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「人の為」

井上睦美

最近、「言いたくないけど、あえてあなたの為に言わせてもらう」という言葉が嫌いになってしまった。思えば、物心ついてから何度この言葉を言われてきたことだろうか。そして、自分も無意識のうちに、恐らく言われた数ほど言ってきたのだろう。いや、上回っているかもしれない。

なぜこのような事を考えるようになったのか・・・といえば、ふと思い浮かべた「偽」という漢字のおかげである。「偽」は「人」と「為」に分けられる。つまり「人の為」が「偽」なのである。

昔、「人間は一人一人、考え方が違うから面白いよ。皆、宗教の教祖になれるかもね」と友人と話したことがあった。「あなたの為に・・・」と言う時は自分の心に「教祖心」が存在していると思って間違いなさそうである。そして、相手の事を思うよりも、自分の考えを押しつける方向へ話を進めていき、相手に話すすきを与えずに自分の言いたい事だけ言って話を終わらせてしまう。これはアドバイスではなく、自己満足に過ぎないのではないか。

具体例として、昔と比べて働く女性が増えて、現在割と多く交わされるようになった会話を挙げてみる。

A「仕事は楽しい? もう何年目かな?」

B「七年目よ。ようやく・・・ってところよ。」

A「そう。でもそろそろ、落ち着くべきじゃあないかと思うんだけど・・・。」

B「今のペースで満足よ。できれば、このままでいい位だしね。」

A「女性は、まだまだ社会での立場は弱いし、いざとなったら、会社は真先に女性を犠牲にするよ。その時に逃げ込む場所がなかったら、どうするつもり?」

B「その時はその時で、自分の棚おろしをしてみる。何とかなると前向きに考えて、いろいろやってみるよ。」

A「世の中、甘くないよ。もっと甘え上手になって相手を探すこと考えたらどう?」

B「いろいろな考えがあっても良いと思うけどねえ。あくまで自分で決める事でしょう。」

A「いい? あなたの為に言ってあげてるんだよ。このままだと寂しい老後が待ってるに決まってるんだから。」

B「・・・・。」

いかがだろうか? Aは満足しているに違いない。でもBにとっては単なる押しつけでしかないのは明らかである。片方は相手を思いやっているつもりになっているが、そうではなく一方的なだけ。そして、こういう会話がひんぱんに交わされるようになると、やがては友情そのものにも亀裂が生じてしまう。

「あなたの為に」と切り出すのではなくて、「お役に立てるかどうかは分からないけれども、私の意見は・・・です」と言えば随分とニュアンスが違う。そういった姿勢から心の交流が生まれて、一生の友ができるかもしれないのである。

次の例は親のお説教である。

「○○ちゃん、あなたの為を思って注意してるんだよ。言いたくない事だって、あなたの将来を思うからこそ、憎まれるのを覚悟で言ってあげてるんだからありがたく思いなさいよね。」

子供の為ではなくて、単に親としての権威を示したいだけなのでは、と思うのは私の思い過ごしだろうか。まずは家庭での親子の会話から改める必要があるのかもしれない。

つくづく会話は難しいと思うけれど、「偽」を地で行くような会話はしないように気をつけていきたいものである。

(1992・10・10)


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