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へいさんとひいさん

高山 智

むかしむかしあるところに、平凡なおじいさんと非凡なおじいさんがいました。平凡なおじいさんは、へいさん。非凡なおじいさんはひいさんと呼ばれていました。

ある日、へいさんが散歩をしていると、大きな蛇に出会いました。大きな蛇を見たへいさんは怖くなって、草むらに隠れました。そうすると、大きな蛇は、とぐろをまいて道の真ん中で居眠りを始めました。草むらに隠れていたへいさんは、出るに出られず、そのままじっとしていました。ときがたちました。大きな蛇は目を覚まして、大きなあくびをしました。草むらから様子を見ていたへいさんは、大きな蛇の大きな口を見て、自分が食べられるのかと思って、「きゃっ」と叫びました。叫び声を聞いた大きな蛇は、すばやく口を閉じて、

「だれだ、そこにいるのは。隠れていてもむだだぞ。出てこい」

と言いました。

へいさんは怖くてしかたがなかったので、震えているばかりで、どうしようもありませんでした。へいさんは目をつむって祈りました。(神様たすけて下さい)と。

草むらをにらんでいた大きな蛇は、

「くそ、おれ様をだれだと思っている。そんなところに隠れているやつは食ってやる」

と言って、鎌首を持ち上げ、矢のような速さで、草むらの中に飛び込みました。

シューシュー、大きな蛇の尻尾は宙に舞い上がり、鎌首はへいさんの顔の真ん前に現れました。へいさんは、しゃがみこんで、地面にころがっていた棒切れをつかんで、

「わー、怖い、たすけてくれ、やめてくれ、あっちにいってくれ、いやだあ、わー」

と叫んで、長い棒切れを振り回しました。すると、大きな蛇はへいさんを食べようとして口を大きく開いたところだったので、上と下のあごの間に、つっかえ棒のように、棒切れがはまってしまったのです。

シューシュー、大きな蛇の尻尾は、さらに宙高く舞い上がり、のどをウッウーと鳴らしました。それを聞いたへいさんは、もっと怖くなって、つかんだ石を無我夢中で投げました。そうすると、へいさんが投げた石は、大きな蛇の口めがけて飛んでいき、とうとう、大きな蛇のおなかは石だらけになって、大きな蛇は死んでしまいました。

こうして難を逃れたへいさんは、ほうほうのていで家に帰ってきました。家に帰ってふうふう息をついていると、ひいさんがやってきました。息をついているへいさんに、どうしたのかとたずねたら、これこれしかじかと説明してくれました。なるほど、そんなこともあるのだと納得したひいさんは、自分だったらへいさんのように弱腰にならず、堂々と大きな蛇と戦って、ほんとうに勝つことができるのにと思いました。そして、自分のほうがへいさんより勇気があるから、きっと、もっと大きな蛇をやっつけて、持って帰ってこられるだろうと思いました。

次の日、ひいさんは蛇をさがしにでかけました。すると、小さな蛇に出会いました。ひいさんは、(こんな小さな蛇を殺しても、みんなおれのことを偉いと思わないだろう。でも、みんなに大きな蛇を殺したと嘘をついても分からないだろうから、やっつけてしまおう)と考えました。ひいさんを見た小さな蛇は、怖くなって、草むらに隠れました。そして、怖くて出るに出られずにいました。ひいさんは、

「こらあ、そこに隠れているのは分かっているぞ。出てこい蛇め」

と言いました。

小さな蛇は怖くてしかたがなかったので、震えてばかりいました。そして(神様、たすけて下さい)と祈りました。

草むらをにらんでいたひいさんは、

「そんなところに隠れているやつは退治してやる」

と言って、草むらに飛び込みました。

そして、ひいさんは、死んでしまいました。

あとから分かったのですが、へいさんとひいさんはふたごのおじいさんだったということです。

(おしまい)

【教訓】
「平凡は確率に支配されても平気
非凡は確率に支配されまいとして失敗」
原作 高山 智
演出 高山 智
制作 高山 智
提供 神様

平成4年9月10日脱稿

【本文の解説】

この物語の主題は、「確率の支配」(確率をだれかが支配しているのではなく、確率が世の中を支配しているという意味)です。すべてのことがらが同じように起こりうるとき、そのうちのいくつかが起こるたしからしさを確率と言います。まったく起こりえないときは0、かならず起こるときは1という数値をとるので、確率は0から1の範囲にあります。

へいさんは、自分から、進んで「ことがら」を選ぼうとしませんでした。ただただ、待っていただけです。ところが、へいさんの意志に関係なく、大きな蛇は死んだのです。

一方、ひいさんは、自分から「ことがら」を選びました。しかも自分から進んで行動しました。その結果、ひいさんの意志に関係なく死ぬことになりました。

へいさんとひいさんがふたごだったのは、物語の象徴性を高めています。というのも、へいさんとひいさんが実は同一人物で、一見それぞれ別々の行動に見えたものが、ひとりの人間の心理的二面性を象徴しているとも考えられるからです。

【教訓の解説】

平凡なひとは、確率に身を任せることによって安心を得られるので、自分から無理にものごとを変えようとしなくても、事態は自然に良いほうに向いていく。非凡な人は、自分から確率を変えようとするが、不安とあせりにとらわれてしまって、事態を悪いほうに向けて、結局、失敗してしまう。だから、自分が平凡だと思ったら、『そういうこともあるさ』といって、すべてを受け入れるように心掛けると良いし、自分が非凡だと思ったら、確率を変えようとしている自分に気付いて、不安とあせりにとらわれる前に、この『へいさんとひいさん』を思い出すことです。


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