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欲望のブレーキ

佐藤眞生

1.二十世紀の誤り

 自然破壊が進み、人類は滅亡の危機に直面しています。もう間に合わないかもしれません。にもかかわらず、この事実は正確には認識されていません。人類を滅ぼすほどの自然破壊は何故にもたらされたのでしょうか。

 私はその根本的な要因を「欲望の充足」にあると考えます。人類は欲望を充足させることだけを目指しています。欲望に基づいて積極的に生きることが正しいとされます。そこには欲望のブレーキは全くありません。二十世紀はこの行動原理が世界を覆った時代です。国も民族も、企業や個人も、この点で完全に一致しています。恐ろしいほどの合意が形成されていて、誰も疑おうとはしません。

 ブレーキがないと、欲望は無限に拡大します。欲望の充足の追求は他の存在への無関心を呼びます。己と現在に執着し、際限のない争いを生みます。そしてやがては自滅へとつながります。二十世紀は人類が太古の時代に持っていた欲望のブレーキを振り捨てた時代なのです。自然破壊は起こるべくして起こったのです。この事態を止めるには欲望にブレーキをかける以外に妙案はありません。

2.間違っている解決法

 自然破壊を止めるために人類は今何をしているでしょうか。

(1) 各国は首脳会議を開き、宣言を採択し、条約や協定を結び、遵守を求めています。しかし、取り上げていることが、大気や特定の動植物というように、適用範囲が地球的規模ではありません。自然破壊の原因でもある南北問題にも取り組んでいるようですが、していることは国と国との利害の調整で、しかも一向に調整できていません。

(2) 個々の国では、規制や環境税などを導入していますが、産業界が抵抗したり、実現しても地球規模の効果は望めません。

(3) 企業のしていることは資源やエネルギー利用の効率化や、廃棄物の再利用や削減どまりで、経営理念の変革や商品の改廃にまでは及んでいません。基金の設立などはしていても、その使途は定まらず、研究が精一杯の段階です。

(4) 行政や市民になると、何でもいいからできることから始めようという個別主義が横行しています。その結果、割箸廃止などというとんでもない自然負荷行動まで起こります。(割箸廃止が何故自然に負荷を及ぼすのかというと、現代ではシナノキ・シラカバ・アスペンなどのパルプ用材の余材が原料として使われています。熱帯雨林とは無縁なのです。おまけに生産者の北海道の企業を窮地に追い込んでしまいました。使用済みの割箸が回収されて燃やされ、その灰が融雪剤に使われ、最後は土に帰っているという自然循環の事実さえも無視しています。)

3.正しい解決法の枠組

 欲望にブレーキをかけて、自然破壊を止め、自然を維持するためには、事態をあらゆる生命の危機として認識しなければなりません。その上で次の枠組で解決策を探す努力が不可欠です。

 第一に、「全地球規模の解決策」を探さなければなりません。

 第二に、「自然の全体系に渡る解決策」を模索しなければなりません。

 第三に、「本質的解決策」発見しなければなりません。

 私は、本質的解決を物質的なものにではなく、精神的なものに求めます。科学的なものではなく、自然なものに求めます。物質的、科学的解決はまたも自然に対する負荷を高めるからです。

 欲望にブレーキをかけるためには、人類に普遍の生活規範を知り、厳しい自然に身を置き、自然の摂理に従う必要があります。

 人類に普遍の生活規範は、人類が欲望のままにふるまえば、物質の進歩だけがもたらされ、精神の進歩が停止し、自分自身が破壊されるという事実を自覚することによって確立されます。人類は地球を汚染している物質ではなく、考え方によって滅亡するのです。

 もし縄文期のように人類が自然の恵みを採取することによってのみ生命をつないでいるとしたら、欲望の充足よりも生命の維持が優先しますから、自然そのものが欲望を抑制します。今、そのような自然はありません。人類の活動が自然を上回っています。

 人類は自らの生存条件を科学によってつくりだしていると錯覚しています。しかし、ここに落とし穴があります。実は科学が生存条件を破壊しているのです。自然の摂理に従う生き方をしなければ人類は生かされなくなります。自然の摂理とは、再生・循環です。すべての物質は再生・循環します。個としては消滅しても、種としては再生・循環します。この流れを止めてはいけないのです。これが止まれば人類は滅亡します。ところが欲望の充足はこの流れを破壊してしまうのです。あらゆる物質の再生・循環を止めない人類の活動体系を探さなければなりません。

4.欲望のブレーキ 提言

 私は、欲望のブレーキとして、人類に普遍の生活規範と、自然の摂理に従う活動についてこれから提言したいと思います。

 ただ、最初にお断りしておくことがあります。それは私の提言が今すぐに実現可能ではないということです。誰にでも今すぐにできることは、本質的な解決をもたらさないだけでなく、むしろ自然に対する負荷を高めることになりかねません。

 地球規模で自然の全体系を考え、本質的な解決を求めるとすれば、それは実現に時間を必要とします。今すぐにできることを探すよりも、本質的な解決の基本構想を固めることが緊急で不可欠です。時間をかけてでも、あらゆる存在の生存条件の基本構想を築くことが人類救済の急がば回れの道です。目先を追えば、人類の滅亡を早めるかもしれません。

