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お父さん燕がうらやましい

中島泰雄

飯田線の小さな駅を降りてバスに乗りかえるのに三十分ほど時間があった。古びたベンチにゆったり座っていると、一定の間隔で小鳥の声がわきおこる。駅舎に燕の巣があり、親鳥が餌を運んでくるたびに子供たちが大きな口をあけて鳴きさわいでいるのである。親鳥はひらりと飛び出すやすぐにひらりと舞い戻る。かなりの回数だ。サラリーマンのことを月給運搬人と称したことがあるが、こちらは分刻みの運搬である。燕のお父さんお母さんは大変だなあと同情しつつ眺めているうち、次第にこの親燕がうらやましくなってきたのである。

昔、まだ子供たちが小さかったころ、私たち夫婦は貧しかった。給料は安かったし、やっと当選したマンションのローン返済が始まって贅沢はできなかった。会社の仕事はいそがしく、いくら残業をしても問題は次から次へと湧いてきた。家に帰り着くと子供たちは寝ている。待っていた妻と質素な夕食をとる。

月に一回か二回、たまたま早く帰宅できる日には、子供たちに土産を買っていくことにしていた。当時、きれいなカップに入ったアイスクリームやシャーベットが売り出されていて、それを買うことが多かった。ほかにはバナナやシュークリームなど今から思えば安いものばかり、キッチリ家族の人数分四つ。駅前のケーキ屋さんに代金を払いながら、子供たちの喜ぶ顔が見えた。倖せだった。

それから二十余年。子供たちは大きくなりもう父親の帰りなど待たなくなった。日本は豊かになり、アイスクリームやバナナはもうご馳走ではなくなった。欲しければ大型になった冷蔵庫になんでも入っている。(それにしても、バナナの安くなったこと。しかも誰も買おうとしない。あれではバナナが可愛そうだ。)

今でも、出張の帰りなどに、身についた習慣でその土地のお菓子を土産に買ってしまう。「オーイ、仙台の名菓を買ってきたぞ。うまいらしいよ」と大声を出す。「そう、いま洗いものをしているので、その辺に置いといて」と妻の声。子供たちは各々の部屋に居て無言である。誰も集まってこない。父親はひとりぼうぜんと立ちつくす。

燕のお父さんがうらやましい。ピイピイピイとあんなに大きな声で待っていてくれるのだ。あんなに大きな口を一斉にあけてくれるのだ。お父さんは期待されているのだ。虫をつかまえて巣に戻るお父さん燕はやり甲斐と倖せでいっぱいなのにちがいない。

私は、こんなにも豊かになりすぎた日本の人間のお父さんではなく、燕のお父さんになりたいとマジメに考えている。

(平成7年9月)


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