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自己紹介とは

中島泰雄

これまでの長い会社勤めのなかで、私は社員教育を何度も担当してきたが、それでも研修の初日は緊張するものである。受講者の方はもっと緊張しているので、それをほぐすため研修のオープニングは自己紹介から入ってゆくのが普通である。

例えば、二泊三日の合宿研修。コの字形に座ってまだ表情も固い受講者に対し、主催者が「初日でもありますし、まずお互いに自己紹介をすることからスタートしましょう。では、こちらの右側の方から順番にお願いします」と声をかけると、驚いたことに、いきなり指名されたその人は、やや恥じらいながらもすなおに立ち上がって「自己紹介」を始めるのである。

そのとき、「自己紹介といきなり言われても何を話せばいいのか」とか「自己紹介における自己とはいったい何を指しているのか」とかの質問は、まず出て来ない。自己紹介の場で何を話せばいいのかは、日本人の常識となっているようである。東京人も大阪人も、いや、はるばる北海道から来た人も、九州から参加した人も承知していて、概ね次のような順序で自己を紹介してくれる。

まず、氏名。難しい漢字や珍しい名字のときはその由来も説明してくれる。年令や生年月日は省略することが多くなった。そしてクニと言うか出身県、郷里の名勝や産物。出身校。いま勤務している会社とそこでの役職や仕事内容。それから趣味や特技。時間に余裕があれば、いま住んでいる町や家族を紹介して完成となる。

ところがである。奇妙なことに、自己とは何かを紹介するはずの「自己紹介」において私たち日本人が発言している内容は、ほとんど「自己」そのものと関係のない雑件ばかりなのである。それを、仮に私自身をマナイタに乗せて検証してみることにしたい。

「はじめまして、私はナカジマヤスオと申します」----先日、東京の電話帳にナカジマヤスオが何十人も居ることを発見して複雑な気持ちになった。しかも中島泰雄と漢字まで同じ他人さえ居て、この氏名が私だけのものではないことを思い知らされた。

「昭和十三年二月生まれの五十五才です」----この世には五十五才の人間は数えきれぬほど存在している。

「出身は埼玉県です」----埼玉県に生まれて二十才まで住んでいたので、そこの風土や慣習は身にしみついているが、埼玉県というのは地域名であり、行政区画として独自に存在していて、私ではない。

「大阪の○○大学を卒業しました」----この学校ではたまたま四年間学んだだけである。大阪に学校はしっかりと存在しており、私は通過して行った沢山の学生の一人でしかない。

「いま○○株式会社に勤務しており、総務の仕事を担当しています」----私が居る居ないに関わらずこの会社は存在しているし、私が居なかったら別の人間が私の席に座って総務の仕事を担当していることであろう。

「趣味は、ゴルフと麻雀と俳句です」----言うまでもなく、私イコールゴルフではないし、麻雀イコール私ではないし、俳句はかりそめに楽しんでいる文芸であって、自己ではありえない。

研修会ではこうして「自己紹介」を終え、「では皆さんどうぞよろしくお願いします」としめくくると、主催者から「この自己紹介で中島さんの人物像がよく分かりましたね。どうも有り難う」との言葉があり、参加者からはパチパチと拍手までいただく。これで合格なのである。

けれども、この内容で私は本当に私の自己を紹介したのであろうか、という疑問がいつも残る。私が紹介したのは「自己をとりまく周辺事項」ばかりなのだ。私という人間存在についてはほとんど語っていないのだ。大阪城を訪れたのに、本丸に辿り着く前にお濠や石垣を見せてもらって帰ってしまったようなものなのだ。

私という人間は、いま、ここに、こうして実在している。泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり、心配したり得意になったり、反省したり希望をもったりしてここに生きている。その本物の自己にはほとんど触れずに自己紹介が流れていく。

自己紹介と言いつつも自己そのものに言及しないのは日本的美徳なのであろうか。また、自己とは何かを表現する適切な言葉がまだ見つかっていないのであろうか。


もう二十年以上も昔のことになるが、本田技研の本田宗一郎社長の講話を聞いたことがある。経営者としてユニークであったとともに話も天衣無縫、ベランメエ調でめっぽう面白かった。その中で、いまでも鮮やかに憶えているくだりがある。

それは、現代人は知識や理論によって物事を理解したつもりになっているが、人間が、本当にわかったと言い、また本当に動き出すのはそういう場合ではないのだと、リンゴを例にあげて話されたのである。

「リンゴというものを知らない人がいたとしますよ。その人にリンゴを紹介するとしたら皆さんならどうしますか。リンゴとはね、直径十センチぐらい、ちょっとデコボコしてるけど丸いかたちをしていて、色はまあ赤くて、味は甘くてややすっぱい果物です、だなんて説明するでしょう。だけどね、私に言わせりゃあ、そんな言葉でリンゴの本当のところは分かりゃしない。私ならね、リンゴそのものをここに持って来ますよ。そして本人に見せりゃいい。手に持たせりゃいい。皮をむいて食べさせりゃいい。そうすりゃ甘くてややすっぱいなんていう曖昧な言葉を越えて、その人はリンゴの本当の味を知るんです。」

このストレートな話に私はかなりのショックをうけた。「百聞は一見に如かず」とか「書斎からフィールドへ」とか言葉は知っていても、なお知識や理論で武装しようと努力していた私には、非常に新鮮な講話であった。ものの本質は言葉で言い表せないものが多い。そういうときは感性で触れてみるのがいいのかも知れない。まして、自己とか心とかいうものになれば、言葉で表現しようとすること自体が、そもそも間違っているのかも知れない。或いは、言葉で表現しうる境界線のその奥にさらに豊かな広がりをもっているから人間というものは面白いのかも知れない。


「心の風景」という言葉を向井俊博さんから初めて聞いたとき、きれいでいい言葉だなあと思った。こういう優しい言葉を大切にして集まっている人々に親近感をおぼえている。

しかし、つきつめてゆくと「心の風景」というのはよく分からない言葉でもある。心というものがまずつかめない。そこへ更に風景が付くともう謎解きのようにとりとめがなく、私には全く見えなくなる。目には見えないが確かに存在していて、理解しようとすると悪戦苦闘するしかないらしい。

こうなると、私は趣味でやっている俳句を連想する。俳句は季語を大切に取り扱うが、その季語には、月、秋刀魚、野菊などのようにハッキリと目に見えるものもあれば、また、秋色(しゅうしょく)、秋思(しゅうし)、冬隣(ふゆどなり)などのように目には見えないものもある。目には見えないけれど俳人はその季語の本質を五七五という短い言葉の中で表現しようと必死の努力をする。ひとつの季語に対し、何百句も何千句も作ってみて、なおこれだという表現----いわゆる佳句名句----に到達しない。それでも俳人は入れ替わり立ち替わり、詩情を磨き言葉を選んでひとつの季語に迫る。

憩ふ人秋色すすむ中にあり 鶏二
思ふことなきごと居りて秋思かな 風生
逢ふ人の髪白きもの冬隣 羽笛

ましてや、目に見えぬものの中でも、心とか自己とかいうものは、中途半端な姿勢や生半可な努力ではなかなか本当の姿を見せてくれない存在なのであろうと感じている。

(平成5年11月1日)


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