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教え子の思い出

鬼島三男

 私は教師生活三十七年間に、好きでなったはずの教職をやめたくなったことが何回あったか知れない。それは勤務校の上司と生活指導上のことで合わなかったからである。にもかかわらず、この仕事をやりがいを感じて定年退職まで続けることができたのは、多くの生徒の心の支えがあったからだと思う。その中でも殊に忘れられないのはKさんとの出会いだった。

 Kさんはある中学で三年間私のクラスだった。母親が家を出てしまうなど家庭に恵まれず、三年の夏休みが過ぎると、不良少女として校内で有名になった。服装や頭髪の乱れで私に強く叱られると、反抗したり、翌日欠席したりすることが多かった。

 家庭訪問すると「私の家になんか来ないでよ、いい家の子だけ相手にしてよ、どうせ高校なんか行けないんだから」と涙を流した。それでも、将来を考えて高校へは行った方がいいとの私の強い勧めで定時制高校を受験することになった。卒業式にも欠席したが、「おかげさまでKが合格できました」と父親が春休みに言ってきた。だがKさんは私にはどうしても会えないとのことだった。

 卒業して五年後に同窓会があったが、事前にKさんから私に電話があった。Kさんは高校時代もずいぶん欠席をしたけれど、何とか卒業はさせてもらったとのこと。そしてすぐに定時制の友達と結婚して、今は一歳になる女の子が一人いるという。同窓会には私なんか恥ずかしいから欠席するわ、と言った。色々なことを話しているうちに「先生、私、先生に反抗したけど、あんなに本気で叱ってくれて嬉しかったわ」と言ってくれた。同窓会には、あれほど嫌がっていたKさんが、遅れて参加した。Kさんは、穏やかな性格の仲の良かった友達のそばに座った。近況報告の時、彼女が立ち上がると、一部の男子から「Kさん、結婚したんだって」とか「毎日楽しいかい」などと、冷やかしの声が上がった。

 Kさんは立ち往生してしまった。私は多分こういうことがあると思い、前もってKさんへの挨拶を考えておいた。私はすぐに立ち上がって言った。

 「みんな、静かに聞いて!この中で結婚しているのは先生とKさんだけだ。Kさんは定時制高校に行った。昼間働き、夜学校に行った。家ではお父さんと二人きりで、家事のやりくりを小さいときからやってきたんだよ。今、女の子を一生懸命に育てているんだ。赤ちゃんを育て上げるのは大変なんだよ。Kさんは人生の経験者という点では、みんなの先輩だ。これから、みんなが困ったときは人生相談してもらえるよ。大事に付き合ってほしいんだ」と。するとみんな大きな拍手を送ってくれた。

 あの同窓会から二十五年ほどが過ぎた。その後Kさんは何人かのクラスメートと親しくしているとのことだった。中には、結婚した友達や、離婚した友達、また、妊娠して困った友達、子育てのことなどを相談する友達もいたとのことだった。子供のことで相談を受けたとき、分からないからと言って、私のところに電話をしてきたこともあった。私はKさんのご主人ともよく話した。ご主人はKさんが私と知り合ったことを喜んでくれた。

 定年退職をした今、教え子やそのお子さんのことを相談してもらえるのは、大変嬉しい。知人にこのことを話すと「お孫さんが増えたみたいで、うらやましいですねえ」と言われた。相談してくるのは女子がほとんどである。妻からは「いいわねえ、いつまでも若い女性に相手にされて」などと言われる。

 最近、厳しい指導はとかく批判の的となるが、私の場合は運が良かったのか、問題にはならなかった。それどころか、今となって生徒達に感謝され、言葉では言い表せない喜びを味わっている。数々の私だけの“とっておきのいい話”がいつまでも私の心の中に生きている。まさに教師冥利である。


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