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心の春

--オーストラリアの学生--

藤本 明

早いもので、外国人に日本語を教え始めて、もう八年余りにもなります。その間、いろいろと貴重な体験や、思い掛けない経験もしました。

もう三年前になりますが、こんなことがありました。

例年の通り十二月にオーストラリアのカンタス航空会社の事業の一つとして、多くの大学生から選抜された優秀な学生たちが日本語学習のために派遣されてきました。その年は女子学生七名、男子学生二名の編成でした。彼らのレッスンを受け持つのはこれで三度目になります。彼らのひたむきな学習態度、爽やかな行動は、今、日本に失われかけている何かを持っていて、殊に楽しい時間です。むしろ彼らから多くのことを学ぶ機会として私にとっても大切な時間です。私の担当は「ビジネス用語」でした。

予定の教科が半分ほど済んだ頃から、私は思いがけぬ腰痛に授業を中断せざるを得ないことになってしまいました。しかも、その腰痛はそれまで体験したものと違う不気味さをもっています。同僚に掛ける迷惑、責任を充分に果たせない我が身にいささか落ち込んでいたある日、大きな封筒が我が家に届きました。発信人の名前は書いてありませんが「藤本先生」と書いてあるところから日本語関係のものとはすぐ分かりました。

中から出てきたのは思いも掛けないオーストラリアの現地の人々が狩猟に用いているブーメランです。そして更に白い封筒の中にオーストラリアの人気者、襟巻とかげをあしらったカードが入っていました。オーストラリアの学生たちからのものです。

カードを開くと

「ブーメランみたいにすぐ元気が戻ってきますように。お大事に」

と日本語で書いてあり全員のサインがしてあるのです。そして美しいメロディーが開いたカードから流れてくるではありませんか。私は急に胸が熱くなってきました。沈み切っていた私の心に暖かい春の風がそっと吹き込んでくる思いでした。

二月に入って彼らの集中日本語講座は多くの成果を上げて終了しました。終了パーティーには幸い私もやっと体調を取り戻して出席することができました。学生たちは教えてもらった先生方に精いっぱいの感謝の気持を表そうと、俳句の手法にならって、それぞれ一句を創り先生方に贈呈してくれました。前の晩ずいぶん苦労したようです。そして、半分しか授業をすることのできなかった私にも次の一句がかわいらしいコアラのミニチュアと共に贈られました。

「藤本先生 経済人だが 心の金(きん)よく 見られるわ」

句としては勿論いろいろと問題のあるものですが、私は私なりの努力の一端が学生たちに伝わったのだと受け止めました。自然の春に先駆けて彼らから再び心の春を味わわせてもらいました。彼らの示してくれた思い遣り、心づかいが心に染み入ってきます。

私は彼らがブーメランのようにいつの日か再び日本に戻ってきて両国の相互理解にきっとなすことがあると期待しています。

あのブーメランには彼らのそうした思いも込められていたのかも知れません。


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