提言1.「宇宙サミット」

 宇宙飛行士たちが、国や民族、思想や宗教を越えて結ばれています。「宇宙探検家協会」がそれです。彼らは人類が物質的存在としては個別でも、精神的存在としては一つだという点で完全に一致しています。彼らはそれをスピリチュアル・ワンネスと表現しています。そして、ただそのことを世界に知らせるために結集したのです。

 私は世界の首脳会議を宇宙で行うことを提言します。実際に宇宙船の中で行うことには無理があるとしても、世界の首脳にスピリチュアル・ワンネスを体験してもらう機会を設けることは可能です。科学はそのためにこそ活かすべきです。たとえそれが疑似体験であっても、五感は瞬時に真実を察知するはずです。スピリチュアル・ワンネスを世界の首脳が察知できれば、従来の会議をはるかに越える合意が形成されるでしょう。

提言2.「先進国六十パーセントシフト」

 南北問題は貧富の格闘です。国家という枠がある以上、解決は不可能です。しかし、南北問題の解決なくして自然破壊を止める道はみつかりません。だとすれば地球全体を一つとして考えるしかありません。

 私は先進国が今の生活水準を六十%に切り詰め、節約した四十%を途上国へ還流すべきだと考えます。

 国は全生活分野の余剰を生産・流通・消費の領域で計測すべきです。企業は必須の商品を厳密に選び、不要不急の商品を整理し、工程に製造だけではなく補修と解体の過程も組み込むべきです。

 消費者は食生活を改善します。まずは腹八分です。その上で、住んでいる地域でできるものを食べる(身土不二)、季節のものを季節に食べる(旬)、一切捨てずに全部食べる(一物全体)、グルメをやめ、人類の歯の種類に合った食べ物を食べる(穀物、野菜中心)。そして食べ物は自然界の生き物の命をいただくのだから感謝の気持ちを忘れない。このような食生活を慎食といいます。

 ほかにも六十%シフトについては細かいシステムが必要です。世界的な合意を形成するには日本がこれを身を以て提言し、率先してシステム設計に取り組むことです。

提言3.「自給自足圏の復元」

 世界にはまだ多くの自給自足圏が残っています。日本にも若干はあります。食べ物を金で買わずに自前で調達するということは、欲望のブレーキとしては最良です。自然の恵みをいただき、農作業を営み、精神的進歩を求める生き方です。そこには必ず生命を維持する生活規範が生まれます。戒律を破れば自然から手痛い罰を受けるような生活規範です。日本にもかつて自然村という共同体がありました。それを復元するのです。

 今でも都市生活をやめて帰農している人々や、工芸村を作っている人々がいます。ヤマギシのような原始共同体的なシステムもあります。伝統的な宮大工は普段は自給自足の生活をしています。過疎の村を意図的に自然村として再構成して、希望者をどんどん受け入れます。その上で、都市生活者との交流を行って、生活交換ができるようにします。

提言4.「市民農園制度」

 ドイツのクラインガルテンを典型例としてヨーロッパに普及している市民農園は、半自給自足の生活を都市生活者に提供できます。日本では様々な法規制があり、難しい現状にあります。しかし、解決は可能です。局部的に成功例もみられます。

 市民農園は都市生活者の二十〜三十%が利用できる規模が必要です。利用料金は極めて安くし、年間一万円以下程度にすべきでしょう。契約期間も三十年とか半永久的なものにします。作物の種類は野菜・果物・穀類・花というように特定し、農薬や化学肥料の使用は制限します。

 市民農園区域は全市民に開放し、公園としても機能させます。また、そこで収穫される作物を販売し食事施設も備え、収穫祭のような催しも企画します。健康な市民の出会いの場にするのです。

提言5.「自然体験教育」

 原生の自然が残る地域を国や地方自治体が買い上げて永久に維持しなければなりません。そして、そこで人々が生涯自然を体験するシステムを作ります。妊婦を対象にして胎児から始め、乳幼児から大学生まで年令に応じた自然体験のカリキュラムを用意します。自然胎教、自然採取だけで生き抜く遭難キャンプ、原生林で一人で樹木と語らう生活、日の出と日の入りに触れて太陽の神秘に挑み、高山で星を仰いで宇宙の神秘を感じ取り、源流を遡行して水の神秘を体得するというような、できるだけ非人工の体験を積ませます。

 自然体験こそ、人類に直観を与えるのです。理屈ではなく、事実をみて本質を知る力です。こうして「生かされている故生きる」という自然観が共通のものとなります。この自然観こそすべての元です。世界観や人生観がここから導かれます。

提言6.「非営利・独立の提言機関を」

 立法、行政、政党、企業、大学などから独立した政策提言機関が緊急に必要です。私がここで提言しているようなことは、本来このような非営利・独立の提言機関が行うべきです。アメリカには既に存在します。ヨーロッパにもあると聞きます。しかし、日本にはまだありません。

 立法、行政、政党、企業、大学などは、その組織をみると、すべて要素還元主義です。細かく専門化されています。要素間の関係や全体の中の要素の位置や役割はほとんど無視されています。誰も全体から考えません。全体を考え、最後を考える機関が不可欠です。さらに、損得ではなく、善悪を基準にした政策提言も不可欠です。社会貢献や文化貢献を考えるのなら、このような客観的機関の導入や育成にこそ本気で取り組むべきだと思います。

(『自然人44号』より転載。編者の責任で一部改稿)


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