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同一化訓練

荻野誠人

 私は以前、電車の中で小さな子供が大声で泣くのを聞くといらいらしたものである。そんな時、回りの乗客を見ると皆平然としているので、今度は少々劣等感を感じたりもした。だが、今はそれほどいらいらすることはない。どうしてかというと、その子供と「同一化」するささやかな心の技術を工夫したからである。
 同一化とはどういう意味かと言うと、自分の魂が幽霊のように自分の体を抜け出して、相手の体の中に入って相手そのものになり、それと同時に相手の気持ちや行動とも一つになるという有様を思い描くことである。
 たとえば相手が電車の中の子供のように泣いていれば、同一化した瞬間に自分も泣き出す、またはそういう気持ちになるわけだ。すると、どこかが痛くて泣いているのか、お腹が減って泣いているのか、そういった理由が、それほど想像力を使わなくても自然に浮かんでくる。泣くだけの立派な理由があって泣いているのだということが納得できる。
 そこまで来ると、もう子供にいらいらする気持ちがしぼんでしまうのである。
 最初は単なる思いつきだったが、何度も繰り返しているうちに、子供の泣き声を聞くと半分自動的に同一化するようになった。
 その後、この方法を応用し始めて、自分の感情がわがままな方へ暴走することがやや少なくなってきた。たとえば、咳き込んでいる人に同一化すると、その瞬間にこちらの喉や胸が苦しくなるので、効果はてきめんであった。ただ、同一化そのものを忘れてしまうこともあるのだが。
 しかし、そんなことをわざわざしなくても、「かわいそうに。あの子はなぜ泣いているのだろう」と思いやってあげれば済むことではないか、という意見もあるだろう。確かにそうなのだ。多くの人はそうやって温かい人間関係をつくっているのだろう。だが、私の場合は、そのやり方では相手の気持ちが今一つ切実に伝わってこないのである。それはおそらく自分と子供とが分かれたままだからだろう。いらいらを静め、相手の気持ちを理解するためには、相手になりきる様を想像した方が私にはいいようなのである。
 この同一化は、宇宙と一体化するような悟りとは違い、所詮は頭脳の作業だから、自分勝手な想像をしている場合もあり得る。子供と同一化することなどは自分も昔子供だったのだから、何とかなるかもしれないが、たとえば、若い女性が年取った男性と同一化することははるかに難しいだろうし、日本人がアラブ人と、人間が虫や花や石と同一化することなどは不可能に近いのかもしれない。そういう場合は相手についての正確な知識を蓄えて少しでも溝を埋めるしかないのだろう。やはり勉強も大事なのだと思う。
 私のこの工夫は、悟りを開いた高僧や一流の心理学者からは一笑に付される程度のものかもしれない。ただ、誰にでも簡単に出来るものであることだけは間違いないし、応用範囲も広いように思うので、どなたか「追試」をして成果を知らせてくれないだろうか。
 私を少し安心させてくれたのは、仏教に「念仏観」「不浄観」という、同一化と共通点をもつような心の技術があるのを偶然知ったことだった。前者は仏の穏やかな顔を思い浮かべて怒りを抑える方法で、後者は女性の顔の下に白骨を想像して欲望を抑える方法なのだそうだ。

(1994・9・23)


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