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幸運の女神は誰に微笑む?

如月ヨーコ

 宝クジで高額当選した男が、働かずに遊び暮らしてお金を使い切ってしまった時、もう一度宝クジを買ったら、これがまた大当りしてしまったという話を聞いたことがある。一見とてつもなく幸運に恵まれた男である。ある人はいつか自分にもそんな幸運が巡ってくるのではないかと、せっせと宝クジを買い求めるだろう。ある人は「ツイてる人っているもんだ。でも自分にそんなことが起こるはずがない」と羨ましがるだけだろう。またある人は、いくら真面目に働いても満足した生活ができないのに、遊んで暮らすその男を内心憎み不公平を嘆くだろう。

 さて、この男の幸運はどこからやって来たのだろう? 強運の星の下に生まれたのだろうか?つまり生まれつき運の強い人間なのだろうかということだ。結果だけみれば確かに運が良いと思う。運=時=タイミング=巡り合わせ、であるが、“運命は性格が作る”という有名な言葉もある。何がこの男に幸運をもたらしたのかを考えてみたい。

 『働かずに遊び暮らす』ということにどのようなイメージを持たれるだろうか? たぶん勤勉とは程遠いイメージだと思う。だが真面目にコツコツと働くことだけが世の中を豊かにするのだろうか? グチをこぼしながら、不満をためて、好きでもない仕事をお金のために仕方なくやっている人もいる。勤労していても、自分の生活やささやかな楽しみだけにお金を使い、人に喜びを与えるということを知らない人もいるだろう。

 ここで“徳”について考えたい。真面目な勤労も徳の一つであるが、それがすべてではない。この男、もしかしたら大変徳の高い人物なのではないかとふと思ったのだ。かねてから自己本位には振る舞わず、協調する姿勢を貫いていたのかもしれない。お金に困った友人を自業自得と思わず、工面してやったかもしれないし、気まずい空気が流れそうになったらユーモアで場を明るくしていたかもしれない。イヤミを言われても相手を憎まず心軽く受け流していたり、逆に長所を伸ばす手助けをしていたかもしれない。すすんでボランティア活動に参加したり、失意の人を励まして希望を与え続けてきたかもしれない。車にハネられそうな人を我が身をもって救ったかもしれず、猫の死骸を自分のセーターにくるんで埋葬してやったかもしれない。

 当選はそれらの徳が呼び寄せた幸運なのでは?と思ってしまった。一度目の当選のあと生活のための仕事は辞めてしまったかもしれないが、彼の態度は変わらず、寄付をしたかもしれないし、家族や友人を旅行へ連れて行ったり、カジノでリッチな気分を味わわせてあげたのかもしれない。視野が広い程お金の使い道も多いだろう。自分さえ良ければ・・・と思っているなら、まず自分の老後まで考えて貯蓄し計画的にお金を使ったであろう。使い切ることはまず有り得ない。自分の通帳の0の数をキープしていても誰も豊かにはならない。彼は自分や周囲を豊かにするためにお金を使い切ったのではないだろうか? 少なくとも経済は活発になったはずである。そのような積極的で与えることを知っている人物に再び幸運が訪れたとしても不思議はないはずだ。

 一見、周囲の嫉妬と羨望を集めそうなこの男の話。あなたはどう感じられたであろうか? 以上はすべて私の憶測ではあるが、運・不運に一喜一憂するよりも、まず内省から始めた方が良さそうである。幸運の女神は行動の内容にスポットを当てる平等な思考の持ち主なのではないだろうか? つまり運命の輪は自分の手で回しているということだ。損得に捉われているうちは、まだまだ徳を積む必要がありそうだ。


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