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動物の苦しみ

荻野誠人

 ある動物愛護団体は、動物実験は医学の進歩に何ら貢献してこなかったという、一般の人が驚くような見解を打ち出している。だからそんな無意味な実験は廃止するべきだという結論になるのである。
 私のような門外漢にはその見解の是非は分からない。だが、たとえ大きな貢献をしてきたとしても、それは残酷な動物実験を正当化することにはならないと思っている。
 なぜなら、人間には、同じ命を持ち、同じ痛みを感じる動物を虐待する権利はないからだ。
 もし、動物実験が医学に貢献してきたとすると、実験を規制したり廃止したりすれば、医学の進歩は遅れることになる。だが、非難を覚悟で言おう。医学の進歩が遅れ、人々の苦痛が長引いてもやむをえない、と。
 病気で日夜苦しんでいる人のことはどうでもいいのか、家族の悲しみや苦労を何とも思わないのか。----これが即座に出る反論だろう。
 どうでもいいなどとは思わない。大変気の毒に思う。だが、だからといって動物にそれをはるかに上回る苦しみを与えることが許されるのだろうか。人なら少なくとも看護を受けられるだろう。家族や友人の励ましの言葉も聞けるだろう。だが、動物は目や内臓をえぐりとられ、ハンマーで殴られ、ガンを植えつけられ、しかも麻酔一本打ってもらえない場合も珍しくないのだ。それに、そもそも動物に、人間の病気に対して一体何の責任があるというのだろうか。その病気の原因が人間の不摂生ならなおさらである。
 お前は今健康だからそんなことを言っていられるのだ。お前も病気になれば、考えが変わるに決まっている。----こんな声も聞こえてきそうだ。
 確かにそうだ。私は末期ガンでのたうちまわって、こう叫ぶだろう。動物なんか何匹犠牲にしたって構わない。早く治療法を開発して、俺のこの苦痛を取り除いてくれ、と。
 だからこそ、理性を失っていない今、何とか利己主義のかたまりになっていない今、こうして冷静な意見を書いておきたかったのだ。

(1994・8・23)


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