銀なのである。羽生はG効果の見えない矢印を見て双頭手にしただけのことである。先週竜王戦予選で中原が28地点に打った歩は丸見えのG効果であった。ただの穴埋めである。G効果の表だけをさらしたことになる。それにさえ米長は驚いて負けてしまった。穴埋めだけの歩では勝てないだろうという対局観は米長らしい。米長は大駒を切って入手した金を自陣に打つという歌舞伎の大見えが好きである。昨年秋はNHK杯戦富岡戦でもそれをみせたばかりである。康光は王将戦第2局でこの時代遅れのハッタリを真似して惨めな死にざまをさらした。米長のマネをしては将棋に勝てるはずがない。彼の泥沼は時代の産物であり、今ではヘドロである。米長が立派であるのはそれを潔く自覚したということであろう。亡霊が将棋を指すこともある。
羽生はG効果の表と裏を巧みに使い分ける。仕方なく打った銀のように見せかけて、実は一番やりたかったG効果の裏、即ち44地点を駒で埋めるということを難なく遂行したのである。諸君等はこの大地に向かった見えない矢印の機能をもっと活用しなければならない。

復習=玉以外の全ての駒はG効果をもつ。持ち駒を盤に投入するときが最もG効果が働くときである。


いつもながら 投稿者:凡夫  投稿日: 1月30日(木)14時01分22秒

お見事な解説。44、66をめぐる攻防がよく分りました。康光の64→75→66と働くべき角、羽生の44を肝と弁えて死守する姿勢。いずれも思想と呼ぶに相応しいあり方です。マシュダ一家の解説で不甲斐なく見える康光の将棋に光が当てられたことには羽生教徒である私でも感動を覚えます。結果的には66で存在を主張すべき角が97に蟄居してはあの時点で思想上敗北した、と言わざるを得ません。
ところで、康光の大長考の意味を推測していただけませんでしょうか?
めざましき64角の構想を凡手63金の鈍臭さと力強さでコケにされた驚愕と屈辱を整理し、何とか光明を見出さんともがいていた4時間半なのか、応手の中でも凡庸と思われる63金等は眼中になく、組み立てた必殺手順に万が一つにも漏れはないかと細大の配慮を隅々にまで行き渡らせていた273分だったのか、或いはそのいずれでもないのか、大いに興味があります。