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偉人伝と私の性格

荻野誠人

 「一冊の本が私の人生を決めた。」----有名無名を問わず、このように言う人は決して珍しくない。それを聞くたびに、本の力は実に大きいものだと思う。
 そう言う私も本に大きな影響を受けた一人である。その本とは、小学校低学年くらいまでに読みふけった偉人伝である。
 私は本の好きな子供だったので、両親は惜しみなく本を買ってくれた。我が家にやって来た数多くの本の中には様々な偉人伝があった。三十年たった今でもはっきり覚えているのは、『野口英世』『リンカーン』『豊臣秀吉』『キューリー夫人』『二宮金次郎』などである。
 本を開けると、そこにはすばらしい人たちが待っていた。その人たちは自分を犠牲にして悩み苦しむ人たちを救い、どんなに苦しい状況も乗り越え、正々堂々と戦って悪人をやっつける。そして最後には、世界的に有名になったり、最高の地位についたり、多くの人に尊敬されたりするのだった。もちろん、その人たちの人柄には欠点も弱点もなかった。
 私はすっかり偉人たちに夢中になり、あの人たちのように生きたいと強く願うようになった。今の私が、心を大切に思い、世界中の不幸な人たちに関心を持たずにはいられないのも、他人のために奉仕している人を見ると無条件で尊敬し協力したくなるのも、幼い頃のあの感激がもとになっていると思う。子供向けの偉人伝の作者は、子供が「よい子」になるようにと願って筆を執るのだろうが、私の場合はその願いが実現したのかもしれない。
 ところが、一方では作者の思いもよらなかったことが起こってしまった。私は偉人のような生き方をしていない家族、親戚、教師、友人などを激しく軽蔑し、憎むようになったのである。私の周囲の人たちは、世界のいたるところにいる不幸な人たちには全く無関心のように見えた。善や正義や自己犠牲などは、この人たちの心には生まれてから一度も現れたことがないように見えた。しかも他人を裁く基準が完全無欠の偉人である。私の態度はきわめて不寛容なものとなった。
 と同時に、「それにひきかえ、偉人のように生きよう、世の中のためになることをしようと思っている自分はなんて立派なんだ。俺はこいつらとは違う」という意識が私の心の中で頭をもたげてきたのだった。この傾向はもう偉人伝を読まなくなってからも、決して弱まることはなかった。
 その結果、私は家庭では自分から孤立していき、ろくに口もきかなくなっていった。学校でも友人を作ろうという努力もせず、わざと皆から距離をおいた。高校は進学校だったが、こんな連中が将来日本の支配者階級になるのかと思うといやでたまらなかった。キリスト教系の学校だったので、様々な奉仕活動が奨励されていて、私はかなり積極的に参加していった。しかし、全体の関心は低かった。私は皆を軽蔑する絶好の証拠をつかんだ気分になって、ますます自分は正しいんだ、立派なんだと思い込んでいった。こんな態度で好かれるわけがない。「あいつは自分が世界で一番偉いと思っている」と陰口もたたかれた。私はカンカンになったが、今思うと図星だった。
 こうなってしまった原因はすべて偉人伝にあるなどと言うつもりはない。同じように偉人伝を多読しても、私のようにはならない子供の方がずっと多いだろう。それに二宮金次郎もリンカーンも豊臣秀吉も親孝行で友だち思いの人として描かれていたのだ。当時の私もそれを見落としていたわけではない。だが、結局そういった美点はほとんど身につけようとはしなかった。当時の私の理屈によれば、周囲の連中は思いやりなどには値しないくだらない人間なのだ、ということだったようだ。実際には、私は自尊心や支配欲などを満足させるために、都合のいいところだけを偉人伝から吸収したのだろう。
 傲慢な嫌われ者となる素質は私の中にあった。それが偉人伝を一つのきっかけとして表れたのだと思う。あるいはそれ以外にも色々なきっかけがあったのかもしれない。とはいえ、偉人伝が私の性格形成に重要な役割を果たしたこともまた否定できないだろう。
 そんな私も、十八歳ごろある宗教に入って大きな転機を迎えることになる。そこにはまさに偉人伝に出てくるような心の持ち主が何人もいたのである。ある晩、横浜駅の近くにあった教会の集会で初めてその人たちに出会った時の感動を私は今でも忘れることができない。私は本当に嬉しかった。そしてほっとした。自分は心の中では長い間こういう人たちを探していたのだと気づいたのだ。
