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蔦の葉通信117号

喜多村蔦枝

 母が亡くなったあと、毎年春と秋に二泊三日で老いた父と温泉巡りをしていました。

 同じ宿に二泊するので旅のスケジュールはきつくありません。ゆったりのんびりしたもので、それはまた父との会話にも表れていておもしろみのある筈もなく、ただ何となく時間が過ぎ去るのを待つようなものでした。

 これが父ではなく母といっしょだったらどんなにいいだろうにといつも思っていました。孫の話だっていい、洋服や髪形のことでもいい、向かい合って座っている列車の座席で、甘いものでも食べながら母娘のおしゃべり程楽しいものはないだろうと。

 旅の終わりには必ず父は自分の小遣いで、時折たのむヘルパーさんと自分自身とそれに私の家族にと、お土産を三つ買いました。招待したのだからと私は当たり前にそれを受け取って別れたのでした。

 私たちが子育てに髪を振り乱していたころの事でした。

 倒産後蟄居(ちっきょ)していた父が会社員として働き始め、毎年夏と正月に一泊で私の家族を海や山へ招待してくれました。だんだん家族が増えていくわが家でしたが、妹や弟もいっしょのその小旅行は随分長く続きました。

 家を一泊空けるのだから近所にもちょっとしたお土産をと、それは鰺の干物であったり羊羹であったりでしたが、わが家の分まで父に買ってもらいました。そのうえ夫には、宿を取ったり切符を手配したりと頼み事をしたのでと理由をつけて小遣いを渡していました。余裕のない生活であっただろうに、私の夫に気遣いを示したのでした。

 父がこういうやり方で旅行に連れて行ってくれたのに、娘の私は父へのお土産を手配してあげるどころか、反対に宿代一泊分ぐらいの値の品物を買ってもらったのでした。

 夫の絹のワイシャツを見ながら、父の心くばりをこそ見習うべきだったと思いました。


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