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風の中の子供たち

----北村フミさんを悼んで

向井俊博

 人に出会うのも縁、石につまずくのも縁。だがつながった縁の糸が切れるのは人の場合はとりわけ寂しい。

 旧友やら、仕事仲間のお身内やらと訃報が続く中、本誌『心の風景』の執筆者、如月ヨーコ様のお母様、北村フミ様の悲報が突然荻野君からとびこんできた。北村様には、昔、ふとしたご縁で横浜を紹介する記事の原稿執筆をお願いしたことがあったが、最近は原因不明の病に臥せっておられると聞いていた。よい治療法の心当たりがないかとの荻野君の依頼に応えられず、はたまたお手紙の一本も差し上げずにいたことが悔やまれ、「明日ありと思う心の仇桜」の古歌が胸にしみるはめになってしまった。人とのご縁を、日頃から疎かにしてはいけないということだ。

 そんな思いでいたある日、如月様からお母様のくだんの原稿とノートのコピーをお送りいただいた。原稿の方は大変懐かしく、さっそく記念にさせていただいたが、ノートの方に私たち人間のありさまを簡潔にとらえた素晴らしい詩的メモが書きつけられており、それをご紹介したい。

 風の中の子供たち
 あの山から今日までの
     アルファベット

 「風の中」というタイトルがつけられているのだが、前後に「人には、この世での心の成長のために、色々な機会や試練が与えられる」といった趣旨の精神修養的なメモがあり、その横に即興的に作られた風に書き付けられている。

 前後のメモを下敷きにして初めて心を打つものではあるが、直覚的に感じたことを述べさせていただく。浮世のしがらみやさだめといった風に吹かれて、私たち子供がいる。心の成長を願う未熟な私たちの魂を、子供たちと言い切られている。「山」、「今日」で象徴されるのは、この世の森羅万象と時間であろう。また、アルファベットは言葉の基本要素であり、これを組み合わせて言葉の体系が出来ている。こういう一面と、AからZへとつながっているイメージとを合わせてせんじつめると、時間と空間のあやなす「時空の連鎖」をほうふつとさせる。

 詩を理屈で説明するのは、身も蓋もないとお叱りを受けそうだが、この詩的メモの素晴らしさを少しでも伝えたく、つい筆が走ってしまった。

 北村様はメモから拝察するに、この世の続き、「次の風」を信じておられた。この新たな風の中で、目指された心の成長を遂げられますよう、祈ってやまない。合掌

〔平成7年8月15日〕


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