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蔦の葉通信六五号

喜多村蔦枝

 友人の阿部静枝さんを訪ねました。

 ちょうどその日に阿部ご夫妻は別居生活に入りました。静枝さんが函館へ旅立ったあとの、もぬけの殻のマンションに、審也さんが一人残されていました。

 審也さんとは初対面です。いや一昔前にお逢いしたそうですが、私は覚えていません。『妙』という個人誌をいただくので、旧知の間柄のようにすぐ打ち解けました。

 二人で「自由を祝して」とビールで乾杯し、しばらく雑談を愉しみました。

 日本銀行を停年退職したばかりの審也さんは、一年間はここに残って語学を勉強し、その後イタリアへ永住予定です。むこうでの語学学校が終わったら、気に入った港町にでも住んで、美術館や建築物を見たり、街並みを歩いて人と語らい、慣れたらスペインにもパリにも住んでみたいと夢を語ってくれました。まずはローマかなと微笑んでいます。

 静枝さんは昔から、老後は生れ故郷の北海道に住むのが希望でしたが、ちょうど公団住宅が見つかったので、チャンス到来とばかりに今日、引っ越して行ったというわけでした。

 そうですよ。生涯現役という言葉は、経営者や自由業の人のものです。還暦すぎてなお働こうなんて、愚の骨頂ですよ。四十年近くもサラリーマン生活だったんですか。最低限食べられるのなら、好きな所へ行き、好きなことをして、ゆったり過ごすのがいいんです。ええ、悠悠自適が一番。北海道とヨーロッパを行ったり来たり? 地球はほんとに狭いですね。合間にワープロを打って『妙』を発行するなんて、素晴らしいじゃありませんか。静枝さんには、北海道にもうたくさんの友人ができているんですって? うわあ----

 驚愕と羨望で胸がいっぱいになりました。

 「自由の身は思わぬ落し穴があります。お体に気をつけて」とお別れを言いました。

 なんでもう少し気のきいたことが言えなかったのかしら。

(『蔦の葉通信六五号』より転載)


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