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Sさんのこと 自然と人心

鬼島三男

 Yさんの家に出かけた。家は三浦半島の榎戸という所にある。Yさんは小学校の同窓生で女性の方である。肢体が不自由だが、そんなことは微塵も感じさせない明るい方だ。あまり外出できないが、人柄のよさで、よく知人がやってくる。私がお邪魔したその日もすでに他の方が見えていた。

 しばらくすると、同じ榎戸に住んでいるSさんという方が来て

 「電話をかけたのに、かからないので、もしかして何かあったのではないかと思って」

 と言った。Yさんは

 「ああ、どうもありがとう。でも電話がどうかしたのかしら」

 と応えた。Sさんは

 「受話器が外れていないかしら」

 と言ったが、結局外れていないことがわかると、

 「もしかして、うちで間違えたのかしら」

 と何気なく言った。そして「ついそこまできたので」と言いながら帰っていった。

 しばらくして帰るときに、私は縁側の下の私の靴がきちんとならんでいるのに気がついた。だらしなく脱いだ靴をSさんは、それとなく揃えておいてくれたのだ。

 私は帰りに車の中で、いろいろとSさんの言動を思い出した。電話のことでYさんを心配して、わざわざ山の中腹にある家までやってきたり、もしかして自分の間違いだったかもしれないとか、ついそこまできたので、と配慮したり、何気なく人の靴を揃えてくれたり。しかし、こんなことはあの人にとっては、何でもない、ごく普通のことだったろうと思った。

 こんなことも思い出した。この付近に船越という町がある。そこのある店のおばさんは、東京からきた人が買物をしたときに、品物を丁寧に包むと、いまどき珍しいと喜ばれ、お礼を言われたそうだ。この話がどこかのラジオで紹介されたとのことである。

 この地域は三浦半島の丘陵地帯や山間にある住宅が多い。現在では、浦郷、追浜という町名だが、明治の終わりごろまでは全体を浦郷といっていた。その浦郷で昔の面影がかなり残っているのが、周囲を丘に囲まれた榎戸である。表通りから脇に入ると、何十年も昔に戻ったような気持ちになる。緑が多く、古びた寺院があちこちにある。真冬でも温かい。自然だけが昔のままなのではなく、その自然とともに生き続けた人たちにも、昔の人情のようなものが残っている。野菜畑でお孫さんづれのおばあさんやおじいさんによく出会う。誰にでも声をかけてくれる。自然は樹木だけでなく、人の心をも大事に育んでくれているのだと思った。


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