 だが、それからが大変だった。私は仲間に会えたとばかり思ったのだが、それはとんだ片思いだった。本当の仲間になるためには私自身が変わらなければならなかったのだ。私は宗教の活動や勉強、信者たちとの交流などを通して、厳しい反省を迫られた。たとえば「お前は愛が薄い!」というわけだ。幾ら思い上がっていても、自分にも嫌なところがあるのは以前から承知していた。直そうという気もないわけではなかった。だが、この時はそれを思い知らされ、嫌でも直さなければならないという気持ちに追い込まれたのである。もし私を批判したのが家族や学校の友人だったら、相手にしなかっただろう。だが、批判してきたのは、私の尊敬する人たちだった。実際に他人に奉仕している人たちだった。聞かないわけにはいかなかったのだ。
 私は自分の実態を知り、考え方と行動を変えようと何度も決意し、色々な目標を立て、それを自分に強く言い聞かせた。一例をあげれば、何事も感謝で受け止める、といったことである。失敗を数え切れないほど繰り返しながらも、何年もたつうちには、わずかずつでも私は変わっていった。自分には他人を批判するような資格のないことを徐々に知るようになり、自分も含めて人間は本来欠点の多いものだということを肌で感じるようにもなった。偉人を基準に他人を裁いて得々としていた自分が恥ずかしくなってきた。そして他人の気持ちを考える習慣も多少は身につけることができ、それまで傷つけてきた人たちの気持ちを実感するようにもなった。そういった 変化の結果、私の周囲に対する敵意も段々弱まっていき、人間関係もずっとよくなったのである。自分の矛盾にも気づいた。周囲をすべて敵に回してしまったら、一体誰に奉仕するというのか。それまで私が思い浮かべる奉仕の相手はいつも私の側にはいない人だった。
 一方、大学生の頃から、かつての憧れだった「偉人」の実態も知ることになる。豊臣秀吉は冷酷横暴な独裁者の一面をもち、リンカーンは優柔不断で無策の政治家で、決して熱烈な奴隷解放論者ではなく、野口英世に至っては借金の踏み倒しさえやってのけた、私の大嫌いな部類の男だったのだ。だが、それを知った私は特に驚きも、がっかりもしなかった。偉人の実態がどうであれ、私の生き方にはもう関係がなかったのである。
 こうして私は偉人伝の否定的な影響から何とか逃れていった。だが、もしあの宗教に出会って心の修行の場を与えられなかったら、どうなっていただろうか。それに代わるほどの修行の機会に恵まれたとは考えにくいので、おそらく今でも、ひとりよがりの傲慢な人間のままだっただろう。私は宗教団体のあり方には大いに疑問をもっているのだが、私に貴重な人格形成の場を与えてくれたことに対しては心から感謝している。
 否定的な影響から逃れたといっても、正直に白状すれば、「俺は偉いんだ」といった意識は今でもある。小さい頃に身につけてしまったものなので、これは死ぬまでなくならないのだろう。ただ、幸いなことにその意識は心の奥底でおとなしくしているようなので、油断しなければ表には出てこないだろうと思っている。他人は今の私をどう評価するか分からないが。
 さて、偉人伝は教訓的な面白みのない本だ、本当の人間が書けていない、などと敬遠する人も少なくない。それはその通りだが、やはり何冊かは子供に与えてもよいものだと思う。なぜなら、大半の偉人伝に書かれている人物像はにせものでも、ごくまれには偉人の名にふさわしい人が実在したからである。お釈迦様がそうであろうし、近代ではガンジーやシュバイツアーがそれに当たると思っている。だから、人間はここまですばらしい心を持てるのだという可能性を知ってもらうために、読ませる意義はあると思う。
 だが、偉人伝ばかりを多読させるのには賛成しかねる。下手をすると、人間は皆あのようになれる、なるべきだ、ならなければおかしいという偏った人間観を身につけてしまうからだ。
 また、偉人伝を子供に与える時は、親もそれを読むべきではないかと思う。偉人伝に限ったことではないが、親が本の中身を知りもしないで、小さな子供に与えてしまうとすれば、それは少々無責任ではないだろうか。そして、もしできたら自然な雰囲気で、子供と偉人伝について話し合うといいと思う。親子の絆とやらをつくる楽しいひとときになるだろう。万一、子供が私のようなとんでもない受け取り方をしていたら、やんわりと常識的な考え方を言ってやればいいだろう。

(1995・1・31)


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